「見学します」が「実力を見定めている」に翻訳された
「見学します」が「実力を見定めている」に翻訳された
冒険者ギルドの裏手に、訓練場がある。
石畳を敷いた広場に木製の人形が並び、朝もやの中で剣戟の音が響く。冒険者たちが日課の鍛錬に励む、活気ある空間だった。
ヴァルゼンは、その光景を柵の外から眺めていた。
「さあ、ヴァルゼン。今日は訓練をしよう」
エルヴィンが聖剣の柄を叩きながら、太陽のような笑顔で振り返る。朝日を浴びて金髪が輝いている。まぶしい。物理的に、まぶしい。
「いや、あの、その……僕は、見学で」
「見学?」
「は、はい。皆さんの訓練を、見学させていただければ……」
怖いのだ。
あの訓練場で剣を振ったら、自分の戦闘力が底辺であることが一瞬でバレる。木の人形すらまともに斬れない魔王の姿を晒したら、今日こそ終わりだ。
だから見学。安全な柵の外から見ているだけなら、少なくともボロは出ない。
それがヴァルゼンの、必死に考えた生存戦略だった。
「……なるほど」
エルヴィンが急に真顔になった。
「我々の実力を、見定めるつもりか」
違う。断じて違う。
「い、いえ、そういうわけでは——」
「構わない。むしろ望むところだ」
エルヴィンの碧眼が、燃えるような光を帯びた。
「俺たちの全力を見てもらおう。ヴァルゼン、お前の目に叶う戦いを見せてやる」
そう宣言すると、エルヴィンは訓練場の中央へ大股で歩いていった。
ヴァルゼンは柵に両手をかけたまま、石のように固まった。
——なんでそうなるんだよ。
見学。ただの見学。怖いから見ているだけ。それだけのことが、なぜ「実力を見定める」に翻訳されるのか。
この勇者の脳内辞書は、一体どういう構造をしているのだろう。
「グリゼルダ、聞いたか。ヴァルゼンが我々の訓練を評価してくださるそうだ」
「……承知した」
グリゼルダが大剣を抜き放った。
銀髪が風に流れ、蒼灰色の瞳に戦意が宿る。いつもの無愛想な表情が、ほんのわずかに引き締まっていた。
「ヴァルゼン様の眼前で無様は晒せん。全力でいく」
やめてくれ、と叫びたかった。
しかし声は出ない。グリゼルダの気迫が、文字通り言葉を飲み込ませた。
「僕もやりますよ」
フェリクスが手帳を閉じ、モノクルを指で押し上げた。薄い笑みを浮かべているが、目が笑っていない。
「魔王殿が観察するとなれば、手を抜くわけにはいきませんからね」
手帳に何か書いていた。今、確実に何か書いていた。
ヴァルゼンの背筋を、冷たいものが走り抜けた。
「ヴァルゼン様……! 私、頑張りますね……!」
ミラベルまでもが、翡翠色の瞳を潤ませながら拳を握っている。回復魔法の使い手なので戦闘訓練にはあまり関係ないはずだが、なぜか気合が入っている。
四人が訓練場に散った。
残されたヴァルゼンは、柵を握りしめたまま、小さく呻いた。
「……僕、ただ怖いだけなんですけど」
誰にも聞こえない呟きは、朝の空気に溶けて消えた。
訓練が始まった。
いや、訓練という言葉で括っていいのか疑わしい光景が展開された。
エルヴィンの聖剣が白い軌跡を描くたびに、木製の人形が音もなく両断される。それを受けてグリゼルダが大剣を地面に叩きつけると、石畳が蜘蛛の巣状にひび割れた。フェリクスは三つの魔術陣を同時に展開し、氷の槍と炎の壁を交互に生み出している。
ミラベルは後方で回復魔法の精度訓練をしていたが、淡い光の制御があまりにも繊細で、まるで宝石細工のようだった。
——すごい。
純粋に、そう思った。
同時に、絶望的な気持ちにもなった。
この人たちの仲間のふりをしている自分は、なんて場違いなのだろう。
あの訓練場に入ったら、木の人形に剣を弾かれて尻餅をつく未来しか見えない。
ヴァルゼンは無意識に、一人ひとりの動きを目で追っていた。
エルヴィンは踏み込みの瞬間に左足の軸がわずかにぶれる。グリゼルダは大剣の振り下ろし後、一瞬だけ右側の守りが薄くなる。フェリクスは三つ目の魔術陣を展開する際、詠唱が0.5秒ほど遅れる。
——あれ。
なぜ自分はそんなことに気づいているのだろう。
戦闘の素人のはずなのに。
それは魔王の血統がもたらす魔力感知の副産物だった。戦闘者としての眼ではなく、魔力の流れの「乱れ」を本能的に読み取っているだけだった。
しかし、ヴァルゼン本人にそんな自覚はない。
「ヴァルゼン様」
訓練を終えたグリゼルダが、額の汗を拭いながら柵の前に来た。
「いかがでしたか。……率直なご意見を伺いたい」
真剣な目だった。
歴戦の女騎士が、ヴァルゼンの評価を心から求めている。
逃げ場はない。何か言わなければ。
「あ、あの……グリゼルダさんは、その、大剣を振り下ろした後に……少しだけ、右が、空くかなって……」
勝手に口が動いた。
さっき無意識に感じ取ったことが、そのまま言葉になってしまった。
言った瞬間、後悔した。
偉そうなことを言ってしまった。怒られる。絶対に怒られる。
しかしグリゼルダの反応は、予想とまったく違った。
「——っ」
銀髪の女騎士が、息を呑んだ。
蒼灰色の瞳が大きく見開かれ、それからゆっくりと細められた。
「……やはり。ヴァルゼン様には、すべてお見通しでしたか」
グリゼルダが片膝をつく。
「あの隙は、私が長年克服できずにいる癖です。師にすら指摘されなかった弱点を、一目で見抜かれるとは」
違うのだ。
なんとなく魔力の流れが乱れていたから、口が滑っただけなのだ。
「エルヴィン。やはりこの方は只者ではない。訓練を一目見ただけで、私の最大の弱点を看破された」
グリゼルダの声が訓練場に響いた。
エルヴィンが目を輝かせ、フェリクスが手帳に猛然と書き込みを始め、ミラベルが感動の涙を流している。
「ヴァルゼン様……私たちのことを、ちゃんと見てくださっていたんですね……!」
ミラベルの言葉に、周囲の冒険者たちがざわめいた。
「おい、あの銀髪の計測不能の人だろ? 見学だけで弱点を見抜いたって?」
「やべえな……何者なんだよ、あの魔族」
噂が広がっていく。
ヴァルゼンは柵を握りしめたまま、目を逸らした。
——帰りたい。
心の底から、そう思った。
だが帰る場所は、もうこのパーティしかないのだった。
そしてこのパーティにいるためには、この誤解を壊すわけにはいかない。
訓練場の柵に背を預けたまま、ヴァルゼンは小さくため息をついた。
その姿を見た冒険者の一人が、隣の仲間に囁く。
「すげえ余裕だな、あの人。全員の弱点見抜いた上で、欠伸してやがる」
欠伸ではない。ため息だ。
しかしその訂正が届くことは、永遠にない。




