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第64話 上皇様の孫

 すこし記憶よりも大きくなった優菜をみて上皇はつぶらな愛嬌のある瞳を細めた。


「いらっしゃい、優菜、美珠姫、そして長靴をはいたワンコ先生と今はお呼びしたほうがよろしいかしら?」


「お初にお目にかかります。北晋国、上皇様」


 北晋国の制服に身を包んだヒナがペコリと頭を下げて、先生が尻尾を軽く一度振る。

 そんな一行に上皇はソファを勧めた。

 優菜は遠慮もなく席につくと早速、疑問をぶつけた。


「秋野という女がきていたんですね。藤堂秀司の使いですか?」


「ええ、藤堂秀司君に協力するようにですって」


「どうなさるおつもりです?」


 上皇は少し目を閉じて、窓の外へと目を移した。

 重い灰色の雲が立ち込めていた。


「貴方なら、自分の子である王を殺そうとしている相手と手を結ぼうと思うかしら? どれだけできが悪くても、あの王は私のたった一人の息子なんですもの。私が最後まで守ってあげなくては」


 優菜はその言葉をきいて、まっすぐ上皇をみたまま言葉を返した。

 そこには何の表情も宿ってはいなかった。


「上皇様、現王を救えというご依頼ならば、俺はお断りさせていただきます。藤堂秀司の肩を持つつもりはありませんが、あの王は良い家臣を捨て、己の欲に忠実でありすぎた」


「ああ、いいえ、違うのよ。そんなことを貴方に頼もうとしたのではないの」


「では、何を?」


 優菜も上皇もお互い視線を離さなかった。

 それは老婆と少年の見せる目ではなく、どこか政治的思惑の介在する視線だった。

 ヒナはヒナで、そんな二人に気圧されてしまうこともなく、口を引き結んだまま、上皇の表情を窺っていた。

 上皇の表情がふと緩んだ。


「会いたかったのよ。私の孫が守りたかった友達と弟を」


「え? 孫?」


 優菜は理解できず、眉間に皺を寄せ、聞き返した。

聞いてからすぐにある人物が思い浮かんだ。

 『弟』とはきっと優菜のことで、ヒナを『友達』と呼ぶ人間は一人だった。


「まさか、蕗伎が、上皇様の孫なんですか?」


 含みを持たせることもなく、直球で問いかけたのはヒナだった。

 すると嬉しそうに色のいい唇を持ち上げて上皇は頷く。


「私が生んだ子供は息子一人だった。でもその息子には子供が幾人かいるわ。その中には権力から爪弾きになった子もいる。けれど立派な私の孫よ。そんな孫の中で一番、しっかりして、私にも優しく接してくれる子」


「あの人は『死神』ですよね。国王直属の暗殺集団だ。王子であるならどうしてそんな仕事」


「俺があの王に一番忠実で卑しい子供だと、そう思われていたからだ」


 扉を開けて入ってきたのは蕗伎だった。

 いつもと同じように黒い服を着て。

けれど、今日はどこか少し穏やかな表情を浮かべていた。

 優菜はそんな男に警戒を解くことは出来なかった。


「いつも突然、現われるんだな」


「まあ、そういう訓練をさせられてたからね」


 蕗伎は笑みを浮かべると、上皇の隣に腰掛けた。

 ごく自然に、慣れたように。



「俺の母は後宮にいたわけでもない、ただの村の娘だった。まだ十四のその辺の娘で、そして村を通った王がまるで狩りをするように捕まえた。それから暫く適当に扱って俺が生まれた。俺は幼い頃はずっとそんな母の傍で、雪深い村で育ったんだ。ムカつくほど強欲な伯父夫婦と何の覚悟もなくできた俺を愛してくれた母と」

 

 こんなことを二度と語ってくれることがない気がして、優菜は耳を傾けた。


「俺が十になった頃かな、伯父夫婦はお金に困って、そして俺と母親を王へと差し出した。一時でも愛していたのでしょう、とかなんとか言ってね。そしたら、あの王は何をしたと思う?」


