二章 幽霊の屋敷③
ギシ、ギシと軋む音。後ろを振り向くとチェリッシュが後を追ってついてくるのがわかった。突然注がれた視線に、何のことだかわからないチェリッシュは大型犬のように疑問符を浮かべて首を傾げた。
「あ、ううん。違う違う」
自分を納得させるような回答。頭を振って否定を示した。何に対してかはわからないが。
「何がさ。急に人の顔見といて、『違う違う~』って。あ、もしかして、階段の悲鳴を私のせいにしたいんだ!」
人差し指の指し示す先にはカムパネラがいる。図星。ピタッと立ち止まってしまっては、認めているようなものだ。この後をどう取り繕うとも、先に示した行動がすべてであろう。「そうじゃないよ」と極めて平静を装うにもすべてが手遅れ。口元に手を当てて笑いを押し殺すチェリッシュを、できるだけ見ないようにしよう。そうすれば赤く染まった頬を見られることもない。
踏み出す足を半歩、また半歩と大股にしていく。すると一段飛ばしが限界のことに気づく。身体が温まってくると呼吸も弾んできた。一気に上り切ろう。そう考えると、足に入る力も自然と力強さが増してくる。
「ちょっと張り切りすぎ、カムパネラ。何があるかわからないんだからそんなに急がなくても」
「だからこそだよ。下にいる幽霊がノーアクションな今がチャンスってわけ」
と、とりあえずは言ってみたものの、カムパネラは単純にそこまで頭が回っていなかった。これまで、幽霊が直接的なアクションを、自分たちにしてきたことはなかった。初めに目にしたときも、驚かす目的も、攻撃する意思も感じられなかった。思い出してみれば、これまで出会った幽霊は皆、意識があるような振舞いはしていなかった。階段の、しかもあと少しで屋根裏に到達するその直前でカムパネラは足を止めた。そのため、背中にぶつかるチェリッシュ。カムパネラの背中のせいで鼻がじんじんと痛む。多少赤くなった鼻を押さえた。
「なんでここで止まるのさ……」
くぐもった声からは溜息が混じっているようにも感じられた。顎に手を当てて前を向き続けるカムパネラには届かないが、眉をひそめて訝しむ。まるで近づきがたい不審者を見るような目つきであった。
「ねぇチェリッシュ。幽霊ってみんな目的があると思う?」
「ん? 映画とかアニメだとそうだよね。復讐とか固執とか。色々理由があってこの世に残ってるというか」
「じゃあこの家の幽霊って何が目的だと思う。何かに固執してるのかな」
「さあ。驚かしたいんじゃないの? だってこれまでも、突然現れてすぐ消えてたし」
「それだけなんだよ、逆に。驚かしたいのならもっと、こう……なにかあるでしょ。行動だけ見れば目的が透明すぎるんだよ」
「急にそれっぽいじゃん、どしたのさ。ま、特別な理由なんてなくて生きてたころの行動を反復してるだけなんじゃないの。死んだことないからわかんないよ」
両腕を広げて左右に揺らす。クラゲのようにゆらゆらと空中を漂っている自由のダンス。その問答の後、カムパネラがドアを開いた。押し込む腕が徐々に暗がりの中に吸い込まれていった。お役御免で手のひらに眠っていたフラッシュライトのお尻を、パチッと叩くと光が放たれた。
埃やカビの臭いを鼻から吸収すると咳で数回、喉を鳴らした。顔の前で、無意味とわかっていながら空気を回して循環させる。部屋がカビ臭いのだから空気を循環させても、新鮮になったのは相変わらずカビた空気だけだ。
フラッシュライトが照らす先には梁と蜘蛛の巣があるばかりで、なんともありきたりな二人の共演に少し、カムパネラは肩を落としてしまう。それから前方に向けて照射を試みると、何やら魔法陣らしきものを目にすることとなった。躊躇いもしないでずかずか近づくカムパネラは、腰に付けたバックの中身を手探る。
「なーにか楽しそうなものでも見たかった?」
チェリッシュがひょこっと顔を覗かせた。
「ああ、魔法陣だ。おそらくこれが幽霊の正体だろう。まったくなんだ、幽霊じゃなくて魔術じゃないか」
呆れた声をわざと出した。心の中ではホッと、胸を撫で下ろしていたわけだが。脚を止めると同時にバックから腕を引っ込めた。そしてその手には一枚の布が握られていた。魔術的な刻印でも刻まれた特別な布だろうか。微かなワクワクを秘めてチェリッシュはのぞき続ける。
がその表情はすぐに引きつった。細目で見るのは、両膝をついて地面を擦るカムパネラの姿だった。汚れた床を、きれいに水拭きする学生のようなその姿に落胆を覚える。
「なんか、そんな力技で消すの、それ」
「何か便利な道具でもあると思った? 残念。原始的な解決が一番なんだよ、こういうのは」
「とゆーかそれ、擦って消えるの? 彫られてるわけじゃないけど、チョーク?」
「いやわからない。けれど少しも取れてる感じがしない…」
「ダメじゃん!」
「こんなこともあろうかと研磨剤があるんだ」
「こんなこと普通は想定しないでしょ。ってそれはヤスリじゃない。カバンにパンパンに物詰まってる感じ?」
「まぁそんなところだね」
そうして取り出したのはヤスリだった。カムパネラは削れるものは全て研磨剤だと思っているようだ。チェリッシュも膝を折り、カムパネラの隣に寄り添った。それでも見ているだけで手を動かそうとか、そういった様子は見られない。ぼーっとただ眺めるているだけだった。
