第85話 優菜ちゃんのお陰だよ。国明も感謝しろよ
やれそうなことをやり終えた後、優菜はさりげなく査問委員会に紛れ込んでみた。
北晋国の人間というよりも、ヒナ絡みとして認識されているせいか顔見知りになった騎士団長達はそこに優菜がいることに嫌悪を抱くこともなかった。
それ以外には国の大臣たち、要職につく官吏がずらりと勢ぞろいして一様に険しい顔を浮かべている。
『国王騎士副団長が北晋国と繋がっていた』
それがこの委員会の議題。
色々な思惑と静寂が支配するその部屋に突然、そぐわぬ格好で優菜の膝に上がってきたのはワンコ先生だった。
どこで遊んだのかドロドロのまま。
「服汚れる! 先生! あ、踏まないで!」
優菜の懇願に知らぬ顔をしてワンコ先生が体を振ると、隣に座っていた見知らぬ文官が泥攻撃に巻き込まれ悲鳴をあげて飛びのいた。
「ちょ、先生どろが飛んでる! あわわ、ごめんなさい! 躾がなってなくて! 先生、何、優真と遊んでたの?」
何で犬なんて連れてきた、そんな目をする周囲の人に頭を下げて先生を押さえつける。
けれど当の本人、いや犬は気にもしてないようだった。
「あんまり寂しそうにするからな。泥遊びをしてやっていた。楽しかったぞ! 童心にかえったようだ。……しかし、どうにかならんか。これは」
「さあ、どうだろう」
後方の扉が開き、魔法騎士に取り囲まれながらも涼しい顔をした国王騎士副団長が入ってくる。
自分のやったことは間違ってはいない、そう顔に書いてある。
それは本心か、それとも他人を逆撫でするためか。
それから僅かな時を置いて、国王、教皇、そして美珠姫が姿を見せた。
「では、これから査問委員会を始める」
開会を宣言し、事務の人間が罪状が読み上げられようとした時、声があがった。
止めたのは国明。
彼は王族の前に進み出ると、跪き迷いのない声を張り上げた。
「今回のこの件について、私の不道徳が引き起こしたところ。どうか、私の命一つでお許しいただきたい」
その言葉が出たとたん、ヒナは身を乗り出してあからさまに不快な顔をした。
そんな姫に気付いているのかいないのか国明は尚も続ける。
「ただお許しいただけるのであれば、騎士ではなくとも、一人の武人として藤堂秀司の討伐には参加させていただきたい。罰はその後で、何でも受ける所存です」
王は臣の言葉に厳しい顔をしたまま黙っていた。
部下である副団長が敵と通じていた。
監督不行き届きといわれても仕方ないだろうし、彼の場合妻もまた問題を引き起こしている。
確かにこのまま団長として居座らせるのも後々また問題が噴出してくるのだろう。
(で、王様の答えは?)
誰もが言葉を待っていた。
けれど、そんな中低い笑い声が聞こえてくる。
目を遣ると、それは誰あろう副官だった。
「そんな甘いことを言っているから、騎士団も統制できないんですよ。ねえ、奇麗事はやめましょうよ、もう貴方の命一つでどうなる問題でもないんだから」
とてつもない事態であるのに鼻で笑ったのは副団長だった。
そんな副団長に年下の上司である団長がぴしゃりと一言。
「副団長、お前は黙っていろ」
けれど彼はそんな命令をきくこともない。
「いいえ、言わせていただきますよ。もうこの際だから。私は昔から貴方が気に入らなかった。王の右腕の息子として寵愛を受け、親の七光りともいうべき力で騎士になった貴方がね。力に溺れ、礼儀も何もしらず、ただただ無礼なだけの貴方をみていると反吐がでそうだった。だから、貴方を落として騎士団長になるために北晋国に全てを売った。
まあ、姫が生きておられて、新米騎士に話を聞かれていたのは誤算でしたがね。だからって貴方に一矢報いてやれるのならこれほど嬉しいことはない。一緒に落ちていきましょうよ。気に食わないあなたの一族郎党みんなでね」
誰も言葉を出せなかった。
まるで気持の悪い呪いを聞かされているようで、優菜も固唾を呑んで行く先を見送った。
けれど国明は毅然と首を振った。
「ご存知の通り私は先日まで闇の中にいた。騎士団長であるのにその職務を全く果たせていなかった。その時に騎士を束ねていたのは副団長の国廣です。私がしっかりしていれば、こんなことを彼にさせずにすんだ。こんな嫌な役をさせずに済みました。どうか、どうか寛大なご処置を!」
(この団長、やっぱり分かってるんだ)
優菜は息を吐くと、泥で汚れた先生を席において立ち上がった。
視線が注がれる。
「あの、えっと、北晋国の優菜といいます。発言の許可を」
進行役の事務に顔を向けると、進行役は王へと顔を向けた。
