第65話 心の奥深くで繋がってる、そんな相手でいたい
「ちょっと、山ちゃん。それ私が育ててたお肉」
「育ててたって何? ヒナちゃんが子豚から育てたわけじゃないだろ」
「でも、お鍋に入れたのは私よ」
「やだなあ、こんな肉一枚で喧嘩するの」
蕗伎は豆腐をすくいながら呆れたように首を左右に振る。
「大体、隊長がいい頃合の肉を全部食べたから、こんな争いになったんでしょうが」
「偉そうにいうねえ。仕事でもそれぐらいの意気込み見せて欲しいけど。この愚図」
鍋奉行に徹していた優菜はその言葉に山ちゃんに顔を向ける。
一つまだ聞いていないことがあったのだ。
そこに存在する山ちゃんという人間についてだ。
「聞きたいんだけどさ。山ちゃん、何で『死神』なの? 俺のこと見張ってたわけ?」
すると山本信二は隠すこともなく深く頷いた。
「そうだよ。監視役だ。ここにいるネクラな隊長の命令で、優ちんを守る仕事についてたわけさ。まあ、優ちんの方が俺より強かったし、別に何をしていたわけでもないけど。でも、俺としては学校にいけたことはすごく感謝してる。優ちんとあべっちと馬鹿ばっかりやってすごしてきたんだ。他の『死神』が人を、王子を狙ったり、紗伊那の王宮に忍び込んでるときに」
「ネクラは余計だ」
蕗伎は豆腐を冷ましながら口に入れると、若者達の会話に静かに耳を傾けている上皇へと目をやった。
「優菜に護衛をつける。それは上皇様の言いつけだ。不意に襲われた時、戦うなら一人よりも二人の方がいいだろう。美珠を託すことになったのは当初の計画には全くないことであって、はじめの計画では優菜が藤堂秀司と対抗する気になった時、死神に引き込んでそこで、力を蓄えさせるつもりでいた。そのための繋ぎ役だ。人選も上皇様がなされた」
(俺、随分守られてたな)
先生の器にお肉と魚を入れながら、今更ながらにそんなことを実感する。
(姉ちゃん以外、自分を思ってくれる人、もうこの世にいないと思ってた)
けれど蓋を開けてみれば違う。
父の後を継いだはずの藤堂秀司よりも自分が与えられているものの方が多かった。
父の遺志は自分にあり、上皇様の想いも、死神という裏組織すら近いところにある。
そして藤堂秀司との違いの最たるものは「守るもの」があるのか、ないのか。
家族を得ていたはずの藤堂秀司は全てを自分で壊し、優菜には守るものがたくさん出来た。
「ああ、優菜、また考えこんでる」
ヒナはそう言って優菜の頬を人差し指で突いた。
「『死神』も今回の一件が終われば解体するつもりよ。もともと私が政治を行っていたときにはそんな組織なかった。息子が自分の意に沿わない官吏を殺すために作った機関だもの。この国の風通しをしなくてはね。解体した後、そこにいた子たちに何の責任も取らせる気はないわ。自由に生きていけるように声をかけるだけよ」
その言葉に山ちゃんは鍋で体が温まったために出てきたのか、それとも何か感情的なものなのか鼻水をすすった。
「俺は学生に戻りたい。もうあべっちはいないけど。兎に角、学校に戻りたい」
(学校か)
優菜も少しその景色を思い出した。
同い年の友たちと楽しく、そして時には悩みながら過ごした場所。
ただそこにはもう優菜の居場所ではなく、過去でしかなかった。
優菜とヒナは同じ上質な羽毛布団の中にいた。
優菜が転がっている布団に、いつものようにヒナが入ってきたのだ。
「やっぱり、この国、一人で寝ると足元寒い」
「冷た! 靴下はけよ! 女の子は冷やすとよくないんだろ?」
「ばばくさいよ。優菜」
冷え切った足先を優菜の足にくっつけながら、ヒナは満足そうに目を細める。
「でも、何か、楽しかったね、晩御飯」
「うん」
