第8話 姉ちゃんの旦那さん
家の前を通りかかった時、普段ならまだ患者さんや看護師さんの気配がする一階の病院部分は静まりかえっていた。
「あれ? 姉ちゃんどうしたんだろ?」
家の前には「本日午後はお休みします」という姉の走り書きが斜めに貼り付けてある。
よほど急いで書いて、急いで貼って
いったに違いない。
「何があったんだ?」
「お姉ちゃん、具合でも悪いのかな? それとも強盗?」
「え?」
ヒナとざっと家の様子を窺いながら扉を開けると玄関に男物の革靴がきちんとそろえて脱いであった。
「誰か来てるのかな」
「誰かって誰?」
好奇心に満ち満ちたヒナを引き連れたまま二階へ続く階段に差し掛かると優真のはしゃいだ声が聞こえてくる。
そんな楽しげな空気にヒナと顔を見合わせて、部屋へと入る扉をあけると優真の笑顔がそこにあった。
「お、お帰り」
「お帰り~」
青いカッターシャツを着た二十代後半と思しき体格の良い男がソファに座っていた。
割と短く切った黒髪に愛嬌のあるくりっとした瞳。
その瞳が優菜を見ると細まる。
「お、優菜、お帰り。背、かなり伸びたな。で、こっちが、双子のヒナちゃんか」
「そう、お父さん!」
優真は久しぶりに会う大きな父に抱き上げられたまま、嬉しそうに頬をくっつけていた。
一方、優菜は来訪者を理解して、息を一つ吐くと紹介しろと顔にかいてあるヒナに目を向けた。
「ヒナ、紹介する。この人は姉ちゃんの旦那さん、優真の父親なんだ。姉ちゃんの三つ上で、もともと父さんの弟子だったんだ。今は王都で軍人をしてる。一応、この年で大佐なんだ。本人は結構それが自慢」
「お姉ちゃんの旦那さん。じゃあ、私達の義理兄さんなんだ。はじめまして、優菜の双子のヒナです」
「優子からさっき聞いたよ。はじめまして。君の義理兄さんの藤堂 秀司です。けど、義父さんからも聞いたことなかったな、娘の話」
「ええ、我が家ではタブーだったの。熱いから気をつけて」
優子は夫に微笑みかけてインスタントコーヒーを差し出した。
「そうか、これからもよろしくね。ヒナちゃん」
ヒナはそんな秀司に微笑むと、挨拶も程ほどに夕飯の支度に取り掛かる優菜の隣に立った。
手を石鹸で丁寧に洗いながらヒナは、学ランを脱いで、カッターシャツの腕部分を折っている優菜の表情を窺う。
どこか強張った顔をする優菜にヒナの顔も自然と強張ってゆく。
けれどヒナはそんな空気を一変するべく張り切ってボールを握った。
「さ、優菜先生、私、なにしましょう?」
「俺、材料いれてくからひたすらこねて」
「よし任された」
そんな元気一杯なヒナに頷いて、優菜も早速慣れた手つきでたまねぎをみじん切りにしてゆく。
そんな優菜に義兄の声がかかった。
「優菜、学校は楽しいか?」
「うん、楽しいよ」
「お前ももう十六だろう、そろそろ将来の夢を」
「んー、まだ見つけられてない」
「そうか、優子みたいに医者になったらどうだ?」
「うん、それも考えてるんだけどね」
どこまでいっても優菜の態度ははっきりしなかった。
隣でヒナはまだ空のボールを回転させながら、優菜と義弟を心配そうにみる秀司を見比べていた。
そんな秀司の瞳が今度はヒナへと向けられる。
ヒナはそれに気がつくと、にっこりと微笑んだ。
「ヒナちゃんは? 何かしたいことはあるのか?」
秀司の問いかけに指先でボールを回していたヒナは、少し首をかしげ考えていたが、すぐに答えを出した。
「私はここで、この家族の人たちと過ごしたいな。だって、今まで一緒にいられなかったんだもの! 優菜と学校に通って、皆で晩御飯食べて。ずっとそんな暮らししてたいな」
たまねぎを切りつつも少し顔を緩めた優菜に気付くとヒナははにかんで、もう一度改めて義兄に頷いた。
こんな答えでよかったかと確かめるように。
「優真もそれがいい! しかたないから私がヒナの面倒はみてあげるから」
腕の中で飛び跳ねる娘を抱きしめて秀司は明るい声をあげた。
「そうか、だったら、父さんも頑張らないとな。紗伊那からこの国を守らないと」
「紗伊那」
緩まっていたヒナの顔が一瞬凍りつき、唇が一度そう動く。
すると秀司は愛嬌たっぷりの目から少し厳しさを持たせて、顎を引いた。
「そう、南の大国、紗伊那だ。どうやらあの国は、一月前にたった一人の姫が死んだらしい。もちろん、これはまだ正確な情報でないから、口外しちゃダメだぞ!」
「死んだ? 紗伊那には国王と教皇がいて、その二つが結びついて産まれたたった一人の跡継ぎ姫だったろ? そりゃあ、国も大揺れだろう」
優菜もその非公式な情報には、驚いて声をあげた。
優菜が南の紗伊那国について知ってることといえば……
まず大陸一の広大な面積を誇る国であること。
強大な軍部を束ねる国王と、民の心を束ねる教皇がいるということ。
お互いにものすごく強いという噂の騎士をいくつか持っているということ。
そして数ヶ月前、そのものすごく強いという噂の騎士が反乱を起こし、乱れた国をものすごく強いという噂の騎士達と共に国王と教皇の一人娘が束ねたということだ。
今回、その娘が死んだという。
国の未来を担っていた姫が死んだ。
きっと紗伊那ではとんでもないことになっているというのは、容易に想像できた。
「ああ、表向き国は回ってる。けれど全ての騎士団とかなりの師団がわが国との国境地点に集結しているということだ」
「何で、何で、姫が死んだからってこの国に来る!」
優菜はたまねぎを刻んでいた手を止めて、義兄へと詰め寄った。
義兄は軍の情報を一般人に流すことを躊躇っているようだったが、妻の顔をみて決心したように口に出した。
「どうやら、姫の暗殺を企てたのは我が王のようだ。少し前にもあったから。王直属の暗殺組織を使って。その時はわが国の南西に位置する秦奈国の王子を狙った。しかし、その時はそれに失敗して逆に、秦奈国と紗伊那国を結び付けてる結果になってしまった。だから、今度は姫を狙ったんだろう。何でも、水面下でその姫は秦奈国の第二王子との縁談がもちあがっていたそうだから。紗伊那と秦奈に怯えて、我が王はそんなことをしたんだろう」
「紗伊那の騎士は死体の山を築くんでしょう?」
話の詳細までは分からないが優真が「紗伊那」「騎士」という言葉に過敏に反応した。
心配そうに父と母を見上げ声を上げる。
「ああ、噂ではそう聞いてる。でも、大丈夫。優真は父さんが守るから」
「でも、でも、紗伊那の騎士はとても残酷だって、とても怖いって小学校でも皆言ってる」
「そうだな。紗伊那は怖い、数でものを言わせてくる。でも、大丈夫、この国は父さんが守るから」
優菜は娘と額を合わせいる男を唇を噛んで一瞥してから、刻んだたまねぎを炒めた。
その隣でヒナはただただ空のボールを眺めていた。
こんにちは。
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もう本当に昇天しそうです。
今回、「紗伊那」「騎士」という懐かしい言葉がでてまいりました。
平和な優菜たちに忍び寄る紗伊那の影。
今後ともお付き合いお願いいたします。