ギルドでの評価が上がりすぎて胃が痛い
ギルドでの評価が上がりすぎて胃が痛い
ダンジョンから帰還したのは、夕暮れ時だった。
町の門をくぐった瞬間、ヴァルゼンは心の底から安堵した。石畳の道、煉瓦造りの建物、行き交う人々の喧騒——文明の匂いがする。ダンジョンの湿った石壁と魔物の咆哮に比べれば、ここは天国だった。
「まずギルドに報告だな。ダンジョン攻略の完了と、討伐した魔物の記録を——」
「あ、あの、少し休んでからでは……」
「何を言う! この戦果を一刻も早く届けなければ!」
エルヴィンの熱量は、ダンジョン五層を踏破した直後とは思えないほど充実していた。ヴァルゼンの足は既に棒だったが、勇者の輝く笑顔の前では「疲れた」の一言すら言い出せない。
冒険者ギルドの扉を開けた瞬間、ホールの空気が変わった。
受付カウンターに並んでいた冒険者たちが一斉に振り返る。酒場スペースで杯を傾けていた面々が、手を止めてこちらを見る。
視線が集まっている。
ヴァルゼンではなく——ヴァルゼン「たち」に。
(な、なんだこの空気は)
「おい、あのパーティだぜ。今日、あのダンジョンに入った——」
「マジかよ、帰ってきたのか。あそこの第四層、先月Bランクのパーティが壊滅したんだぞ」
「しかも全員無傷に見える……」
囁きが波紋のように広がっていく。ヴァルゼンは本能的に身を縮めた。
受付に立ったのはエルヴィンだった。報告書を手早く記入し、受付嬢——以前ヴァルゼンのギルドカードが計測不能を示して腰を抜かした、あの女性——に手渡す。
「ダンジョン第四層のボス、死霊甲冑を討伐した。六つのコアを全て破壊して完全消滅を確認している」
受付嬢の目が丸くなった。
「し、死霊甲冑を……!? あの討伐難度Aの……!?」
「ああ。だが俺一人の力じゃない」
エルヴィンが振り返り、ヴァルゼンを見た。
やめてくれ。頼むからやめてくれ。
「ヴァルゼンがいなければ、攻略は不可能だった」
(言った。言いやがった)
「ヴァルゼン……様? あの、ギルドカードが計測不能だった——」
「そうだ。あの魔王だ」
エルヴィンの声は大きい。元々大きいが、今日は特に大きい。ギルドホール全体に響き渡っている。
「ボス部屋が魔力吸収の罠だと一瞬で見抜き、迂回路からの奇襲を指示し、戦闘中はコアの弱点を後方から的確に分析して俺たちに伝えた。ヴァルゼンの指揮がなければ、俺たちは罠にかかって全滅していたかもしれない」
ギルドホールが、しん、と静まり返った。
そして——爆発した。
「ステータス計測不能の奴が、Aランクのボスを攻略指揮!?」
「マジかよ……やっぱあの計測不能ってぶっ壊れじゃなくて——」
「限界突破してんだろ。計器が追いつかないレベルの——」
「しかも自分は無傷って……前衛にすら出てないのに攻略完了……」
「それ、指揮官タイプの最上位じゃねえか」
声が渦巻いている。ヴァルゼンの胃が、きゅるりと音を立てた。
(胃が……胃が痛い……)
「あの魔王って人、何者なんだ?」
その囁きが、ヴァルゼンの耳にはっきりと届いた。
何者でもない。最弱の魔王だ。怖くて逃げていただけの、配下のゴブリンにすら舐められていた、史上最弱の——。
「ヴァルゼン殿」
受付嬢が居住まいを正し、改まった声で言った。
「本件の功績により、パーティの評価を大幅に引き上げさせていただきます。また、ヴァルゼン殿個人の評価についても——」
「い、いえ、僕は本当に何も——」
「ご謙遜を」
受付嬢の目が真剣だった。計測不能の一件以来、彼女はヴァルゼンに対して異様なほど丁寧になっている。
「ダンジョン第四層のボスを初見攻略した記録は、このギルド支部では過去十年で初めてです。しかも罠を事前に看破し、迂回策を立案した上での攻略——これは戦術評価としても最高ランクに値します」