 ヒナは全く分からないといったように首を振った。


「忌々しそうに舌打ちをしてから俺の目の前で母親の左腕を切り落とした。そして俺を母親の首を落とされたくなかったら、自分に尽くすように言った」


「そんな」


 悲鳴に近い声を上げたのはやはりヒナだった。

 優菜は王のそういう病癖は知っている。

 寵愛を受けた女だけでなく、子供にも父親である王に命を奪われた者は多くいた。


「母親が死んだのはそれから三年後。毎日地下に閉じ込められてる母親の食事を運んでたんだけどさ。『死神』としての仕事に初めてついて、今にしたら超簡単な仕事に一週間掛かった。嫌な予感がしたんだ。きっと誰も母親のことを守ってなんてくれなかったから」


ヒナは想像できる結末に小さく悲鳴をあげ口を押さえ、首を振った。


「母親は暗い地下牢の中で餓死してた。もう、ガリガリでさあ。せめて水でも飲めれば違ったんだろうけど。でもまだ温かかった。きっと俺があと数時間でも早く帰れば死なずにすんだ」


 上皇も隣で静かに目を閉じた。


「それでも、『死神』にいたのか?」


「行くところがなかったからね。でも確かに、母もいないし、仕事は暗殺だし、生きてる意味も分からなくて、自分で自分をむちゃくちゃに傷つけた。そんな時、優子さんに会ったんだ」


 蕗伎はその過去を思い出してすこし優しさをこめた目をしていた。

 優菜も出てきた姉の名前に目を細める。


「軍医だった優子さんがさ、俺の治療に当たってくれた。当り散らして、死なせてくれって何回も言ったんだけどね。本気で殴られて、叩かれた。生きろって、まるでどこかの本にでもでてくるような熱血先生みたいに怒鳴りつけてくれた。十三だった俺だったから、聴いたのかもしれないね。頼る人は誰もいなかったから。

それで、家族になろうって言ってくれた。そうすれば一人じゃないって。私には夫と娘と弟がいる。あんたも弟になりなって、そしたら私が守ってあげるし、あんたも守る家族がいるよって。ただの口約束だったけど、すごく俺には嬉しくて、口では文句いいながら、本当にその約束を、その言葉を支えに生きてきたんだ。上皇様に俺のことを伝えてくれたのも、優子さんだ。あの人は俺の最大の恩人で、最強の姉さんだ」


「なのに、見殺しにしたの?」


 優菜の冷たい言葉に蕗伎は頷いた。


「見殺しといわれてしまえばそうだね。助けられなかった。そのことについては何の言い訳もしない。情報を手に入れて、俺があの家についた時、優子さんは藤堂秀司の部下、春野の腕の中にいた。背中からは刃が突き出ててね。母親の時と一緒、今回も間に合わなかったんだ俺は」



 ヒナはそれ以上聞きたくないというように首を振った。

 けれど、それから、息を一つつくと、顔をあげてまっすぐ蕗伎を見た。


「ねえ、蕗伎は今、どうしたいの?」


「俺?」


「本当の気持ちを教えて。蕗伎は何がしたくて、本当はどうなったら嬉しいの? たとえば、私だったら、国を、紗伊那を皆で守りたい。私一人が神様みたいに崇められるんじゃなくて、力をあわせて皆で守るの。それと、あと祥伽と蕗伎とおいしいお酒が飲みたい。約束したもんね。で、優菜のおいしいパンケーキお腹一杯になるまで食べたい」


 優菜もそれに口調を合わせた。


「俺はヒナと優真と一緒にいたい。んで先生に強くしてもらいたい。ヒナが作る国の手伝いがしたい。それと…もうちょっとあんたのことを知りたい。兄貴だっていうなら」


 するとほんの少しだけ蕗伎の唇が震えた。

 そしてそんな蕗伎の背中を押したのは上皇だった。

 大きくなった孫の背中を優しく撫でた。


「俺は……本当は人なんて殺したくない。王子だって分かってて、あいつを殺すことが仕事だって分かってても、途中から狙いたくなんてなかった。祥伽の旅についてって、で、血の気の多い美珠とぎゃあぎゃあ騒ぎながら、このまま三人で全部忘れて旅に出れたらって勝手に思ってた。やっぱりそんなこと無理だったけど、俺はただ縛られず、自分でどんな些細なことでも考えて生きてたい。本当はそうしたいんだ」