王はやってみろと言いたげに静かに頷く。
「北晋国上皇軍といたしましても確認したい点がいくつかありますので、よろしければ、藤堂秀司の一の部下、春野と国王騎士副団長の証言を比べてもよろしいでしょうか」
その提案に教皇は国王と顔を見合わせて、しばし思案したもののやがて許可した。
程なくしてつれてこられた春野の前に優菜は立った。
自分の使ったカードがどう動くのか、少し緊張が走る。
「ちょっと聞きたいことがあります。答えて下さい」
優菜は右手に父から譲られた羽毛の扇を手にして問いかけてみた。
春野の視線は一度それに注がれ、懐かしいと小さく呟いてから頷いた。
「この人をご存知ですか?」
「国王騎士団副団長殿だろう。国境で何度かお目にかかったことはある」
「国境で。それはどういう用件であったんです?」
「紗伊那の姫について伺った。噂の跡継ぎ姫だ、気になるに決まっている」
良し、と言いたげに扇がヒラリと返った。
「それで? こちらのお答えは?」
「いつも同じ、姫は王都で公務に励んでいらっしゃるということだ」
「それ以外何か?」
「別に。交渉は決裂していてね。こちらがどれほど足しげく通ってもつき返されることばかりだった。たまに雑談から入って、情報を得ようとしてもな」
「雑談、ですかどういう?」
「あとはそうだな。世界の歌姫玲那のことか」
事情を知る者たちの表情が一瞬にして変わる。
玲那は王に毒を盛ろうとした。
この春野に息子を人質に取られて。
つまり春野は国王騎士団長の命綱を握っている。
その危険な道を避けて通ろうとしているのに、どうして言わせるのかという色々な人からの無言の圧力を優菜は笑顔でかわした。
「どういったことを?」
「彼女が国に凱旋帰国し、その公演が大好評だったということくらいだ」
害にならぬその証言に終始したことがわかるとヒナは目を瞬かせた。
その一方で、優菜は不思議そうに首をかしげてみせる。
「どうして副団長と春野さんのおっしゃってることが違うんでしょう。こちらの副団長は貴方と通じていて、こんな目にあってるというのに」
「さあな、紗伊那は使者である私まで落としいれようとしているのか? 私は藤堂の一の部下だからな。消すことができれば、紗伊那は少しでも有利に動けるだろう。だが、残念なことに、私は彼から国の話を聞いたことはない。だからさっさとこの縄を解いて返して欲しいのだがね」
春野は嫌味まじりにそういって部屋を見回した。
「私は使者だ。紗伊那は使者を捕らえるのか? 殺すのか? 紗伊那との交渉決裂をはやく主につたえなくてはいけないのだからな」
「解放してさしあげて」
ヒナの声だった。
騎士達はそれぞれの主をうかがうと王と教皇も顔を見合わせ、そして頷いた。
魔法の拘束が解かれ、手首をさする春野と優菜の瞳が交わる。
「優菜……きっと次に会う時、その日がお前か藤堂秀司、どちらかが死ぬ日だ」
「死ぬ気はないよ」
春野のそんな予言めいた言葉に口を尖らせると、春野は薄く笑い足早に出て行った。
「なんだったんだ、これは」
重要なものが全て抜き取られた査問委員会を遠巻きに見ていた祥伽はばからしいと言い捨てて、優菜へと視線を送る。
「君、一体何を」
驚いたように声を発した国廣に優菜は笑みを見せ、そして口を彼の耳元まで持ってゆき囁いた。
「じゃあ、天秤にかけましょうか。我々だけが知っている限りなく黒に近いあなたのやったことが明るみに出たことによるこの国の士気の低下と、我々の心に、ほんの少しだけ残るわだかまりによるこの国の士気の低下。この戦争状態、国を想うあなたならどちらを選択されますか?」
結局全てが不問となり、国王は麓珠と国明へと視線を送り息をつくと、教皇の肩を叩いて部屋から退出する。
大臣たちもいそいそと退席してゆく。
残ったのはヒナ、騎士団長達と、そして相馬、珠利だった。
相馬はさっそく少し嬉しそうに国明の肩を叩いた。
「ひやあ、よかった、よかった。優菜ちゃんのお陰だよ。国明も感謝しろよ」
(だから! 優菜ちゃんって何だよ。超気持わるいし。こいつ)
「ねえ、国明、あのさあ、あの騎士の新人二人も不問にしてあげてね。あの二人は国を守るために私に竜を貸してくれたんだし」
精一杯の気持を小さな声で進言した珠利の体に抱きつきながらヒナが口調を強くする。
「あたりまえじゃない。ね、国明さん。あなたそこまで鬼畜ではありませんよね」
「さあ、どうでしょう」
国明も立ち上がり、ヒナと目が合うと顔を緩めた。
(俺の前でいちゃいちゃすんなよ! こら!)