布団の中で自分の領地を確保すると、ヒナは左手を持ち上げ、火傷の痕をじっと眺めた。
可愛い女の子には不釣合いなものだけれど、ヒナはそれを嫌がるわけでもなく、ただ情を込めて見つめ続けていた。
「この傷痕はね。私が桐の気持を受け取ったっていう証なの。あの国を強くするために犠牲にしてしまった桐の想いをちゃんと理解してるって証。そして分かりあえなかった竜桧さん、桂のお兄ちゃんみたいな人を二度と出さないようにって自分で自分を戒めた証なの」
「そう……なんだ」
「私ちゃんと蕗伎を知ることができて本当によかった。蕗伎とは絶対分かりあいたい、そう思ってた。蕗伎とは戦いたくない、絶対理解したいって。折角できた初めての友達なんだもん。だからちゃんと蕗伎と話ができて今日はすごく嬉しかった」
キラキラ光るヒナの瞳に吸い寄せられるように、優菜はただじっとヒナの顔を見ていた。
そんな視線に気がついてヒナは優菜へと顔を向ける。
お互いの顔が触れそうなほど近くにあった。
「ん?」
「可愛いなと思って」
「どうしたの? いきなり」
「ヒナが好きだ」
「私も、優菜が好きだよ」
そう言ってすぐにヒナは照れたのか布団をかぶってしまった。
その布団の中に優菜も顔を入れる。
そしてもぞもぞ動くヒナの腕を掴むと、そのまま唇を寄せてみた。
(顔、見えないほうが、なんか積極的になれるかも)
さらに顔を寄せて唇に軽くぶつかったのはヒナの瞼。
いつもどんな時でも自分を見てくれるヒナの瞳。
「俺を戦わせてくれてありがとう、ヒナ」
「優菜?」
「ヒナがいてくれたから、俺はここでこうやって立ててる」
「私だって、優菜がいなかったら本当に死んでたと思う。私の命を守るために大切な人を少しずつ奪われて、そして国境で国明さんや、暗守さん、ううん、たくさんの国の人を失って、悲しい気持をずっと抱えて、そして最後に殺されたんだと思う。だから、私が優菜にお礼をいわなきゃ、ありがとう優菜。優菜がいてくれたから、私は笑っていられるの」
優菜はヒナの吐息を感じて、そこに唇を寄せた。
柔らかいヒナの唇に触れると、温かくて心地よかった。
「愛してる、ヒナ」
ヒナからの返事はない。
その代わりヒナの体が自分の胸の中に納まった。
(やっぱり、華奢だな。これがヒナの体かあ。こんなにちっちゃい体にいろんなもの背負ってるんだな)
ヒナの体温と匂いを感じてしまうと、ヒナを乞う気持が止まらなかった。
「あのさ、あと一つ勘違いしてることあるんだけど」
「え?」
「えっちの仕方、ちゃんと教えていい?」
「え? あの? どういうこと?」
問おうとするヒナの柔らかい唇を塞ぐように唇をかぶせる。
そのまま何度もついばむように角度を変えて口付け、そして軽く舌をヒナの唇の隙間に入れてみる。
案外すんなり、ヒナは舌合わせてきた。
(あわわわ、未体験ゾーン突入だ)
焦りを悟られないように、ヒナだけに集中して、体に手を沿わせようとしたときだった。
「どこで盛ってる! ここは人の家だぞ!」
先生の怒鳴り声だった。
きっと部屋にやってきた先生はモゾモゾ動く布団の山を見つけたのだろう。
確かに自分もそんなものを見せられたら面食らうに決まってる。
全てを知り尽くしたような妖艶なおっさん、もといワンコ先生は興奮しすぎたのか、暫く犬語で吼えさかった。
「何を考えてるワン! 馬鹿かお前ワン!」
(くっそ、見られた。一番、嫌な人に)
優菜は全ての行動を止め、落ち着かなさそうなヒナの頭を何度か撫でてただひたすら対応策を考えた。
(さて、なんて言おう。体操? マッサージ? 秘密の会議?)
悶悶と考え込む優菜の下でしびれを切らたヒナは素早く動くと、布団から飛び出してしまう。
(ヒナ! どこ行くの!)