 そう言ってポケットから首飾りを出した。

 動物の爪のような、月のような男物の首飾り。

 大切な友である秦奈国の王子様が美珠と蕗伎に与えてくれた友達の証。

 

「ちゃんと持ってたのね。友達の証」


「祥伽から貰ったんだ、ずっと持ってるよ。三人、おそろいだろ? 美珠の分は身分を隠すために俺が取って、それで祥伽に渡した。きっとあいつが来るとき持ってきてくれるよ」


「そう。祥伽が。じゃあ私は物足りないけど、待つことにしますね」


 二人よりも後から二人を知った優菜には彼らの関係は分からない。

 でもヒナには優菜や優真のように大切にしている二人がいるのかもしれない。

 そしてその相手もヒナを大切に思っているのだろう。


「じゃあ祥伽が来たら、私と、蕗伎と優菜と、とにかくみんなでお酒をのみましょうよ?」


「ああ、そうしよう」


 蕗伎は満面の笑顔を浮かべたヒナに微笑むと自分の首に首飾りをぶら下げた。

 そんな孫の様子を見た上皇は一つ頷いた。


「息子は罪を犯しすぎた。そして息子の子供達も人を傷つけすぎた。でもね、美珠姫、私は精一杯国に尽くしたの。今の貴方ぐらいのころから五十年、夫と優太郎さんと一生懸命。けれど、息子には愛情をあけているつもりでも足りないものがあったのかもしれないわ。息子はもう自分で歩かなくてはいけない年だもの。責任は取らせるつもりよ」


 それがどれだけ上皇にとっては辛いものになるのかは優菜には分かる。

 けれどその彼女の決意を覆す気はなかった。


「ただ、私はこの国の上皇として民を見捨てるつもりはないわ。無用な戦いは避けなければならない。私は国民を守る為にもう一度、立ち上がる。今、国は王と、藤堂秀司の二人によって分裂している。同じ国の民が殺しあう、そんなこと私は耐えられない。でも現実に起きようとしているの。

そして、紗伊那とも秦奈国とも戦いは避けたい。戦えばこの国で私が夫と優太郎さんと作り上げてきたものが消えてしまう。だから私は立ち上がり、もう一度国を纏めるわ。それが私の最後の使命」


 一度引退した上皇の心労を考えれば優菜でさえも気が重くなったが、上皇の血の通った瞳を見ていれば悲観するだけでないことも確かだった。


「美珠姫、貴方の話は秦奈国王子暗殺から戻ってきたこの子から聞いていました。腕の骨を折って任務から帰ってきたのに、それでも嬉しそうに首飾りを眺めて私に旅の話をしてくれた。だから藤堂秀司の標的を知ったとき、美珠姫を優菜に託すことを思いついたのです。

もう夫も優太郎さんもいない。けれど夫と私の血をひいた孫がいて、優太郎さんの血をひいた息子がいる。いつかこの二人が友人になってくれるのが私の夢であって、そして孫が守ろうとした跡継ぎ姫がいた。どうしても自分と重ね合わせてしまって、勝手に親近感を覚えてしまったの。貴方の未来を見たくて、応援したくて……だから優菜と貴方を引き合わせた。貴方と同じ頃の私をみているような気がして」


 ヒナはその言葉を受け止めしっかりと頷いた。


「この国を女性ながら五十年も導いていらした上皇様、私もお会いしたかった。この国にいる間、お聞きした上皇様の評判はとてもいいものばかり。教えてください。私に、女性の統治者というものを」


 上皇は涙を滲ませながら笑った。


「ええ。反面教師にしてもらうところも多いでしょうけどね。今日はここに泊まって行ってくださらない。色々お話もしたいの」


「ええ、もちろん」


 優菜が頷くと上皇は嬉しそうに立ち上がった。


「お夕飯、何がいいかしら。若い子は何を食べるの?」


「じゃあ、お鍋でも」


 ヒナの声に優菜が腕をまくった。


「そしたら、みんなでつつけるし。山ちゃんも含めてみんなで! じゃあ、今日は万人受けする寄せ鍋な」


「私も手伝う」


 その後、暫くいつもは静かな上皇の館に笑い声が響いた。


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