第89話 どうして
藤堂秀司は目の前に立った優菜を見てかつて北晋国の家にいた時のように顔を緩めた。
悪意のない笑顔。
彼にとっては自宅であろうが戦場であろうが、そこに変化はなかった。
優菜はというと、彼の正面に辿りつくまでににかなりの体力を消耗させられ汗だくになっていた。
顎を伝う汗を手の甲で拭い、息を上げながら心底憎む相手を睨みつける。
けれどもう、藤堂秀司の興味の対象は優菜から隣に立つヒナへと変えられていた。
そこにも悪意は存在しなかった。
「あの状況からよくここまで持ってきたとは思っていたが、なるほど、ヒナちゃんが美珠姫だったとは、よく出来た話だ」
紗伊那の姫という存在に親しみを込めた瞳を向ける藤堂秀司の視線の端に倒れゆく夏野の姿が見えた。
そしてこの国の次の主となるべき男は、凶悪な笑みを作りあげながら夏野に躊躇なく止めを刺す。
「しかしなあ、あれがこの次のこの国の主だと? 笑わせる。私の方が相応しいだろうに」
振り返った優菜が見たのは自慢げな顔をして手を振る蕗岐だった。
「そう? 苦労人だし、いい人だよ。
一人で戦わなきゃと思っててた俺には、支えてくれる人がたくさんいた。あの人を含めてね。
何もないと思ってたけど、実際沢山守るものがあった。だからここまで来れた」
「なるほど」
冷静に分析する藤堂秀司はどのような戦況になっても顔色一つ変えなかった。
「完全に私の負けか」
そこには悲しみや悔しさなど存在しなかった。
静かな表情で、ただ首をかしげる。
どこで何を間違えたのか再計算しているのだ。
優菜にはそれが我慢ならなかった。
これはあそびじゃない。
命を懸けた戦争なのだ。
「そうだ、お前のそのただの遊びの延長みたいなこんなもののせいで、俺は沢山失くしもした」
「遊び」
ふん、とつまらなさそうに藤堂秀司は鼻をならす。
「別に遊びであったわけではないさ。私はただお前との勝負したかっただけだよ。真剣に。私かお前かどちらが優秀なのか。お前だって楽しかっただろ?
地図をみて、軍を置いて、戦闘になればどのような戦略、戦術を立てようかと思案しただろう?
そしてそれが楽しくて仕方なかったはずだ。
しかし、お前に先に紗伊那の軍を取られたのが、失敗だったな。あんな破壊力抜群の軍隊」
「紗伊那は破壊を好むわけじゃないわ!」
ヒナが叫んだが、藤堂秀司の耳に入ってはいないようだった。
「何一つ執着できない私がやっと見つけた『藤堂優菜』という人間。神の子だとあの藤堂優太郎は言ってはいたが、どちらが神の子かできるところまで試したかっただけだ。この大陸を初めて統一した人間として名を残してな」
「お前は、姉ちゃんや父さん達に言う言葉はないのかよ」
「別に、何もないな」
「お前は!」
優菜はあまりにも許せなくて、殴ってやろうと詰め寄った。
殴って全てすっきりするわけではないけれど、衝動的に動いていた。
すると藤堂秀司の口元が小さく歪み、それと同時に誰かが優菜を押しのけた。
「優菜! この馬鹿が」
黒い毛の固まりが足元に崩れ落ちる。
挑発だったのだと気付いた頃には遅かった。
足元に黒い犬が横たわっていた。
その腹から漏れる血と鼻を掠める鉄っぽい匂い。
「先生!」
すぐに悲鳴を上げてしゃがみこんだヒナはとっさに流れる血を手で押さえた。
けれど脈打つのと同時に血は外へと流れ出し雪を染めた。
「先生! しっかりして、優菜、どうしよう!」
「先生! お前!」
もう一度藤堂秀司へと顔を向けると、その袖口から仕込まれた銃が見えた。
(こいつが無防備なわけない)
分かっていたはずなのに、こんなことにも気付かなかった。
気づけなかった。
優菜が目を見開いたまま立ち尽くしていると、ワンコ先生は血を流しながら手を優菜へと伸ばしてくる。
「たたか……え」
以前、藤堂秀司を目の前にして友の死が尾を引いて動けなくなり、先生に叱られた。
今回もそうなるなとまるで釘をさされているようだった。
(どれだけこいつは俺から大切なものを奪う!)
怒りで拳を震わせながらヒナへと声をかける。
「ヒナ、頼む、先生連れて下がってて」
「でも!」
「先生を早くワンコ兄さんに託して!」
涙が頬を伝った。
こいつはどれだけ自分から大切なものを奪うのだろう。
優菜は声にならない声で叫ぶと、殴りかかった。
手にすべての気持をぶつけて。
それは避けたはずの藤堂秀司の足を捕らえ、気の塊が足の骨を折った。
「っく!」
「くっそ、お前は! お前のせいで! どれだけ」
気を込めてなぐり続ける。
無抵抗の藤堂秀司の頭はその衝撃で左右に振られ、やがて地面に落ちた。
ぐったりと倒れた男にもう一撃加えようとした時だった。
「優菜、やめて! お父さんを殴らないで!」
(どうしてこんなところにいるんだろう。
どうしてそんな声が聞こえるんだろう)
見覚えのあるツインテールが戦場でみえた。
理解する前にはもう小さな体が藤堂秀司にまきついていた。
(なんでこんな戦争している真っ只中に!)