胃が。胃がきりきりする。
ギルドホールを出た時には、もう町中に噂が広がり始めていた。
冒険者ギルドの酒場は情報の集散地だ。ダンジョンで何があったか、どのパーティが何をしたか、そういう話は酒の肴として光の速度で伝播する。
「なあ、聞いたか。あのステータス計測不能の魔王が——」
「後方から全体指揮してAランクのボスを初見攻略したらしいぜ」
「しかも自分は一切戦わなかったってよ。戦う必要がないってことだろ、あの実力なら」
「やべえな。何者だよ、あの魔王」
宿に戻る道すがら、ヴァルゼンは何度も立ち止まりそうになった。すれ違う冒険者の視線が刺さる。好奇、畏怖、興味——様々な色を帯びた視線が、小さな身体に突き刺さってくる。
「人気者だな、ヴァルゼン」
エルヴィンが楽しそうに言った。
(人気者じゃない。これは、虚構の上に築かれた砂の城だ)
「当然のことです」
グリゼルダが頷いた。
「ヴァルゼン様の実力が正当に評価され始めたに過ぎません」
(正当じゃない! 全部誤解だ!)
「噂の拡散速度と内容の変質を記録しています」
フェリクスが手帳にペンを走らせていた。
「面白いことに、伝播するたびに魔王殿の功績が増幅されている。三人目に伝わる頃には『一人でボスを倒した』になっていましたね」
(増幅しないで! 減衰してくれ! いや、消滅してくれ!)
「ヴァルゼン様」
ミラベルが心配そうにヴァルゼンの顔を覗き込んだ。
「お顔色が悪いです。お疲れではありませんか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ちょっと胃が——」
「ダンジョン攻略の疲労ですね。治癒魔法をかけましょう」
ミラベルの治癒の光がヴァルゼンを包んだ。温かく、柔らかい光。身体の疲労は確かに和らいだ。
だが胃痛は治らなかった。
これは身体の問題ではない。心の問題だ。治癒魔法では治せない。
宿の自室に戻り、ベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。木目が揺れる蝋燭の光に照らされて、不規則な模様を描いている。
(どうしてこうなった)
最弱の魔王が、勇者パーティに迎え入れられた。それだけでも奇跡のような出来事だった。安全な居場所が欲しかった。ただそれだけだった。
なのに今や、ギルド中に名前が知れ渡り、冒険者たちの間で「何者だ」と囁かれ、ステータス計測不能の謎の魔王として噂が拡散している。
(バレる。いつかバレる。こんな嘘——嘘ですらないけど——こんな誤解が、いつまでも持つはずがない)
胃がきゅるりと鳴った。
ノックの音がした。
「ヴァルゼン、夕食にしよう! 今日は攻略祝いだ! 一番いい料理を頼んだぞ!」
エルヴィンの声だ。壁越しでもわかるほど上機嫌な声。
「……はい、今行きます」
ヴァルゼンは身を起こし、胃を押さえながら扉に向かった。
扉を開けると、廊下にはエルヴィンだけでなく、グリゼルダもフェリクスもミラベルもいた。全員が、笑っていた。
「さあ行こう! 今夜は俺たちの勝利を祝う夜だ!」
「ヴァルゼン様、今日の戦い、本当に見事でした」
「記録は全て手帳に残してあります。後日、詳細な分析をお見せしますね」
「ヴァルゼン様、お隣いいですか?」
四人に囲まれて、ヴァルゼンは階下の食堂に向かった。
胃は痛い。噂は怖い。誤解はどんどん大きくなっている。
それでも——この四人の笑顔の中にいると、胃痛が少しだけ遠くなる気がした。
(僕は、この人たちに嘘をついている)
その罪悪感は、消えない。
(でも——もう少しだけ。もう少しだけ、この場所にいさせてください)
誰に頼んでいるのかもわからない祈りを、ヴァルゼンは胸の奥で繰り返した。




