後方で震えていただけなのに「司令塔」という評価を得た
後方で震えていただけなのに「司令塔」という評価を得た
迂回路は、予想以上に狭く暗かった。
フェリクスの解析によって発見された隠し通路は、大人一人がやっと通れるほどの幅しかない。グリゼルダは甲冑の肩当てが壁に擦れるたびに舌打ちし、エルヴィンは聖剣を横に構え直して身体を捩りながら進んでいた。
ヴァルゼンはパーティの最後尾を歩いていた。
正確には、歩かされていた。
「ヴァルゼン様は最後尾で全体を見ていてください」
グリゼルダの言葉だった。
「こちらのルートでボス部屋の側面に出るとすれば、奇襲が成立します。最前線は私とエルヴィンで十分。魔王殿には——全体の指揮を」
全体の指揮。
ヴァルゼンにできるのは、全体を見渡して震えることだけだった。
(最後尾って要するに一番安全な場所だろう。ありがたいけど理由が違いすぎる)
隠し通路を抜けた先は、ボス部屋の背面に繋がる石室だった。壁の一部が薄くなっており、向こう側に巨大な空間の気配が感じられる。
「壁の向こうにボスがいます」
フェリクスが囁いた。
「壁ごと破壊して突入すれば、封鎖術式は起動しません。正面の扉から入らない限り、空間封鎖は発動しない構造です」
「よし」
エルヴィンが聖剣に力を込めた。白銀の光が刃に宿る。
「グリゼルダ、突入と同時に左を取れ。俺が正面、フェリクスは支援魔術。ミラベルは回復待機。ヴァルゼンは——」
エルヴィンが振り返った。
「お前は後方で全体を見てくれ。俺たちの動きに、何か問題があれば教えてほしい」
(問題があっても僕にわかるわけないだろう!)
「わ、わかりました」
ヴァルゼンの声は、自分でも情けなくなるほど震えていた。
「行くぞ!」
エルヴィンの聖剣が壁を砕いた。
石壁が爆散し、粉塵の向こうに巨大な空間が広がる。円形のボス部屋の中央に、それは鎮座していた。
骸骨騎士の上位種——死霊甲冑。
朽ちた黒鉄の全身鎧が、中身のない空洞のまま立っている。兜の奥で紫色の炎が揺れ、巨大な戦斧を片手で軽々と構えていた。体躯はグリゼルダの二倍はある。
奇襲は成功した。
死霊甲冑がこちらを認識するまでの一瞬、エルヴィンの聖剣が閃光を描いて胸部に突き刺さり、グリゼルダの大剣が脚部を薙いだ。
しかし——倒れない。
死霊甲冑は体勢を崩しながらも戦斧を振り回し、衝撃波を撒き散らした。エルヴィンが剣で受け止め、地面を削りながら後退する。
「硬い——!」
「コアが胸部にありません!」
フェリクスが叫んだ。
「魔力の中核が分散しています! 胸・兜・両腕・両脚——六箇所にコアが存在する! 全て同時に破壊しなければ再生します!」
「六箇所だと!?」
戦闘が始まった。
ヴァルゼンは石室の入口——ボス部屋の背面の穴——に張りついて、震えていた。
文字通り、震えていた。
歯がカチカチと鳴り、膝が笑い、背中の壁に体重を預けなければ立っていられなかった。
目の前では凄まじい戦闘が繰り広げられている。エルヴィンの聖剣が閃光を放ち、グリゼルダの大剣が唸りを上げ、フェリクスの魔術が死霊甲冑の動きを牽制する。ミラベルの回復魔法が前衛の傷を癒し続ける。
ヴァルゼンは何もしていない。何もできない。
(怖い怖い怖い。でも逃げたらもっと怖い。ここにいろ。ここで震えていろ。邪魔だけはするな)
そう自分に言い聞かせて、ヴァルゼンは戦場を見つめ続けた。
だが——見つめているうちに、ヴァルゼンの目が「何か」を捉え始めた。
左腕のコアが光った直後に、死霊甲冑の動きが一瞬鈍る。右脚のコアが明滅すると、戦斧の軌道が微かに歪む。
それはヴァルゼンの魔力感知が無意識に拾い上げた情報だった。彼自身はそれを「なんとなく目についた」程度にしか認識していない。
「あ、あの——」
気がつけば声が出ていた。
「左腕が光った後、動きが遅くなる気がします……」
