第70話 本当に馬鹿姫です
朝方偉く寒いと思っていたら、雪が舞っていた。
「わあ、雪」
「王都にまで雪なんて珍しいね」
年に数度とてつもない寒気が押し寄せて雪が降ることがあるけれど、あまり積もることのない王都で、朝、目が覚めたときに地面を覆う程度の雪が積もっていた。
優真と外を覗いていたヒナはそれを見ていると雪深い北晋国へと戻されてしまったような気持になって滅入りそうになった。
藤堂秀司の呪縛から抜けられなくなりそうで、気分がどんどん憂鬱になってゆく。
そんなヒナのもとへと侍女が朝食を運んできた。
数種類の焼きたてパン、新鮮な野菜をあえたもの、そして絞りたてのジュース。
けれど食欲なんてわかなかった。
優菜の作るお味噌汁か、パンケーキがたべたかった。
それは優真も桂も一緒なのか、雪をみているのを口実に誰も食卓につこうとしない。
すると声を上げたのは痺れを切らした侍女だった。
「貴方達、分かってるの? 食べたくても食べられない子がいるの。こんな豪勢な食事を用意してもらっているくせに! 食べないのなら、これをその子たちに持って行きなさい! これらは全部、民からの税でまかなわれているんですよ!」
まるで先生のような言葉にヒナは顔を上げて侍女を確認した。
今までこんな侍女がいたのかと。
「本当に世間知らずはこれだから困るのよ! わかる? これは宮付きの最高峰の料理人が朝から腕を振るっているのよ。料理人の気持にもなりなさいな!」
どれだけ口うるさい侍女なのだろう。
ヒナはそれから侍女と目を合わせて目じりを下げた。
「どうして? もうすぐ試験でしょ?」
「今更、勉強することなんてないのよ」
メガネを持ち上げて野菜とパンの入ったバスケットを手早く机に並べてゆく。
「ヒナ? 知り合い?」
「うん、この人は項慶。とても信頼できるお姉さんよ」
そこにいたのは美珠としての知り合いだった。
城を出歩く癖をつけた姫様はあるとき、国が厳戒態勢を取っているにも関わらず、城から出て、すれ違った男と共に暗殺者に狙われ川に流された。
お付もなにもいない、未知の場所で知り合いそして友となったのが、隣国秦奈国の王子と今回ヒナを作った人間、暗殺者蕗伎である。
そしてもう一人旅に加わった女がいた。
貨幣を知らず、人の畑から野菜を勝手に持っていこうとしたのを咎めた地方の領主の娘。
そして、世間知らずの姫は世の中の厳しさの少しを彼女から学んだ。
「どうせ、春からここで暮らすことになるんだし、少し王都になれておいてもいいと思ってきたのよ。内々に侍女の打診もあったから」
「侍女の?」
「そうよ。姫様の侍女は北での襲撃でほとんど死んでしまったから、人を補充したいんでしょう。でも、身元が確かな人間をそう易々と見つけられないから、仕方なく私が引き受けてあげたのよ。頼りないお姫様だから」
「ありがとう」
それは本当に感謝の言葉だった。
彼女は目指しているものがある。
官吏だ。
この国でまだ誰もなったことのない女性の官吏を目指しているのだ。
美珠姫はその手伝いをほんの少ししたけれど、必要になるのは彼女の努力と培ってきた能力。
もうあと数ヶ月に迫ったその試験、大切な時だろうに。
ヒナが感激して、ぼんやり顔を眺めていると、次に項慶の光るめがねが優真を捕らえる。
それだけで優真は萎縮してしまっていた。
「兎に角、さっさと、だらだらしてないで座りなさい!」
まるで怒られるように三人は席についた。
そして無理やり胃にものを詰め込んでゆく。
食欲がないと思っていたのに、まだ案外口に放り込めた。
「美珠様、お昼から会議だよ」
部屋に入ってきたのは片目にまだ包帯をまいた相馬。