「お前のワンワン、ちょん切るワン!」
「先生、落ち着いて!」
何もわかってないヒナが先生の背中を撫でたが、先生は全く落ち着かず、布団の上から優菜を踏みつける。
「お前のワンワン使えなくしてやるワン!」
(ああ、もう、なんか適当なごまかしも思いつかない)
「このキモオタお兄い! 滅殺!」
その言葉を最後に先生の蹴りが股間に入り、暫く痛みに悶絶することになった。
*
次の朝、上皇に別れをつげ、蕗伎と共に優真のところへ行くことにした。
「んじゃ、山ちゃん。また今度ね」
「うん、優ちん、ヒナちゃん。気をつけて」
笑顔で見送ってくれる上皇と少し寂しそうな山ちゃんに手をふり、縁が迎えに来てくれている山へと足を向ける。
歩き出して数分、不安そうに蕗伎は足を止めた。
「優真ちゃん、ちゃんとおじさんだってこと理解してくれるかな。子供だからこそ、こっちの傷口抉るような言葉、無意識にかけてこないかな?」
「何? 蕗伎って案外繊細なのね?」
ヒナが笑うと蕗伎はヒナへと目を向ける。
すると蕗伎はヒナを見下すように言葉を返した。
「世の中、美珠みたいに猪突猛進な奴らばっかりじゃないんだよ。男のほうが繊細なんだ。な、優菜」
優菜はそんな二人の言い合いに巻き込まれないように適度な距離を保ちながら、言葉を返した。
「姉さんが、もう一人『おじちゃん』がいるって優真に教えてたから、大丈夫だとは思うけど」
「そっか」
妙にソワソワした蕗伎は何度となく自分の服をチェックしていた。
一方、ワンコ先生は優菜に顔を背けたまま、雪山を登ってゆく。
体毛に覆われた小さな背中からは怒りが立ち上っていた。
「あの、先生」
無視。
「先生、あのね」
また無視。
(先生、完全に怒ってる。あの珠利って女の人より、こっちの方がまずいなぁ)
優菜は頭を掻いて、息を吐くとチラリと隣のヒナに目をやった。
白い息を吐きながら、まっすぐ前を見ていたヒナはとても綺麗だった。
けれど足を止めた優菜に気がついて自分も足を止める。
「どうしたの?」
いつも本当に近くにいる存在だったけれど、改めて声を掛けるとなると本当に緊張した。
(でも、言っておきたい!)
「これが終って落ち着いたら、俺は本気で紗伊那に腰を据えようと思う。ヒナの一番近くに立って、ヒナを助けたい」
自分を弟子として守ってくれる師匠と、見守り続けてくれた義理の兄。
その二人にも誓っておきたかった。
自分の今の気持を。
確かに人の家で、それも突然おもいついたようにヒナに触れようとしたこと、きっとそれは保護者ならば叱ることだろう。
でも、単なる好奇心とか、経験値を求めてヒナに触れたわけではないのだ。
(生半可な気持ちで昨日、ヒナとしようと思ったわけじゃないから)
一方、優菜の言葉を聞いてヒナはただ暫く目を瞬かせていた。
「それって結婚っていうこと? 優菜は紗伊那の跡継ぎである私と結婚するっていうこと?」
「正直、俺まだ結婚っていうのはピンと来ない。俺、十六だし。つい最近まで高校生だったし。ヒナだって結婚ってなると色々思うところはあるかもしれない。あれだけの大国の姫なんだ。たくさんの人の承認とかも必要になってくるだろうし、それに……姫美珠姫だった時、本気で好きだった相手たいたんだろ?」
するとヒナは思い出したように唇をかみ締めた。
(ううう、やっぱり、まだあいつにも未練があるのか?)
脳裏に浮かぶ蒼いマントの男を振り払って優菜は続けた。
「だから俺は双子だった時みたいに、ヒナが手を伸ばせば届くところにいて、お互いの考えてることが分かるそんな距離にいたい。結婚っていうもんで縛られるんじゃなくてさ、もっと心の奥深くで繋がってる、そんな相手でいたい。身分違いな我がままな願いかもしれないけど、さ」
「優菜」
「俺が命を掛けたいって思う相手は今紗伊那にたくさんいる。ヒナに優真に、桂、それに先生。北晋国にいた時、そんなこと思ったこともなかった、適当に人生終っていくもんだって、でも今は違う。俺は大切なものを、自分の持ってるもの全て使ってでも守りたいんだ。はいつくばってでも守りたい」
飾りのない優菜の言葉にヒナは目を潤ませてそれから涙を落とした。
「だからずっと俺を傍に置いてくれますか? 美珠姫」
初めて本当の名前を呼んでみた。
妹ではない他人、と認めるのがいやで頑なに呼ぶのを拒んでいた名前。
優菜の口から出た言葉にヒナは顔をあげた。
「美珠姫もヒナも全部受け止めたい、俺を受け止めて欲しい」
「優菜」
するとヒナは走ってきて優菜に抱きついた。
きつくきつくただ抱きしめてくる。
そして泣きながらしっかりと頷いてくれた。
「うん。ずっと私の半身でいて、これからも」
契約書もないただの口約束だったけれど、優菜は嬉しくてそのまま抱き上げてクルクルと回してみた。
けれど、すぐに雪に躓いて、その場に二人で転ぶ。
笑い声しか出なかった。
二人で笑っていると、蕗伎も顔を緩めていたし、先生もその場に座って優しい顔でみてくれていた。
雪をかぶったヒナはまるで純白のドレスを着ているようで、美しすぎて優菜は一度その唇に軽く口付けた。
「さ、行くぞ。お前達」
先生の声に立ち上がると、自分達を待っている縁のもとへと手を繋いで歩き出した。
その手はいつものように暖かい手だった。