四章 魔術儀式の参加者たち
雑多な部屋の中で、チェリッシュは片目を閉じて空中をスワイプしていた。インプラントが空中に、彼女にしか見えない画面を映し出していたのだ。スマホをなぞる様に指で下にスクロールする。目的は一件のメールであった。悪魔派からの報酬確認メールを、憂鬱な気分で眺めた。
別に人の命を奪うのも見殺しにしたのも初めてではない。むしろ多い。取繕者をやっていると、こんな悲劇は悲劇とも呼ばない。呼ばなくなってくる。それなのに、チェリッシュには数日前の一件が堪えた。
過去を擬えたような悲劇。守ろうとしたのに、結局、何も守れず失った。それはある種のトラウマであり、チェリッシュにとってはありふれた”事件”ではなくて堪えようもない”悲劇”だったからだ。
それでも一日は過ぎる。時間は否応なく立ち去っていく。風化してほしくない思いも記憶も、全ては過去になっていく。それがとても嫌だった。でも振り向いていない内だけは、普通でいられる。だから今日も、普通の一日が始まる。閉じていた瞳を開いて部屋を出た。あの依頼から、カムパネラには会っていなかった。おそらく4日から5日ほどだろう。軽く息を吐いて隣の部屋に向かう。
すると、外にいても聞こえてくるほどの怒号が響いていた。多少の好奇心と共にカムパネラの部屋に入ると、そこには我を失ったカムパネラと悪魔派の人物がいた。案内をしてくれた静かで冷静なあの取繕者だった。見たことのない怒りと焦燥感に駆られたカムパネラは実際、恐ろしいまでに荒々しい。
が驚いたのは、カムパネラが軽々と、その取繕者を持ち上げ、カレンダーが飾ってある壁に押し付けていたことだ。襟首を両腕で掴んで、今にも噛みつきそうな顔で問い詰める。荒事に強い悪魔派でも、流石に冷や汗をかいている。
「お、落ち着いてください! 今は面会できないだけで、後から時間は作ります! お約束しますから離してください!」
「な、あんたなあ! 私は、私は要求通りに動いただろ! それが5日もなんの連絡も無くいきなりここに来て今は会えません? ふざけるなよ! 私がどんな思いでアレを抜いたのか知らないだろ!」
「ええ、存じません! ですが報酬はお約束しています! 神文官にも伝達はしております! ですから少しだけ時間を……ッグ!」
「今すぐにだ! でないと、私は……わたしは………」
そう呟いて、カムパネラの両腕から力が抜けていった。目を見開いて茫然自失としている彼女と、首を撫でてゴホゴホと咳き込む悪魔派の案内人。
「もう一度掛け合ってみますよ。もう少し早く面会できるようにね」
と最後に残して、カムパネラの部屋から逃げるように去った。残されたカムパネラ。それからふらつき、支えを失ったかのように、壁にもたれてだらりと座り込む。片手で顔を押さえて俯く。肩まである髪のせいで、視線がどこに向いているかわからない。
「ねぇ、私は、どうなってた? 覚えている、と思うんだ。でも、断片的で、継ぎ接ぎな感じがして……。それでも、殺したことは覚えてる。そこは……多分……忘れてない」
「すごい手際だったよ。二人が重なった瞬間に合わせて刀を振ってたからね。まあ、一朝一夕で出来る技術じゃないのは確かだね」
肩をすくめて言った。視線を逸らして斜め上を見ながら、そう言った。カムパネラは感情の読めない声で一言「そう」と言って、また黙り込んでしまう。明かりのつけていない部屋の暗さが、心を表していた。玄関を境界線として、暗がりの中に居座った。
そんな居心地の悪い沈黙を断ち切るようにタイプライターが動き出した。このタイプライターにアクセス出来るのは、直接上の魔術協会のみだ。それ以外はここのアドレスを知らない。
さっきまでの落ち込みが嘘であるかのようにスッと立ち上がり、邪魔なソファと机の間を通って、タイプライターのところまで歩く。ピリオドのついたその紙を乱雑に切り取ってそれを読み始める。もちろん無言でだ。チェリッシュはタイプライターが書き出した内容を、のぞき込むように見た。
「魔術協会からの依頼だ。また依頼......本当に、嫌になるな」
やつれたような表情からは疲れた声が出ていた。
「誰がこの依頼を? またマルコス?」
「ヨリノブだ。あの爺さん、いつまでも私のことを都合よく使うみたいだね」
乱暴な言葉使いだった。すさんだ精神状態はまだまだ不安定というべきか、抑うつ的というべきか。紙を持ったまま、カムパネラはソファに寝転んだ。力尽きたというより何もかも面倒くさくなった時のような仕草。チェリッシュは極めて平静に言葉を投げる。
「引きずっても仕方がないよ。次の仕事が入ったんだから、それに向けて動かないとさ」
「わからないだろうな。いやいい、別に喧嘩がしたくて言ったわけでもない。悪い、忘れてくれるかな?」
本当に仕方がない、わがままなんだね。
「黙れ!」
がばっと起き上がると、玄関の方に視線を向けて、そう叫び出す。まるで狂犬のようだ。突然の豹変ぶりに、おどけた冗談を飲み込み、チェリッシュも身を引いて固まった。粗い呼吸をして辺りを見回しても誰もいない。でも確かにチェリッシュ以外の誰かの声が、カムパネラの耳には届いていた。顔を覆って呼吸を整える。その間もブツブツと、何か独り言を言っていたが。それは呪いの言葉のようなものだったのだろう。チェリッシュには聞こえない。聞かないことにした。