そして見える右目にも赤黒い痣があったが、それでも自分の目でものを見て、足で歩いて、いつものように美珠の予定を書き込んだファイルを開いた。
「相馬ちゃん! 見えるの?」
「うん、片目ね。魔央さんに癒してもらった。耳ももう殆ど聞こえるから、今日から職務復帰するよ。ちょっとだけ大きな声で話してくれたら完全に聞こえる」
「無理はしないでね」
「無理なんてしてないよ。寝てるのにもう飽きたんだ。それに、俺のいないここなんて、仕事、回らないから」
美珠はそんな髪の毛をツンツンと固めて立たせた自信満々な乳兄弟を見ると目をこすった。
数日前までミイラとしか思えなかった相馬が回復して、怪我をおして自分の後ろに立ってくれる。
死ぬほどの目にあったのに、それでも自分を恨むこともなく。
「あれ、ヒナ、泣いてる? もうよく泣くなあ」
桂の言葉にヒナは首を振った。
嬉しかった。
自分の半身は今、見えなくなってしまった。
けれどまだ自分という半身が残ってる。
この体と想いがある限り、この国を守ることができる。
支えてくれる人はたくさんいる。
「昼には国明も戻ってくる。そこで内輪だけで会議をした後、あとで本会議になるんだけど美珠様どうする? この国に内通者がいるのなら出ないほうがいいんだけど」
けれどヒナは首を振った。
「私は、出るわ」
「分かった」
相馬はペンで何かを書き込むと、ファイルを閉じて外へと出て行った。
本会議に先行して行われた内輪だけの会議は、教皇、国王、美珠、騎士団長と各方面の将軍、そして被害報告に来た縁だけで行われた。
人の目から隠れたような小さな会議室だった。
ヒナが相馬とともに部屋に入ると、うかがう様な国明と目があった。
「おかえりなさい。国明さん。珠利は?」
「置いて来ました。ふてくされてましたが、国友と国緒に世話を頼みました」
「そうですか」
軽く頷いて母の隣に腰をかける。
母はそんな娘の手を撫でると王の到着を待った。
程なくして王が姿を見せると、会議が始まる。
今日の進行役は光東だった。
「紗伊那に北晋が武力を持って侵入してきました。こちらの被害状況を確認したところ、怪我人が八名、行方不明者、二名」
思ったよりも小さい被害。
そんなこと到底思えず、ヒナは唇を噛んで堪える。
優菜と先生。
行方不明者はその大切な二人なのだから。
それでもヒナは気丈に、耳を向けた。
そして縁がヒナを気にしながら立ち上がる。
「相手は北晋の兵士のようです。捕らえたものに吐かせたところ、どうやら藤堂秀司の娘を助けるために力を貸したと語っているそうです」
「あの男、北晋では、娘を紗伊那に人質に取られていると言いふらしているようですね。そして北晋の民に反紗伊那感情を植えつけているようだ」
北方将軍の言葉はヒナを傷つけた。
藤堂秀司は今度は娘を利用して、この国をのっとろうとしている。
優菜たちの両親を事故死に見せかけその地位を奪い、自分が殺した妻の死を利用して多くを味方につけ今度は国を乗っ取り、それでは飽き足らず、娘を使って紗伊那をふみにじる。
雪深い北の地でどれだけの自分を守ろうとした仲間達が苦しめられたのだろう。
あの男の行動のどこに正義があるのか。
どんな大義があるのか。
ヒナにしてみれば人として心をなくしたただの欲の塊にしかみえなかった。
どうしても許せない相手だった。
彼のあの偽善めいた笑顔を思い出すと、頭に血が上って、悔しくてやりきれなくなってゆく。
「あんな人、死ねばいい」
それはこれから軍人達が策を出す前に、協議をする前にヒナの口から漏れた一言だった。
けれどそれに驚いたのは誰よりもヒナだった。
顔を上げると皆の視線が自分へと向いていた。
そして誰一人その言葉に同意してくれるものもいない。
