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第86話 凄く深い底の見えない沼

「え? 明日帰るの?」


 白亜の宮の居間で夕食を取っていた蕗伎は、持参した酒の栓を力いっぱい引き上げつつ、質問に大きく頷いた。

 彼の視線の先には早く飲ませろとグラスを差し出す祥伽と、チラチラと騎士団長達に目配せした後、おずおずとグラスを差し出すヒナがいた。


「うん、俺だけ先に帰るよ。上皇様のこともあるし。でも、うちの可愛い参謀優菜はあと一日置いてく。この国と協力して戦うということになれば少し協議も必要だからね」


 蕗伎の視線を感じて優菜が顔を上げると、ヒナに誘われ席を共にした六騎士団長達も優菜へと視線を送っていた。


「あ、はい。今のこの状態ならば北晋国の戦力だけで勝てるとは思います。でも、今回のうちの大将はご存知のようにちょっと特殊な人間でして、できればこの国、もしくは秦奈国で今まで留学をしていたという嘘で塗り固める予定です。

 国の危機を聞きつけ紗伊那の姫、秦奈国の王子である友人の協力を何とかとりつけ国に戻ったとしたほうが聞こえがいいので。

 本来ならば、紗伊那の皆様に戦ってもらう必要はありませんが、折角ですので戦争に彩りをつけていただきたいとは思います」


「彩とはまた悠長なことだな、そんなことに紗伊那が使われるとは」


 いつも愛想のない教会騎士団長の言葉に優菜は溜息をついた。


(この人、喋りにくいな。誰にだったらちゃんと喋れるんだよ、全く。花瓶割ってベソかいてたんだろ?)

 

 どんな風にこの無表情な顔を歪ませてベソをかくのか、先生に教えてもらいたいところではあったけれど、優菜はあえて今回その話題にはふれず、静かに、けれど最も説得力のある内容を口にすることにした。


「自分が戦場にでたら、絶対くっついてくる人、いると思いませんか? 信頼して北晋上皇軍に預けてくださるなら構いませんが」


 騎士団長達の目は一瞬にしてヒナへと向いていた。

 そのヒナは優菜の言葉に関心すら持たず一心に酒を煽っていた。


「国王陛下、教皇様、将軍閣下には明日お時間を頂き、我々が直にお話させていただく予定です。もちろん美珠姫には後方で……ん?」


 手を引かれ、目を向けるとワンコ先生だった。

 輝く瞳を向けて、机の上にある羊の香草焼きをねだっているようだった。


(あの今、俺、折角、格好つけて話してたんですけど、先生、空気読んで)


 優菜は最後まで格好をつけられず、犬に従う形で取りざらに取るとワンコ先生の前に置いた。


「先生、人間に戻ればいいのに。なかなか男前だしさあ」


「この姿の方が何かと都合がいいんだ」


 先生はおいしそうに肉をさらえると、次は肉球でグラスを持って酒を喉に流し込んだ。


    *


 部屋にある妙に豪華な大理石の風呂から出て、信じられないほどふんわりしたタオルで頭を拭きつつベットに目をやるとそこにはヒナがいた。

 とろんとした顔をしながら、優菜が東和商会本店で手に入れた姫の恋の本を眺めていた。


「ヒナ、ここにいたの?」


「うん。何か戦争に行くって思ったら、落ちつかなくて。だから今日は優菜と一緒に寝ようと思って」


(な、なに、その展開!)


 優菜はバクバク音を立てる心臓をなでつけ、ヒナの隣に腰掛けてヒナの読む本をほんのちょこっと盗み見た。

 それは魔法騎士団長との恋の話だった。

 人が勝手に書いたワンコ兄さんとヒナの恋の物語。

 本の中のワンコ兄さんは一癖ある魔法使いのようだった。


「こんなの全然違うわ。ちょっとムカつく」


 ヒナとしての口調で口を尖らせ本を寝台の隣に置くと、転がって天井を見上げる。

 そんなヒナの隣に優菜も寝転んでみた。


「人のことを知らないから、あんな勝手なことが書けるのね。そういえば……あのね、怒らないできいてね」


「うん」


「優菜のこと、わかってるはずなのに分からない時がある。凄く深い底の見えない沼に見えるときがあるの。裏がないように見えて、でも、それが全て裏だったみたいな……なんていえばいいのか分からないけど」


「考えすぎじゃない? きっと」


「ううん。違う、初めて会った時から優菜は私が思いもしないようなことを沢山沢山考えてた。どれくらい先のことを、何十年先のことを考えているのかわからないくらい」


 優菜は隣に転がるヒナの手を握ってみた。

 柔らかい手だった。

 こんな手を握れるなんてヒナに出会うまで考えたこともなかった。


「ヒナは俺にとって光なんだよ」


「嫌よ、私、そういう崇拝嫌いなの。私は一人の人間なんだもの」


「崇拝? 違うよ。これは俺の感覚。ヒナは光で、俺は影。そうしてたいんだ。俺が光なんてまずないし。だって俺にあんな騎士団長達の華やかさ、ないしね」


「そうかしら? 優菜可愛い顔してるじゃない」


「それ、全然褒めてないし。俺はヒナの隣にいて、裏方としてヒナの思う国を作る。それが俺の夢なんだ。

 どんな手を使っていたとしてもヒナを裏切ることはしない。確かにヒナに何も言わず行動をすることはあるかもしれない。でも、でも、信じていて欲しい」


「当たり前じゃない」


 即答だった。

 この少女は人を疑うことなんてあるのだろうか。

 その素直さがヒナ、いや姫の長所なのだろう。

 だったらその長所を生かすために、自分が沢山疑えばいい。


「ヒナはちゃんと王の器がある。ヒナはどしんと構えていればいいんだよ。俺が謀りごとなら引き受けるから。ヒナ、ううん、美珠姫の行く道は王道だ。徳と仁で国を治める。でも、俺が行くのは覇道だ。謀略や武力で国を治める」


