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第72話 誰に何を言われて国明を思い出した?

「まだ、いらっしゃたんですか? 坊ちゃん」


 杜国は向かいの家の塀から腰を上げ、家から出てきた玲那へと足を向けた。

 玲那の手に引かれた里は父である国明と同じ年頃の男を、丸い目で見上げていた。

 そんな里に視線をやって様子を探っていた杜国は、自分を置いて歩いて行こうとする玲那の歩調にあわせ、ともに歩きはじめる。


「ああ、よかった。あともうちょっと待って、出てこないのなら諦めて国境へ帰ろうって思ってたんだ。でも、どうしてもやっぱり話がしておきたかったから」


「なら今日は家でじっとしておけばよかった。 それで明君は?」


「あ、え? 団長のことはわからないけど。時間はとらせない。だから、少しだけ、ほんの少しだけでいい。誰にも言わないから」


 玲那は足を止めて杜国を見上げた。

 優しい笑顔にほんの少し視線を落とすと、里の顔を見て小さく頷いた。


「里を公園に連れて行こうと思っていたところです。公園でよければ少しだけお話しましょうか」


 杜国は感謝を述べ、玲那の後について歩き出した。


 家の近くの小さな公園に来ると玲那は遊具に行きたがる里を離して、木の椅子に座った。

 一方、杜国は一定の距離を置いて立っていた。


(ひさ)(もり)ぼっちゃん、騎士を辞められたんですか?」


「え? いや」


「なら、どうしてこんな大変な時にここにいらっしゃるんです? 明君は帰れないって言ってたのに」


 杜国はその玲那の嫌味の意味を痛いほど理解していた。

 現在の状況は自分だって充分すぎるほど分かっている。

 一触即発の国境を仲間の騎士達が守っているというのに、自分は女の所へと走った。

 けれど走らざるを得なかった。

 仲間であり、上司であり、友であるはずの国明の為に。


「非常事態だけど、どうしても知っておきたくて」


 杜国の視線は前で遊ぶ里へと向いていた。

 その視線に気付いて玲那は冷たく突き放した口調になった。


「貴方には関係ないでしょう?」


「そうだな。関係ないのかもしれない。でも、確かめなきゃいけないことがある」


「確かめないといけないこと?」


 不審そうな顔をする玲那の瞳をじっくりと見つめながら杜国は慎重に顎を引いた。


「君は何の目的でこの国に帰ってきた?」


「そりゃ、私の歌をこの国の皆さんに聞いてもらうために」


「君の歌、俺も聞いた。帰って来る君の公演すごく愉しみにして、一人で行ったんだ。周りの人は褒めてた、でも、何か君の歌は昔と違った。君が俺の為に歌ってくれていた歌とは全く違った。どこか寒々しい歌だった」


 玲那は顔をそらして、ただ地面を見つめていた。


「正直に言って欲しい。北晋国から来るとき、誰に何を言われて国明を思い出した?」


 玲那はその言葉に目を見開く。

 訊かれるのは子供のことだけだと思っていたのに、その奥を見透かされていたから。

 驚いたように杜国を見上げた。


「やっぱり、そうか」


「あの、久杜ぼっちゃん、それ、どういうことですか?」


「国明に恋人がいたのは知ってるかい?」


 すると玲那はまた視線を反らした。


「やっぱり知ってるんだ。その相手が誰かは?」


 するとそこは素直に首を振る。

 杜国は隣に座って手を取ってみた。

 彼女の手を握るのは八年ぶりだった。


「あの子の父親のことぐらい分かる。あの子を見てれば分かる。だから、教えて欲しい。俺も一緒に国明に謝る。許されなかったら一緒に罰を受ける。だから、教えて欲しい。君が、誰に何を言われてここに来たのか」