急速に居心地が悪くなってゆく。
背中に冷たいものが走って、できることなら走ってこの場から立ち去りたかった。
けれどそうしなかったのはそこにいたのが、知らない人ばかりではなく仲間だったからだ。
「ご、ごめんなさい」
それでも謝っても取り消すことのできない言葉。
跡継ぎである自分が感情に任せて言葉を吐いてしまったのだ。
「いえ、先に進めましょう」
北方将軍も首を振って何事もなかったかのように続ける。
「北晋国では王都を藤堂秀司が制圧し、多くの民が藤堂秀司を王と認めています。ですので我々はこの新しい勢力を北晋軍と呼ぶことにいたします。しかし、まだ北晋国ではかつての王が篭城をしています。ですので、こちらは旧北晋軍と呼ばせていただきます。
情報ではこちらは数日中に陥落し、藤堂秀司側が勝利するということです。ただ昨日の戦いで藤堂秀司も谷底へ落ちて生死不明ということですので、今後の動向は注視する必要があります」
「本当に死んだのか」
西方将軍、数馬の言葉に北方将軍は頷いた。
「ええ、そこです。彼の死亡が確認できない以上、国防からは気を抜くことはできません」
会議が終って、人々が退席してもヒナはただその場に座っていた。
「本会議、やめとく?」
「ううん、でる。もうあんなこと口にしないから、心配しないで」
「無理、しないでね」
そう言って肩を叩く相馬。
「相馬ちゃんこそ、ね、先に行っていて」
「でも」
「少し、ぼんやりしたいだけだから」
「分かった」
相馬の足音が遠くなってから、ヒナは頭を押さえてその場に突っ伏した。
鳥のさえずりが耳に入ってくる。
けれどどうしても穏やかな気持にはなれなかった。
「俺も何回もその言葉、口にしました」
声に目を開いて顔を上げると、そこに国明がいた。
彼はまだ立ち上がることもなく、椅子に座っていた。
目はみぞれ交じりの外の景色へと注がれていた。
「ごめんなさい、気がついたら言葉がでてたの。本当に馬鹿姫です」
「いいえ。俺もそんな感情の中にずっといましたから。貴方が国境に姿をみせるまで。気が狂ったみたいに、北晋国の人間を無差別に殺すことを考えていたんです」
「嘘でしょ? 国明さんが?」
「きっとあの時は珠以だったんです。立場なんてどうでもよくて、仲間なんてどうでもよくて、考えることはたった一つのこと。私情で完全に動いていました。俺も馬鹿騎士です」
雲が切れて、光が優しく差しこんできた。
ヒナは数歩歩いたところに置かれている簡易な茶道具で二人分のお茶を淹れることにした。
「じゃあ、そんな馬鹿騎士さん、少しだけ、私の雑談に付き合っていただいていいですか?」
「ええ、馬鹿姫のお言葉であれば」
ヒナはその言葉に口元を緩めて茶器にお湯を注いで暫く置いた。
「私の知ってる珠以は温厚で正義感に溢れる人だったのに」
「貴方にはいいところばっかり見せてたんですよ。本当の俺は我がままだし、嫌なやつだし。副団長に聞いてみてください。俺のこととなると悪口雑言の限りを尽くしますよ」
ヒナは蒸らしたお茶を国明の前に差し出すと一つ席を空けて座った。
その一つが二人の心のしこりだった。
雑談しようと誘ったくせに、何一つ話題はでてこない。
かつては目を見て、姿を眺めていることができればそれで満足だったけれど、今はそうではない。
だからヒナは急いで話題を探した。
「今日、侍女に項慶がきてくれたの。覚えてますか?」
「あの銅貨を美珠様からかもった女性ですね」
「ええ。試験の準備で忙しいはずなのに。でも、信頼できる人だし、すごく嬉しい」
そして一つ思い出した。
「あの、私の侍女頭を覚えてます? あの顔の丸い人」
「なんとなくですが」
