賢者が僕の行動パターンを分析し始めた——嫌な予感しかしない
賢者が僕の行動パターンを分析し始めた——嫌な予感しかしない
異変に気づいたのは、三日前からだった。
フェリクスの視線が、やけに頻繁にこちらを向いている。
食事のとき。移動のとき。ギルドで依頼を選ぶとき。宿で休んでいるとき。
紺色のローブの賢者は、モノクルの奥の目を細めながら、常に手帳に何かを書き込んでいた。
——怖い。
あの人が一番怖い。
エルヴィンの誤解は単純だ。「すごい」と思い込んでいるだけで、深く考えてはいない。グリゼルダは直感型だから、理屈で説明しない。ミラベルは感情で動くから、論理的な検証はしない。
しかしフェリクスは違う。
あの男は、分析する。体系化する。法則を見出そうとする。
つまり——ボロが出る確率が、圧倒的に高い。
「魔王殿」
宿の食堂で朝食をとっていたとき、フェリクスが向かいの席に座った。
手帳を開いている。びっしりと文字が書き込まれた頁が見える。
「少しお時間をいただけますか」
逃げたい。
しかし逃げたら不審に思われる。ここは平静を装って——
「は、はい。なんでしょう」
声が裏返った。平静とは程遠い。
「この三日間、魔王殿の行動パターンを記録させていただきました」
——やっぱりそうだった。
「気づいておられましたか。さすがですね」
気づいていたというか、あからさまに見られていたので気づかないほうが難しい。
しかしフェリクスは、ヴァルゼンの怯えた表情を「全てお見通しだった」と解釈したようだった。
「結論から申し上げます」
フェリクスがモノクルを押し上げた。薄い笑みが、いつもより深い。
「魔王殿の行動には、偶然では説明できない法則性があります」
心臓が跳ねた。
「ほ、法則性……?」
「ええ。まず移動時のルート選択。魔王殿は常に最も安全な経路を選んでおられますが、その判断速度は異常です。僕の魔術解析で危険度を算出するのに三十秒かかる場面で、あなたは即座に正解を出す」
怖いところを避けているだけだ。
嫌な気配がする方角から逃げているだけだ。
「次に、人間関係。魔王殿は初対面の相手に対して、常に最適な距離感を取ります。昨日のギルド受付嬢への応対、一昨日の商人との交渉、三日前の訓練場での助言。すべてにおいて、相手が最も心を開く言葉を選んでいる」
それは単に、怒らせたくないから当たり障りのないことを言っているだけなのだが。
「そして最も興味深いのが、戦闘に関する行動です」
フェリクスが手帳の頁をめくった。
「魔王殿は戦闘が予測される場面で、必ず後方に下がります。これは一見すると——」
臆病だから。
「——司令官としての最適なポジショニングです」
違う。
「前衛に出ないのは、全体を俯瞰する必要があるから。後方に位置することで、味方の動きと敵の配置を同時に把握できる。軍略の教科書通りの布陣です」
軍略の教科書を読んだことすらない。
「しかし、最も恐ろしいのはですね、魔王殿」
フェリクスの声が、一段低くなった。
「これらすべてが、自然体で行われているということです」
「……え」
「計算して行っているなら、僕にも理解できます。だがあなたの行動には、思考の痕跡がない。迷いがない。つまり——」
フェリクスがモノクルの奥で目を光らせた。
「呼吸をするように最適解を出している。これはもう、才能というレベルではない。次元が違う」
——いやいやいやいや。
迷いがないのは、何も考えていないからだ。
怖いから逃げる。怒らせたくないから優しくする。戦いたくないから後ろに下がる。
それだけのことに、迷う余地などあるわけがない。
「フェリクス、あの、その……」
「ああ、お気遣いなく。僕の分析など、魔王殿にとっては退屈でしょう」
退屈ではない。恐怖だ。
「ですが一つだけ、確認させてください」
フェリクスが身を乗り出した。
「魔王殿は、ご自身の行動が周囲にどう映っているか、意識されていますか?」
質問の意図がわからなかった。
正直に答えるなら、「常にビクビクしている」だ。しかしそう答えたら——
「……いえ、特には」
曖昧に濁した。
フェリクスの目が、一瞬だけ鋭くなった。
「やはり。無意識、ですか」
手帳に何かを書き込む音が、やけに大きく聞こえた。
「ありがとうございます、魔王殿。大変参考になりました」
フェリクスが席を立った。
去り際に、小さく呟くのが聞こえた。
「偶然にしては、出来すぎている。だが意図的にしては、完璧すぎる。……面白い。実に面白い」
食堂に一人残されたヴァルゼンは、冷めたスープを見つめたまま動けなかった。
——終わった。
あの人に分析されたら、いつか必ずバレる。最弱だということが、全部バレる。
しかし皮肉なことに、フェリクスの分析は正反対の方向に暴走していた。
データは「最弱」を示している。しかしフェリクスの頭脳は、その単純な答えを受け入れることを拒んでいた。
「こんな単純なはずがない」——天才の知性が、自らを迷宮に閉じ込めていく。
昼過ぎ、ギルドのロビーで依頼書を眺めていたとき、エルヴィンが隣に来た。
「フェリクスがお前のことを研究しているらしいな」
「は、はい……少し、怖いです」
「はっはっは! あいつは知りたがりだからな。だが安心しろ、ヴァルゼン」
エルヴィンが、ヴァルゼンの肩をバンと叩いた。衝撃で椅子ごと揺れた。
「お前の底を、あいつ程度の分析で測れるはずがない」
底はとっくに見えている。底が浅すぎて、普通なら一目でわかるレベルだ。
それがわからないのは、このパーティの全員がおかしいからだ。
「そ、そうですかね……」
「ああ。俺は最初からわかっていた。お前は、測れない男だ」
ギルドカードが壊れただけです、とは死んでも言えなかった。
夜、宿の部屋で一人になったとき、ヴァルゼンは天井を見上げて呟いた。
「……どうしよう」
フェリクスの分析が進めば進むほど、誤解は深まっていく。
矛盾が積み重なるほど、「完璧な偽装」という結論が強化されていく。
真実に近づくほど、真実から遠ざかる。
それは救いなのか、地獄なのか。
ヴァルゼンには、判断がつかなかった。
枕に顔を埋めて、小さく叫んだ。
「嫌な予感しかしないんだよ……!」
その叫びが予言だったことを、翌日の依頼で思い知ることになる。




