三章 二人の愛②
深呼吸をした。瞼を閉じてじんわりと広がる熱を、瞳に感じる。ややあって、カムパネラはスマホを手に取ると、通話を開始する。元々スマホに入っていた連絡先に、カムパネラは電話を掛けた。
「はいはい、いかがですか? あ、違った......。依頼についてですか? それとも異形狩りについてですか? いや待て、どちらも依頼じゃないか……」
受話器を取った人物は電話対応に慣れていないようだった。
「統括協会で悪魔派の依頼を受け付けた取繕者です。報酬について、相談というか、聞きたいことがあります」
「はいはい、あー確かに出してますね。今確認しました。それで、報酬について、とは一体どういったことですか? って、あーあこの記述じゃあ確かに何もわからないですね」
「ですからその確認をですね...」
「その前に、私も一つ確認しなければいけないことがあります。貴方、本当に依頼を受けるつもりあります? かなり危険な依頼になると、理解してます?」
「ええ。ですから質問に答えてください。報酬として、神文官と面会させてもらえますか? あの”顔のない”神文官にです」
「交渉すれば。ですが、本当にそんなことを聞くために連絡をしたのですか? 神文官なら比較的、会いやすいと思いますけど。あっ、内部の人間じゃないとダメなのか」
「……面会可能ということですね。わかりました、ありがとうございます」
「はい、依頼を達成してくれるなら大丈夫ですよ。でー満足いただけました?」
「ええ、依頼の詳細は直接、支部に向かえばいいのですか?」
「そうですね。支部って言ってもヨークタウンの支部ですからね。依頼はヨークタウンでのものですから」
その答えを聞いて、カムパネラが通話を切る。その後、張り詰めていた神経をほぐすように背もたれに深く寄り掛かった。車の天井を眺めているとぼんやり浮かんでくる景色。瞳が映す、信用ならないその光景をただ、眺めていた。身に覚えのない大昔に思えるそれは、自分が経験したものではないような気がしていた。カムパネラとして経験した記憶ではない。それならこれは、何なのだろうか。熟考しても何も浮かばない。そんなときは決まって
「どうでもいい。答えは見つけ出せる」
そう言って現実に戻る。無理矢理、ブツンとフィルムを切るように過去の幻影を振り払った。目を逸らして簡単に、頭の奥に仕舞い込める程度の記憶。さりとてそれは、思い出さなければいけない欠落であり、カムパネラにとっての”ナニカ”でもあった。そして記憶に近づくには、神文官である、あの不気味な人物に会わなければいけない。今から考えても憂鬱になる。
「チェリッシュ、準備しておいて」
「もう、仕事です? もう少し休もうよ」
「いいや、準備しておくんだ。家に戻ったらすぐに依頼に向かう」
問答無用で通話を切った。今度は緊張も何もせず淡々とした口調だった。チェリッシュを拾ってからも変わらず車を走らせ、悪魔派の拠点に向かっていた。
助手席のチェリッシュは、居心地悪く何度も姿勢を変えていた。無言の空間に耐えきれなくなっていたわけだ。首筋を掻いて気を紛らわせる。信号待ちをしているときだった。突然、カムパネラが口を開いた。
「今回の依頼は危険な依頼らしい。命に関わらないことを祈ろう」
「え? ああ、うん、そうだね!」
ビクッと脊髄反射で背が伸びると、身体が跳ねた。ビックリしたにしても、過剰な反応に思えるそれは、神経系に刻まれた反応のようにも思えるものだった。信号待ちの時間だけが、息苦しさを回避できる唯一の時間だったのに、信号は赤から変わって車に前進の合図を出した。
窓から覗く景色は凡庸で代り映えのない。あまりに退屈なその時間は、顎に突いた手が融合してしまうかのような時間だった。徐々にスピードを落として目的地に駐車するころには、肘からトコトコ歩いてきた痺れが、今や腕全体ではしゃいで回っていた。目を細めて軽いストレッチをすると一気に解放感が駆け巡り、空気も澄んで感じられた。ふと、隣を向き直ってみると、そこには浮かない表情をしたカムパネラが目についた。あまり笑顔を見せるタイプではないが、ここまで沈んだ表情は初めてだった。
「そんな浮かない顔してどしたの? これから依頼なんだからさ、外面良くいこうよ」
にぃーっ、と頬を人差し指で引き延ばしてやりすぎな笑顔を作った。白い歯をのぞかせるその姿は、仮装していないピエロに似ていた。化粧をしていないピエロ、つまりは不審者である。そんなツッコミどころ満載なボケにも軽く反応するだけで済ます。どうやら本当に何かあったようだ、と人差し指はそのままで、しょんぼりと下を向いた。
つかつかと早足で歩くと窓口についた。がそこは、窓口というにはあまりにも恐ろしい様相をしている。地下に続く少ない段数の階段。そこを降りると鉄で出来た、いつの時代かわからないほど古ぼけたセンスの扉があった。ノック用のリングを荒々しく叩きつけると覗き穴が開く。それは鉄格子と、まさに”悪魔”の拠点であった。