「あの人が藤堂秀司の手下だったの! そうだ、相馬ちゃんに言うのを忘れてたわ」
「あの女が」
まさか姫の侍女頭が、そのような人間だったということに国明は少し焦りを抱いたようだった。
「あなたの侍女はばあやが死んだあの一件で様変わりしたのですよね。その時にあの女が侍女頭に?」
「その辺のいきさつは私も覚えてなくて、でもいてくれた気がするの」
「そうですか」
「そういわれてみれば、私の侍女になってくれた子は皆」
ここ数ヶ月で自分はどれだけの侍女を失ったのだろう。
もしかしたらもうなり手はなかったのだろうか。
良家の子女が結婚前の行儀見習いにと思っていても、死ぬほどの危険を冒してまで仕える必要はないのだ。
姫に仕えたら死ぬぞ、そんな噂がすでに立っているのかもしれない。
だからこそ、試験前にも関わらず項慶はやってきてくれたのか。
「しかし、貴方も成長なさいました。ちょっと前ほどには侍女に手をかける人間ではないのですから。もう着替えだってご自分でなさるし、お湯だって自分で浴びられるのでしょ?」
「ご飯作りだってできますよ。まあ、こねるとか、混ぜるとかしかできませんけど。それに東和商会で短期間ですけど働いて貨幣価値も学びました」
「なら、最強じゃありませんか」
普通の人間ならできる最低限のことができて、それを褒められて少し複雑な気がしたが、でもどうしてか笑顔が浮かんできた。
「でしょう? すいませんね、私が一歩先へと行ってしまって。まあ、ゆっくりでいいので、おいついて下さい」
ヒナが笑顔を向けると、国明も笑顔を作った。
お互い笑えるようになるまで、すごく長い時間が掛かったように思えた。
それから二人で暫く黙ってお茶に口をつけていた。
けれどヒナは一度カップを置いて、そしておもむろに国明へと目を向ける。
「私ね、貴方以外の人、絶対好きにならないって思ってた。もう政略結婚でも、養子でもなんでも来いって、そう思っていたの。でも、好きになった。きっかけは貴方と再会した時とは違う、もっと平凡なもの。国とか、騎士とか関係なくて、まっさらな気持で、何ももたない普通の女の子として出会ったの。
優菜と学校に行って、走って、空を飛んで、それから色々なものを見て、色々なことを経験した。爪先だちすることもなくて、ありのままでいられた。それですごく好きになった。双子としての好感がいつの間にか大好きって気持になって、……でも、藤堂秀司に奪われた、いなくなっちゃった」
泣き出すと止まらなくなった。
優真がいない場所で泣くと、堰を切ったように涙が溢れる。
「ごめんなさい、国明さんに言ってもどうにもならない話なのに」
「いいえ、貴方が笑ってる。それは俺にも、国王様や教皇様、みんなの喜びになります。だから、心を強くもって。きっと、彼は生きて帰ります」
国明の手はヒナの頬を何度も何度も拭った。
その仕草が優しくて、ヒナはさらに声をあげた。
「分かってる。分かってる。ワンコ先生がついてるんだもの。先生は幼い頃から私達を守ってくれてた。だから、珠以だって生きてた。私だって生きてた。今度は優菜だって」
「ええ、そうです。美珠様、珠以は生きてた。そして貴方の傍にいた。貴方も生きてた。そして最強になって戻ってきた。きっと彼も」
「ごめんなさい。分かってるの。ないてちゃだめだって。でも、でも」
ヒナは崩れ落ちるように椅子から落ちてそのまま泣いた。
「貴方はなんでも我慢しすぎなんだ。もっと馬鹿姫でいてくれたらいいのに」
二人の間を遮っていた椅子を押しのけて国明はヒナの体を包み込んだ。
数ヶ月ぶりにその腕の中に入ってしまうと、もう感情が爆発した。
別の女を妻にした昔の恋人の腕の中で、今の恋人を想って、ただ泣き続けた。