ガリガリガリガリと、げっ歯類のように木材を削る音が絶え間ない。懸命に動かす腕はやがて腱鞘炎にでもなってしまいそうな具合である。それでも多少削れていくのを見るに、原始的解決法もあながちバカにできないのかもしれない。と、カムパネラが手を止めた。まだ半分どころか重なった円環の繋がりを絶っただけなのに、形は保たれたままなのに。急いで顔を上げて見ると、やり切った空気感を出して額を拭うカムパネラ。魔法陣と交互に見直す首が、段々と痛くなってくる。
「これでいいの? まだまだ残ってるよ!」
「十分でしょう。これで魔法陣なんてもう機能しないよ」
「え? そんなこと、ある?」
「あるある。魔法陣なんて完全な形じゃないと発動しないだろうからね」
「そうなの?」
「魔術協会の元所属だよね? 魔法使わないフィジカル頼りなの?」
「あんまり詳しくは知らないし知る必要もなくない?」
「……まぁ、製作者が特別な施しをしてないとこれで効力は失われると思うよ」
ピョンと跳ねて魔法陣の真ん中に立った。その場で足踏み、ジャンプ、スプリントをしてみるが、何かが発動する様子はなかった。そこから出て、スマホを片手に写真を一枚撮った。「削る前に撮れば良かったかな」と顎を触りながら呟く。が、やってしまってはどうしようもない。これで変化は訪れるだろう。後は、あの意識のない幽霊たちがまだ出現するか。それを確認さえすれば良いだろう。
屋根裏部屋と階下を隔てるドアを開くと微かな明かりが差し込み、フラッシュライトは電源を消される。スリープモードにされると、物の詰まったカバンに押し込まれた。
そして入ったときと同様のルートで玄関を目指す。すると結果はどうか。全く変わり映えの無い同様の体験が待っていた。結論として、魔法陣が機能を停止しても幽霊は現れた。
「結局、魔法陣が根本じゃなかったんじゃないの?」
「そうだよね…だって魔法陣はあれで機能停止するはずだから。もしかして、プロテクターでもあったのかな…」
「関係なかったんだよ、魔法陣はさ。はあーあ振り出しにもどったねぇ」
「アプローチを変えるしか…」
落胆するカムパネラを置いて、チェリッシュは幽霊を出現させた。こうも何度も目にしていると、嫌でも出現条件程度は理解してしまうものだ。境界線、あるいはスイッチがあり、それが起動して幽霊が現れる。一種のトラップと読んでも良いだろう。そのトラップの上を、反復横跳びでもするように遊ぶチェリッシュ。
触れられないのに共に遊ぼうとする意味不明な行動をみていると、ある視点を手に入れた。身長を小さく目線を低く。単純な、簡単な思考と欲望で体を動かす。それは子供の視点。カムパネラには覚えのない、最も純粋な人間の形。子供視線に立って物事を見てみると、先ほどとはだいぶ違った見解が生まれてくる。
「この幽霊たちって、ただ遊んでいるだけにも見えるかも?」
「えぇ? なんか言った?」
「ただ遊んでいるように見えないかな。その幽霊たち。玄関ではおいかけっこ、リビングでは親と戯れたり、おもちゃの取り合いをしてたり。なんかそういう風には見えない?」
「言われてみればね。でも、それで何かわかるの? そこが分かったり予測できても、幽霊を消し去ることには繋がらないんじゃない?」
「それは......まあ。なにかの役には立つかもしれない。それに、もし本当にそうだったら家主の思い出かもしれない。それを消すのは、プロじゃない......かも、しれない」
「ふーん。でも依頼の内容は幽霊を追い払うことでしょ。だったらそれに従うしかないんじゃない? これ以上時間無駄にしたところで意味はないように思うけどもね」
何も言葉が出なかった。毒を吐くには妥当な意見に思えたし、これ以上長引かせても発見はない。依頼に沿った行動をするべきであるのに自分の能力を証明しようと、一瞬でも思ってしまった。この瞬間においてはチェリッシュの方が取繕者として正しい。踏み入らず無駄をせず、淡々と依頼に従事しる。それでいいのだ。取繕者など、その程度の価値の仕事でしかない。"極める”には、探究するには向かないものだ。
それから、屋根裏のような肉体労働で一つ一つの魔法陣や魔法を削っていった。目に見える分をすべて取り除き、依頼者に報告をした。すると彼女は感謝を一つだけし早々に通話を切断した。「報酬金は振り込んでおきましたので」そう言ってブツンと切られた。なんでだか、口の中がよく乾いている気がした。
「これで依頼終了! いやー新しいとこに来て早々に依頼を一つ片づけるなんて幸先がいいねぇ。よし、それじゃあサブマリンブレットに行こう。早くしてよ、カムパネラ」
伸びをして太陽に挨拶をするように上を向いた。対照的に、カムパネラは考え込んだように下を向いて歩いていた。頭の中でぐるぐると考えてしまう。意味も無いのに、なぜか思考が止められない。これでいいと片付いたのにだ。名前を、自分の名前を呼ばれて現実に引き戻った。馬鹿みたいに俯いていても本物のバカには勝てない。
今は、祝杯を上げない? そう言われて手を引かれた。
「どしたの? 急に腕伸ばして。そんなはしゃいでちゃ、事故っちゃうよ」
「何でもない。まぁ、いいか。サブマリンブレットね。ここからどう行くっけ?」
手のひらで人差し指を滑らせて説明するチェリッシュは随分と熱が入っていた。あみだくじみたいに複雑に指を動かす。自然と、カムパネラもその説明に聞き入っていた。
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