「依頼ですか?」
「依頼を受けた者です。あなたたち悪魔派の依頼です」
「連絡は来ていませんが」
「統括協会で依頼を見つけました。手続きは協会側で済ませて来ましたので」
「……何故受注が完全に済んでから来ないのですか」
ごもっともだ。焦っているのか視野が狭くなっている証拠である。
「依頼の詳細もわからないのに待っていられませんから」
「はぁ。とにかく、まあ、中に入ってください」
金属を擦る甲高い音が響くと扉が開いた。ギギギッと、蝶番が錆びているのか耳障りな音が響いた。重厚な扉のその先では、赤錆と血と酒の匂いが鼻をついた。嗅いだ経験もこれから嗅ぐ予定も無いようなその匂いは、外と内との完全な隔たりを感じた。バーというより酒場に近い見た目の内装は、数世代も前の”伝統”にも似た光景だった。薄汚いコートに身を包んだ、案内人と思しき人物に、テーブルへと連れられる。
「少し待っていてください。担当者を呼んで来ますので」
席に案内され椅子に座っていると、一人の青年が現れてカムパネラたちのテーブルへと近づいた。
「あなたが連絡をくれた人ですか? まさか本当に依頼を受けてくれるとは、これまたびっくりですね!」
快活なその青年は自然な笑顔で話を続けた。
「そうでしたそうでした、依頼書ですね! いけませんね忘れっぽくて。こちらが詳細になりますね!」
差し出された紙束を手に取った。するとチェリッシュが、怪訝な眼差しを青年に向けた。
「なんで詳細を載せて無いの。これじゃあ、物好きかイカれ頭しか依頼を受けないだろうに」
「大っぴらに公開できない内容でしてね! 我々、悪魔派だけの問題でもないのでね」
「どういうこと? あっ、依頼書読めばいいのか」
「依頼書にも書いてますが、これには”天使派”も一枚噛んでるんですよね。ですから内密にということです。裏切らない人間が必要なのに外に手助けを求めてるんですよね! 我ながら情けないですね!」
後ろ髪を掻きながらワハハと軽快に笑う。周りは誰一人として笑顔ではなかったが、目の前の青年だけはずっと笑顔だ。ここまで笑顔が続くと少し恐怖でもある。そして依頼書に目を通したカムパネラが要点を押さえて質問をした。
「つまり、ここに載っている二人を捕縛すればいいんですね?」
「そうなります! 最悪、生死は問いません。自分たちの安全が著しく脅かされたのなら、仕方がありませんから」
「……この二人を追う理由を聞いても?」
「『悪魔派』も『天使派』も、秘密主義な結社です。一抜けしたからと言って野放しにはできません。それも、この二人はかなり深いところに関わっていましたからね」
「その”深い”理由についてはやっぱり教えてくんないの?」
「残念ですが、そうです。お答えできません」
二本指をおちょくるように動かしたチェリッシュに、キッパリと断った。張り付いた笑顔は健在だった。声色が少し低くなると、これまでの社交用の声帯ではないとわかる。仮面の奥には果たして、何が押さえつけられているというのか。
詮索は危険だと判断したカムパネラは、紙束を手にすると席を立った。ワンテンポ遅れるがつられてチェリッシュも立ち上がる。慌ててその後ろをついて行く。鉄の扉に手を掛けたところで一言、引き止められた。
「カムパネラさん。一つ、いいですか? ああ、お連れの、貴女は先に外へ出てもらって構いませんよ」
「なに、私だけ仲間はずれ? まあいいよ。私は外で待ってるよーん」
外と違ってどんよりとした空気に、これ以上長く留まればアテられてしまうだろう。赤錆が鼻の奥まで覆ってしまう前にと、足早に外へ逃げる。階段に座って数分間待っていると、カムパネラは出てきた。
死んだような顔は初めからだったが、今は完全に病人のような顔つきだった。虚な瞳は下に向いており、考えているのかいないのか判別付かない。にも関わらず足取りは軽快で迷いなく歩いていた。アンバランスなカムパネラの状況に詮索を避けて、チェリッシュは目を逸らした。顔の向きは変えず、視線だけをほんの少し、カムパネラからズラしていたのだ。
「何があったとかは聞かないけどさ、今からもう働くの?」
「ああ。彼ら、報酬を約束してくれたからね。私とチェリッシュの二人分をね」
「えぇー、やっぱり明日からにしない?」
「早く動いた方がいい。でないとターゲットがこの街から逃げてしまうかもしれないから」
「なんか必死じゃない?」
「それほど大事なんだ。私にとって、大事な事なんだよ」
興味はなかった。相手の事情に首を突っ込むほど人の繋がりに飢えてはいない。それに、チェリッシュは面倒ごとが好きでは無い。階段から立ち上がると背中を丸めて気怠げに歩き始める。車に戻ると、二人は装備を点検した。これから避けられない争いが待っていると、薄々気がついていたのだ。
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