「そうだね。仕事を、しよう。また、何でもない一日を生きるべきだ」
なんだか自分に言い聞かせているようにも見える。頭を押さえて寝室に向かうと、仕事着に着替えて戻ってきた。顔色は随分と悪いが、それでも先ほどよりは幾分か生気が戻っている。カムパネラが平気を装うなら、チェリッシュも順応するしかない。ただ、今までのように簡単には接することは出来なくなるだろう。少なくとも、秘密を明かさない限りは。
「それでさ、依頼の内容はどんなの。よく読めなかったからさ」
「最近、魔術協会が担当した事件があってね。それの後処理だってさ。たぶん、処理部隊と合同作業だね」
「うげぇ。だって処理部隊ってことはさぁ………臭いよね。グロテスクなこと多いし」
「正解だね。自分たちの身体を合成しようとした馬鹿共の後処理だよ。このまま放置しても、肉が腐るだけだろうからね」
「本当にサイアク。今からでも遅くないよ、戻ろう。家に」
「直々に依頼が来ているんだ。逃げられない」
意気消沈した助手席の相棒は放置して、今は現場に急行しよう。といっても、急ぐ必要などどこにもないのだが。
着いたのは古ぼけた教会。コケやツタが外壁に生育してるのを見るに、長い間放置されていた教会なのだろう。石造りで昔の意匠を感じるが、ただ模しただけの現代品だろう。その証拠に、教会を囲う柵には機械式のインターホンが付いていた。中に入ると、ほのかに臭いがやってきた。鼻を掻いてささやかな抵抗をした。隣のチェリッシュは、五感が鋭いのか今にも吐き出しそうになっている。祭壇と思しき奥の台の前に、オレンジ色の防護服を着た人物と口元を覆うマスクを付けた人物が目に入った。
「ねぇ、あの二人ずるくない?」
「ああ、文句をつけてこよう。でもこれ以上入り込みたくないな。臭いが、キツすぎる」
そろそろ我慢の限界を迎えようとしていた。人間が、いくら環境に適応できるからといっても限度はある。この鼻に入り込む腐肉の香りは、あまりにも不愉快だ。それに気が付いてくれたのか、口元をマスクで隠した人物が、こちらに気が付いた。ツカツカと歩いて目の前まで来ると、手招きして外に出た。それならば初めから外で話してくれていればとも思ったが、とりあえずついていく。
外にも臭いは漂っているが、新鮮な空気故、ここなら思いきり深呼吸ができる。そして手招きをして本人は、マスクに手を掛けるとそれを外した。
「直接会うのは久しぶりですね、カムパネラさん」
「アスター? なんで君がここに」
「王律探偵館からの依頼です。カムパネラさんも、もしかして依頼ですか?」
「ああ、魔術協会からのね。なんでも後処理らしいけど、君は違うんだろ? 探偵館は魔術儀式に興味でもあるのかな?」
「ええ、儀式もありますが、用があるのは儀式参加者の所持品です。元から王律探偵館が目を付けていた人物が参加していましてね。ああ、魔術協会側にはすでに知らせてあります。心配しないでください」
「そんな心配はしていないが、それなら君たちも手伝ってくれるのか」
「残念ながら、探偵館が寄越したのは私一人だけです。できる限り協力はしますが、肉体労働は期待しないでください」
「まあいい、とにかく早く始めよう。そして早く終わらせよう。でないと、鼻がおかしくなってしまいそうだ」
また教会の中に入って、今度は祭壇に近づいた。強烈な悪臭のせいで鼻がひん曲がった。オレンジ色の処理部隊が慌てて防具を取り出してくるが、カムパネラはそれを受け取らない。なんだか、負けた気分になるからだ。一方のチェリッシュは一瞬で着替えてオレンジ色になっていた。一通りの準備を終えたのち、処理部隊の一人がブリーフィングを始めた。汚れた手袋でバインダーを捲る。
「カムパネラさん、チェリッシュさん、今回はご協力ありがとうございます。実行内容としましては、この地下にある儀式参加者の融合体と、儀式の際に張り巡らされた肉線の除去および回収になります。分担としましては、地下での除去作業者、地上での回収作業者、最後に洗浄作業者という形になります。そこで、お二人にはその”力”を活かして地下の作業を担当してもらいたいです。我々では引きはがせない肉もありますので、お願いします」
「私はどうすればいいですか? 一人だけ何もしないのは少し良心が傷つきますので」
「班長でいいかい? それで、アスターも地下に連れていくよ。人手は多いに越したことはないからね」
「は! ちょちょっとカムパネラさん!? 私じゃ足手まといに……」
「賛成ー。二人だけはちょっと厳しいから!」
「処理部隊の数人も地下で作業しますが、本職の取繕者が三人は心強いですね。そうしましょう。それでは、これから作業開始します。みなさん、くれぐれも安全に気を付けて作業してください」
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