「しかしあの使者がどうしてあんなことを。どうせなら紗伊那の士気を下げたほうがいいだろうに。君の見せたあの切り札は、ものすごく効果があったということか?」
そんな光東の言葉に優菜は軽く頭を下げて部屋を出た。
*
「あ、慎一おじさん!」
春野はその声に足を止めた。
前から走ってきたのは優真と玲那の息子、里だった。
「優真ちゃん、こんにちは」
「慎一おじさん、こんにちは。どうしてここにいるの? お父さんも一緒?」
後ろからは女官がついてきて、様子を探っていた。
春野はそんなこと気にもせず、優真の頭を撫でる。
ただただずっと。
父親の部下である春野を優真が春野おじさんと呼ぶことはない。
藤堂秀司がそう教えても、優子が本当の名前で呼ぶようにと教え込んだためだ。
「ここは楽しいか?」
「うん、広すぎて迷子になることもあるけど、楽しい。でも、お父さんに会いたいな。お父さんと一緒に暮らしたい」
「お父さんが好きか?」
「うん。大好き」
そんな言葉に少し目を細め、それから思い出したように手を叩いた。
「そうか。そうだ、優真ちゃん、お父さんに何か伝えておこうか?」
「優真は元気にしてるから、お父さんもお仕事頑張ってって、それで、早く迎えにきてねって」
「分かった。ちゃんと伝えておくよ。じゃあね、優真ちゃん」
手を振って歩いてゆく春野を優真も嬉しそうにずっと手を振って見送った。
優菜はピンクの字の書かれたノートを開いた。
姉と慎一の交換日記だった。
表紙に六とかかれてあるあたりどうやら六冊目のようで、あのサバサバした姉らしくなくシールや絵が一杯描かれていた。
それを読み進めてみる。
時期は姉達が高校三年生の秋から冬までだった。
優菜がこのノートに目を通すのは実は二回目。
小学生の頃、毎日姉があまりにも楽しそうに書くからこっそり盗み見てやった。
高校三年生の時にはすでに医者を志し、父の知り合いの先生に弟子入りまでしていたが冬に体を壊したのを覚えている。
そして父と母と毎日相談していたのも知ってる。
姉は妊娠していたのだ。
「赤ちゃんの名前は二人の名前をくっつけた名前がいいな」
ある日の日記にはそう書かれていた。
「俺は学校を出たらバリバリ働いて、ユウコリンと生まれてくる赤ちゃんを守るから」
二人の日記には希望が溢れていた。
慎一はどうやらその後、父に師事しながら働くことを決めたようで給料のことなども書いてあった。
けれどその日記は途中で終っている。
姉が高校三年生の冬。
藤堂秀司との結婚が決まったのもその時期だ。
時期的に生まれてきたのは優真に間違いない。
そして優菜にとってもよい兄貴分で優しかった人間は突然、義理兄の部下になった。
慎一は優菜に恥ずかしい交換日記を声に出して読まれることを恐れたわけではない。
ここに書いてある優真の出生を声にされたくはなかったのだ。
あの三人に何があったのかは優菜はしらない。
姉と藤堂秀司は不仲ではなかったし、姉がそれ以降慎一と浮気していたというのも見てはない。
もちろん慎一が忍んできたこともない。
全てきっちりうまく回っていた。
姉は藤堂秀司の妻として、
慎一は藤堂秀司の部下として、
そして藤堂秀司は夫として上司として、うまく歯車が回っていたのだ。
けれど蕗伎の話では、姉を殺したのは慎一だという。
何があったのか、あの二人に。
「何で姉ちゃんを殺したのさ、慎一さん」
優菜はノートを閉じて部屋を飛び出た。
*
「何か、悶々としているようだな」
優菜は白亜の宮に練習場を見つけて体を動かしていた。
頭の中の嫌なものを打ち消すために、一人で。
突然の声に振り返るとそこにいたのは真っ黒い甲冑を着た男だった。
「ああ、暗守さん。ちょっと色々考えてたら頭痛くなってきて」