状況が飲み込めず振り返ると丸顔の秋野が笑っている。
既にヒナの護衛である珠利という女に完膚なきまでに叩きのめされ、顔中血まみれで腫れ上がっていたけれど、そのしたり顔をみれば分かる。
王城から、優真をかどわかしたのだ。
「どうして、優菜、お父さんを殴るの? どうして!」
何も事情を知らない優真はまるで悪いのは優菜だと言わんばかりに怒鳴りつけてくる。
今、藤堂秀司が無抵抗だったのは優菜が一方的に殴っているのを優真に見せ付けるためだったのだ。
どこまでいっても卑怯なこの男には人の心などないのだ。
優菜はそう思った。
「優真、そこをどけ!」
「嫌! 優菜こそ、何してるのよ!」
すると後ろから藤堂秀司が体を起こし、まるで優真を抱きしめるように包み込んだ。
優菜に殴られ目じりや口から血を零す父の顔を子供らしい柄物のハンカチで丁寧に拭くと優真は涙を瞳一杯にためて父を見つめた。
「お父さん! 大丈夫?」
「優真、やっと会えたな。お父さん、ずっとお前を探してたんだ。優真」
そんな嘘やめろ、と優菜は叫びたくなった。
そいつは人間じゃないと。
心なんか持ってないんだと。
けれど優真はそんな父親にしがみついていた。
優真にとってみれば、優しくて頼りになる大好きな父親。
会えずにいた父とやっと出会えたのだ。
藤堂秀司は優菜へと顔をあげた。
優真の後頭部に仕込んだ銃をあてながら。
「お父さん、お父さん」
優真はそんなこと何も知らずただ久しぶりにあった父親に甘えていた。
「優真」
そう言って優菜を見上げた顔は醜悪そのものでだった。
優菜が動けずにいるとその仕込んだ銃を今度は優菜へと向ける。
それは正確に額を狙っていた。
(俺の負け……なのか?)
そう思った瞬間に色々なことが走馬灯のようによぎった。
父のこと。
姉のこと。
優真のこと。
ヒナのこと。
おじいちゃんのこと。
ワンコ先生のこと。
高校のこと。
ありとあらゆることが浮かんでくる。
ニヤリと藤堂秀司の口元がいやらしく歪み、引き金が引かれた瞬間、優菜に何かがかぶさった。
「うわ!」
もつれて雪の上に転んだ優菜の上にはヒナが乗っていた。
身を挺して庇ってくれたのだ。
一国の姫が、自分という存在を。
もし当たったら、万が一当たり所が悪かったら……。
嫌な汗が流れて、立場をどうおもってるんだと問い詰めたくなったが、その小さな体が愛しくて仕方なかった。
一方、藤堂秀司にも何かが覆いかぶさっていた。
人質に取られた優真を庇うように体を入れて。
「お父さん!」
事情が飲み込めない優真が悲鳴を上げてその何かの中でもがくように体を動かして藤堂秀司へと目を向けた時、全てが静止していた。
藤堂秀司は無表情でそこに座っていた。
「お父さん? 大丈夫?」
その呼びかけの一瞬後、藤堂秀司は血を吐き、そのまま動かなくなっていた。
「お父さん! ねえお父さん!」
「優真、落ち着いて!」
優真を庇ったのはフレイと操る桂。
そして……藤堂秀司を襲ったのは彼の忠臣であったはずの春野だった。
藤堂秀司が銃を放つ時、拳法の達人春野が藤堂秀司と優真の間に体をすべりこませ、藤堂秀司の心臓を殴りつけた。
一方放り出された優真をフレイが包んだ。
優菜は藤堂秀司をみて心臓を潰されたのだとすぐに理解した。
緻密な策略家の驚くほどあっけない最後だった。
もっとあがいたり苦しんだりすると思っていたのに。
そして最後には姉や父に対して謝罪の言葉を言わせようと思っていたのに。
そんなこと一切起こらなかった。
けれどすぐに優真は血を吐いた父親を見て、悲鳴を上げた。
両手で抱えるように抱きしめる桂を突き飛ばし、育ての父へと駆け寄ってゆこうとする。
そんな優真を優菜は引き寄せた。
それから姉の変わりにきつくきつく抱きしめた。
何度も何度も優真は藤堂秀司をお父さんと叫んで、声をあげて、それから春野を見上げて怒鳴りつけた。
「どうして! どうして! 慎一さん、お父さんの部下でしょ? お父さんに何したの? お父さんの為に戦って! 優菜、お父さんを助けて! お願いだから、お父さんを!」
「もう無理だよ」
後にも先にも結局優菜がいえたのはそれだけ。
その一方で、優菜へと顔を向けた春野の顔は驚くほど落ち着いたものだった。
「こちらの敗北だ、投降しよう」
藤堂秀司が死に、軍の司令官となった春野は何の弁解もすることなくそう口を開いた。
本当の父親は自分で、優真を守るために殺したのだ、そんな一言を告げることもなく。
正午に始まった戦闘は、夕方には全て終了した。
戦死者は殆どでなかった。
やはり兵士達の間にも同族を殺したくないという意識が働いたのだろうか。
それとも圧倒的な軍事力というのが功を奏したのだろうか。
戦闘が終結した時、優菜は救護幕へといって先生の様子を見にいった。
魔央曰く、命に別状はないとのことで、すぐに腹に包帯をまいたワンコが担架に乗せられ姿を見せた。
「戦えたか?」
先生の第一声はそれだった。
「戦えなかった。俺、また守られた」
「お前は弟子になったばかりだからな。仕方ない」
きっと先生に向けた顔はひどい顔に違いない。
優菜は思った。
先生は前足を自分に向けてくる。
優菜は手であるはずのその足を取った。
「ヒナと一緒に育って行けばいいことだ」
「うん」
そんなもう一つの手を誰かが繋いだ。
もう、誰の手か見なくても分かる。
「俺、絶対、強くなる。これから、絶対に」
「一緒に頑張ろう、優菜」
そんな優しい言葉が心に沁みた。