「あの子は貴方達には関係ありません! あの子は明君の子なの!」


「違う! 君のその嘘が多くの人間を傷つけた。そしてこの国を泥沼に落とした。君のその嘘で国明は大切なものを沢山失ったんだ」


 玲那は顔をひきつらせて、かすれる声で杜国に尋ねた。


「失った?」


「そうだよ。あいつは証拠もない君の言葉を信じてそれを受け入れた。多くのものを失う覚悟で。王の信頼も、仲間の信頼も、そして恋人の信頼も、その恋人の命も」


 玲那は思い出した。

 恋人がいるというのは北晋国にいたときに聞かされていた。

 けれど自分は世界の歌姫。

 ―奪える。

 そう思って、子供がいる旨の手紙を書いた。

 返事はなかったけれど、ちゃんと紗伊那に戻ると支度が整っていた。

 やっぱり自分を選んだのだ。

 彼は欲の塊として成長したのだ。

 だったら、自分は悪いようにはならないだろうと。


 明という少年を七年前拾った時、全てに諦めた顔をしていた。

 戻ってきて国王騎士団長としての彼に再会した時も全てを諦めているようだった。

 彼は権力を手に入れても大切なものをまだ得られていないのだと勝手に思った。

 そう疑うこともなかった。

 例え愛がなくとも、地位さえあればいい、そう思って彼に寄りかかったのだ。


「じゃあ、明君の恋人は亡くなったの?」


「そうだ。北晋国のやつらに殺された」


「そんなこと一言も」


 杜国は団長を、友を思い唇を噛んでから口を開いた。


「あいつは誰にもいえなかったんだ。だから精神が壊れるまで自分を苦しめ続けた」


「そんな」


 再会する前、彼は違う人間だったというのだろうか。

 自分が見たこともない、輝いた人間だったというのか。

 玲那は信じられずにいた。


「教えてくれ。誰に何を言われた。君をここへ送った人間は誰だ?」


 玲那にとって自分のいる場所が急速に居心地の悪いものへと変わってゆく。

 人から大切なものを奪いつくした抜け殻に鎮座する自分。

 全てが後悔へと変わってゆく。

 その端緒となったのは、


「北晋国で会った大佐」


「大佐?」


「ええ、もともと顔見知りで、とても良い方で気さくに話ができる方だったんです。私が紗伊那で公演するって言ったら、この前の竜騎士の反乱の話になって、活躍した騎士団長達の話になって、そこで明君が騎士団長になってることを知ったんです。でも、どうしてあの時、明君の話なんかに」


「大佐か、分かった、兎に角城へ行こう。このことを話すんだ!」


「いや! 私、私また、あんな暮らしに戻るのだけは嫌!」


「玲那、今度はついててやる! 一緒に行こう! だから伝えよう、このことを」


 けれど杜国の前には笑みを浮かべた男が立っていた。

 その男は紗伊那の人間ではなかった。


「やあ、玲那さん、こんにちは」


「あなた藤堂さんのところの、春野さん? どうして」


 その腕にはぐったりした里が抱えられていた。


 杜国はすぐに剣に手をかけた。

 けれど笑みを向けた春野は里に剣を向ける。


「里!」


 玲那の悲鳴に、杜国は手を止めた。

 途端、後頭部に強烈な痛みを感じ膝をつく。

 後ろから誰かに殴られたのだ。


「坊ちゃん!」


 玲那は慌てて杜国の腕を支えた。


「へえ、坊ちゃん。成る程。君のふるさとの領主の坊ちゃん。久杜君とは彼のことか。国王騎士だったな」


「どうして、それを」


 玲那の顔が歪む。

 まさかこんな男が知ってるとは思っていなかった。

 すると杜国の頭を巨大な槌で殴りつけた巨体が下品な笑いを浮かべた。

 目に当てられた眼帯から生生しい血が滲んでいた。


「お前、奴隷だったんだろ? ここの領主のうちのなあ」


 玲那は口元を押さえ悲鳴に似た声をあげた。


「可愛そうな少女は十歳で親に売られ、領主の家にやってきた。その領主は領主と妻と息子の三人家族。けれどその領主には異常な性癖があって」


「やめて!」


 玲那は叫んでその場に崩れ落ちた。


「君は苦しんだんだろ? 毎日、毎日、あの領主に苦しめられたんだろ? 無理もない」


「やめてったら!」


「そんな憎い相手に、復讐したいのも無理はない」


「いやあ!」


 するとそんな玲那の手を杜国が掴んだ。

 強い強い力で。


「聞くな! そんな話!」


「お前は邪魔だ!」


 片目に傷を負ったモヒカン男は杜国へと鉄槌を降ろした。

 骨の砕ける音が両足から聞こえる。

 けれど杜国は悲鳴すら上げず、冷や汗を浮かべて玲那の手を握っていた。


「折角嫌な男の元を逃げ出して、頑張って、頑張って、名声を手に入れた。そして誰もがうらやむ夫だ。そう、国王騎士団長、反乱を治めたこの国の名誉ある男だ、君たちは民の羨望の的だ」


「国明には国明の人生がある! 玲那、しっかりしろ!」


 男がまた鉄槌を振り上げた。

 今度は杜国の頭を潰そうとしていた。

 玲那は悲鳴をあげ、泣きながら杜国を庇った。

 幼い杜国と同じように。

 趣味の悪い男が自分の体を弄ぶのを見つけてはそうしてくれたように。


「子供と、その男、殺されたくなかったら、これを」


 里の首を掴む細い男は玲那の目の前に手を差し伸べた。

 その掌に乗っていたのは小さな小さな瓶だった。


「これをどうすればいいの?」


「王城の井戸に中身を流してくればいい」


「井戸に?」


「皆、眠りにつくだけさ」


「よせ! 玲那!」


「そうすれば、里と坊ちゃんを放してくれるの?」


 男は優しく微笑み頷いた。

 玲那は何もみず、杜国から体を離すと走り出した。


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