必死な自分を見られていたのが恥ずかしくて頭を掻くと、フッと優しい笑いが聞こえてきた。
「そうか、そういうときは体を動かすのが一番だな。私もなまっていたところだ。少し相手を願えるか」
「はい! 是非」
騎士団長を相手に稽古ができる。
興奮しつつ、優菜は構える。
相手が見せた武器は優菜が持つことはない白銀の斧。
優菜は早速相手めがけて走り出した。
相手は重量たっぷり、一撃の当たればかなりの攻撃にはなるだろうがそれを避けさえすれば自分に勝ち目がある。
(まあ向うはそんなこと百も承知だろうけど)
斧を避けて一発拳を胴に打ち込むが、異常に強い金属には衝撃を与えられてはいなかった。
そして振り下ろされた斧を避ける。
斧は地面にめりこんだ。
(ひい、とんでもない破壊力だ)
今、両手両足に先生からまた補強してもらったグローブとブーツをつけてる。
けれどそれでも、この強度の高い金属が割れるかどうか。
優菜は踏み切ると今度はブーツで兜を蹴ってみた。
けれど自分の足が痛むだけ。
「その鎧、強すぎませんか?」
「ああ、もともと暗黒騎士の鎧は最強だが、それを更に魔法騎士が補強している」
「そんなの、反則だ」
すると暗守は兜の中で笑って、そして兜を持ち上げた。
この世のものとは思えない色の髪が流れ落ちた。
優菜はその色を見たことがある。
ヒナと花畑で話をしている彼を後ろから盗みみたのだ。
そのまま引き上げられた兜から見えたのは髪と同じ青と銀がかった瞳。
けれどもう一つ印象的なのは彼の左の額にあるぱっくりと割れた痕。
それは古いものではなく、新しいものだった。
「何だ? この姿が気持ち悪いか?」
「あ、いや、そんなんじゃなくて、なんか綺麗な色だなって」
すると暗守は笑って、鎧を外してゆく。
優菜はちゃんと相手をしてくれるために鎧を外してくれていることが分かると、少し嬉しくなった。
「昔、美珠様も私の姿をはじめて見たとき、そうおっしゃって下さった。私はこの外見に自信がなくてな。けれど、あの一言がとても嬉しかった」
そして履物がないからか、重い鉄靴だけ履いたままで、暗守は斧を再び持ち上げた。
薄い木綿の白いシャツ越しに筋肉が見える。
半端ではない鍛え上げられた筋肉。
それは優菜とは全く違う質のもの。
「さあ、やるか」
「ええ。お願いします」
鎧がなくなって与えられた威圧感はなくなった。
けれど格段に相手の速度は上がっている。
優菜は兎に角、我武者羅に頭も使わず突っ込んでいった。
今だけはいつも頭先から入ってしまう自分を捨てるように。
「お疲れ様」
優菜がばてて座り込むと魔央が二人に水の入ったグラスを用意してくれていた。
「兄さん、いつの間に」
「派手な稽古だったから、見てたんだ」
暗守はそんな同僚に礼を述べ、一気に水を飲み込むと息を吐いた。
「お前はまだ未熟だが、未熟だからこそ、こっちも本気で戦わないといけないと思える。しかし、お前はこれから強くなってくるんだろうな」
「当たり前だ。私が師匠だぞ」
魔央の隣から姿を見せたワンコ先生はそう言って優菜に撫でるように背中を向けて座った。
優菜は撫でながら、ただ目じりをさげた。
「なんか、体動かしたら、すっきりしました。ありがとうございます」
丁寧に頭を下げて、ワンコ先生を抱き上げるとワンコ先生は優菜に抱き上げられて、黒い口の縁を持ち上げる。
「お前、分かっているのか? 騎士団長を相手に稽古とは紗伊那の若者からしてみたら、憧れなんだぞ」
「はいはい。わかってます。それに俺はめったに弟子なんてスカウトしない前教会騎士団長にしごいてもらってますから」
優菜は笑みを作ると、一度深く息を吐いた。
「とか、えらそうなこと言ってるけど、俺、つい数ヶ月前まで学生だったんだけどな」