フェリクスが即座に反応した。
「左腕のコアが制御の起点! エルヴィン、左腕を先に!」
「おおっ!」
エルヴィンの聖剣が左腕の装甲を砕いた。紫の光が散り、死霊甲冑の動きが目に見えて鈍った。
「今です! 右脚も——右脚が光ると攻撃が変わる感じが——」
ヴァルゼンは自分が何を言っているのかよくわかっていなかった。ただ目に映ったものを口にしているだけだ。
だがフェリクスはその「ただの感想」を瞬時に戦術に変換した。
「右脚のコアが攻撃パターンの切り替えスイッチだ! グリゼルダ、右脚!」
「承知!」
グリゼルダの大剣が右脚を断った。
死霊甲冑がよろめく。戦斧が力を失い、床に突き刺さる。
「残りのコアを一気に!」
エルヴィンとグリゼルダが同時に踏み込み、胸部と兜のコアを砕いた。フェリクスの氷結魔術が残る右腕と左脚を凍結させ、内部のコアごと粉砕する。
六つの紫光が同時に消えた。
死霊甲冑が崩れ落ちる。黒鉄の装甲が床に散らばり、その中心で紫の炎が細く揺れ——消えた。
静寂。
ヴァルゼンは壁際で座り込んでいた。膝を抱え、額を膝に押しつけて、荒い呼吸を繰り返している。
「やったな!」
エルヴィンが拳を突き上げた。だがすぐにヴァルゼンの方を向き、満面の笑みを浮かべた。
「ヴァルゼン! お前の指示がなければ、あのコアの攻略順は見抜けなかった!」
「し、指示じゃなくて、ただ見えたものを言っただけで——」
「後方から全体を見渡し、最適なタイミングで最小限の言葉だけを与える」
フェリクスが手帳に書き込みながら、感嘆を隠さない声で言った。
「司令塔としての理想形です。しかも魔王殿の指示は、僕の解析より正確だった。左腕のコアが制御起点であること、右脚が攻撃パターン切り替えの要であること——あなたは六つのコアの機能的役割を、戦闘開始から数十秒で把握していた」
(してないしてないしてない! 怖くて固まってたら目についただけだ!)
「お見事です、ヴァルゼン様」
グリゼルダが再び甲冑の胸に拳を当てた。
「前線に出ず、後方から戦局を支配する。それが魔王の戦い方なのですね。私は今日、多くを学びました」
(学ばないで! 何も教えてないから!)
「ヴァルゼン様、お怪我は——」
ミラベルが駆け寄り、治癒の光を灯した。だが光はすぐに消えた。
「……あの激戦の最中に、かすり傷一つないんですね」
ミラベルの翡翠の瞳が揺れた。
「後方にいらしたのは、ご自身の安全のためではなく——皆を最も効率よく導ける位置だったからなのですね」
(安全のためです! 百パーセント安全のためです!)
「ヴァルゼン」
エルヴィンが歩み寄り、手を差し出した。
座り込んでいるヴァルゼンの目線から見上げると、逆光の中の勇者は途方もなく大きく見えた。
「立てるか?」
「……はい」
ヴァルゼンはその手を取った。
引き上げられる力は強く、温かかった。
「お前がいなかったら、俺たちは正面からボス部屋に突っ込んで、魔力を吸い尽くされていたかもしれない。迂回路を使ったのも、コアの弱点を見抜いたのも、全部お前のおかげだ」
「僕は——」
「謙遜するな。お前はいつもそうだ」
エルヴィンが笑った。太陽のような、眩しい笑顔だった。
「お前は最高の司令塔だ、ヴァルゼン」
ヴァルゼンは何も言えなかった。
否定する言葉は喉まで来ていた。「僕はただ怖かっただけです」「後方で震えていただけです」「何の役にも立っていません」——全部本当のことだ。
でも。
エルヴィンの手の温もりが、まだ掌に残っていた。
グリゼルダの敬礼が、目に焼きついていた。
フェリクスの感嘆が、耳に残っていた。
ミラベルの涙が、胸を締めつけていた。
(バレたら、全部終わる)
その恐怖は消えない。消えるはずがない。
でも——今だけは。
この温もりの中に、もう少しだけいたいと思った。