 そんな言葉にヒナは小首をかしげてから、優菜へと視線を送った。


「よくわからないけど、でも、辛いときはちゃんと私と半分こしてね。一人で抱え込まないでね」


「うん。嬉しいことも半分こにするから」


 寝返りを打って、両手でヒナを引き寄せる。

 艶やかな黒髪が両腕にサラリとふれた。


「ヒナ、好きだ」


「私も、優菜」


 目を閉じたヒナの柔らかい唇に唇を合わせる。

 可愛らしいこの唇も、愛らしい瞳も、口付けたら僅かにもれる色っぽい吐息も、今自分が独占しているのだ。

 大国の姫、美珠姫のこんな無防備な姿、誰が見たというんだろう。

 見た男はきっと皆、虜になってしまうかもしれない。


(どうしよう、止まらなくなってきた。このまま、もう突っ走りたい)


「優菜、あの」


 吐息交じりに名前を呼ばれた瞬間、理性なるものははじけとんだ。

 体を起こしてヒナの頬を撫でる。


「美珠」

 

 そう呼ぶと嬉しそうに頬を緩める。

 そしてヒナの服に手を掛けた途端、誰かが思いっきり扉を開けた。

 そこにいたのは阿修羅のような顔をした女。

 部屋にいないと探しまわった主は男に組み敷かれていた。


「美珠様がいないと思ったら! この腐れ外道が」


「珠利!」


 主が慌てて叫んでも、もうその従者に声は届かない。

 一方、腐れ外道呼ばわりされた男は体中に汗をかいていた。


(くっそ、またこんな所人に見られた! 何だよ! 腐れ外道って!)

 

「成敗してくれる!」


 とんでもない速さで抜身の一撃が頭上に振り下ろされる。

 優菜は何とか体を翻し、それを避けると、相手を見据えた。

 けれどその時には既に目の前に足が見えていた。


(速!)


 けが人だと思って油断した。

 姫を守るだけの剣術を持った女は容赦なく優菜の頬をけりつけると、ヒナを布団から引き摺りだした。


「私の目の黒いうちは絶対にさせないからね! 全く」


 優菜は一人寝台の上に取り残され呆然とヒナを見送った。

 正直止めてもらえてよかったと思う。

 本気でことに及びそうになった。


「絶対に先生にどやされる」


    *


「優菜に施した術。あんなもの魔術書以外で初めてみましたよ」


 満ちた月に姿を浮かべながらワインに口をつけていた黒犬は声に振り返りもせず、チーズを口に運ぶ。

 犬になってからというもの、乳製品には目がなくなっていた。

 以前は酒のつまみなど必要なかったというのに。

 第一の弟子はそんな師匠の変化も知らず、グラスにワインを注いで、そして隣に腰掛けた。

 犬と人の影が伸びていた。


「優菜の呼吸と心臓は一瞬でも完全に止まったんですね。あの竜仙の襲撃で」


「あの銃というものの威力を私は正直しらなかったが、臓腑をズタズタにされていた」


「で、貴方は持てるもの全てであの子を助けた。そう、人の姿を失ってしまうくらい」


「人に戻れないのは一時の話だろう。いずれまた戻れる」


「そんな確証どこにあるんです?」


 ワンコ先生こと魔宗の施した術は彼すら存在しかしらなかった術。

 間違えれば優菜だけでなく自分の命も奪われてしまうというおそろしい術だった。

 けれど目の前に弟子の血に染まった体がある、そんな状態で術を使うことに迷いはなく、結果、弟子の体に魔法陣が残ったものの成功したのだ。

 ただ、成功したのは良いが自分の体もまた副作用として思うように動かなくなっていた。


「私から不気味さがなくなれば、何が残る」


「態度のでかさ、ではないですか?」


 ワンコ先生は思いっきり弟子をにらみつけると、その弟子はあろうことか師匠を心配しているようだった。

 

「ご無理をなさらないで、戦場にただの犬がいくのは無茶です」


「自分の蒔いた種だ。見届けなくてはな。行く末を」


「そうですか。ではこの話はなしにしましょう。貴方は貴方のおもうように生きていかれるんでしょうから。

 ああ、あと、優菜の感じが少し変わった気がします。貴方が纏うような陰の気を持ってる」


 するとワンコ先生はワイングラスを飲み干し、ペロリと口を赤い舌で嘗め回し、笑った。


「お前はやはりまだ『大して強くない』だな。あれのもともと陰の気をはらんでいた。全てを覆い隠すような嘘で自分を固めてな。助けてもらったのは美珠姫だけではない。あれも美珠姫の陽の気で人間として成長している。本当に可愛い弟子だ。あれは」


「愛するの間違いではないですか?」


「お前のように弟子に手を出す愚か者ではないぞ、私は」


 ワンコ先生は鼻で笑うと月をただ優しく見ていた。


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