第63話 優菜はどうするの?
「縁さん、俺達は上皇様の家の少し手前から歩くことにする。藤堂秀司が張り込んでて、上皇様のもとに紗伊那の竜がいるのが見つかったら厄介だから、適当な山でいいからおろして」
「分かったよ。明日の朝迎えに来る。それでいいんだね」
「うん。ありがとう」
優菜は縁と言葉を交わすと、暫く眼下に広がる北晋の景色に目をやった。
ポツリポツリと雪の中から顔を覗かせる民家。
屋根にどっさりと雪を積もらせて佇む北晋の家々。
雪が解ける短い期間、ここは畑に変わるのだろうが、今は雪の海に飲まれていた。
そんな雪の北晋国のありふれた景色を見ながら、優菜は上皇のことを思い出していた。
優菜とはじめて会った時のことは覚えていない。
きっと、生まれた数日後には当時北晋の王だったあの人に会っているはずだ。
それぐらい父が生きている頃は近い人だった。
そしてきっと父が今でも生きてたなら、自分は上皇、そして上皇が指名した後継者の側近として中央にいたのだと思う。
けれど今は中央にいなくて良かったと心底思えた。
評判の良くない王様の下でやきもきすることもなく、色々なものを見て、色々な経験をすることができた。
自分が守るべきものを、主を、半身を見つけることができたのだから。
「また、何か、考え込んでる」
ヒナは寒そうに手をこすり合わせながら優菜を覗き込んだ。
「紙とペン、いる?」
「いいよ、別に、少し昔を思い出してただけだから。それも今、終ったし」
するとヒナは寒い手をあっためる防寒具ぐらいの扱いで優菜の手を握った。
それでも寒いのか自分達の間に毛玉の塊、先生を入れて抱きつく。
先生の体毛は先生の体温で温もり、いくらかの暖房にはなった。
そして先生も風から守られて悪くはないのか、抗ったりもせずちょこんとそこにいた。
(よく考えたら、俺達、おっさんにすりついてんだよな)
想像すると笑えたが、先生の向うにいるヒナはそんな優菜に探るような目を向けていた。
「これから、優菜はどうするの? 上皇様といるの?」
「え?」
「私としては、傍にいて欲しいなって思ったり…」
(はわわ、それはどういう意味で?)
「もちろんあの、その、この先のことも含めてだよ。優菜さえよければ、私、お父様とお母様にそのこと相談しようと思って」
(それって結婚とか……含むのかな。俺が紗伊那の権力者になったら)
打算的なことを考えようとして、目の前にある先生の冷たい瞳に気付いて、何とか冷静にやりすごそうと頑張ってみた。
「も、もちろん、あの、俺はヒナとそのずっと一緒にいられればいいけど、あの、本当にヒナの両親は認めてくれるのかな。俺、無官だし。何か試験とか受けたほうがいい? それとも騎士とかになった方がいいのかな? でも、俺が騎士ってのもちょっと違うしな。やっぱり官吏かな」
「そんなこと落ち着いてから考えればいいじゃない。私は優菜が優菜としていてくれればそれでいいし。『私のそばにいるっていう仕事』だってあるもの。珠利や相馬ちゃんは、そうしてくれてる。その辺は私が掛け合うわ! きっと、大丈夫だと思う」
「そ、そっか」
紗伊那の姫の側近。
きっとそれは近習として、部下として存在するのだろうが、きっとこの姫様の性格だったら、そんなこと考えもしないんだろう。
『そばにいるっていう仕事』とどんな相手にでも言ってくれるのだ。
そしてその地位には多くの利権が関わってくるような気がする。
こんなこと数ヶ月前の自分がどうやって思いつけただろう。
これほど短期間に自分があの強大な紗伊那の姫と知り合うなんて。
そして遠い存在だった姫がここまで近くの存在になるなんて。
そして、それよりも何よりも。
自分が一人の女の子を好きになるなんて思わなかった。
いつか北晋でそれなりの勢力を持ったどこかの女性を見つけて結婚するものだと思っていた。
北晋にもいくつかの貴族階級は存在するし、そこには自分とつりあう年齢の女子達がいる。
父親が死んで話は減ったけれど、それでも藤堂姓である自分が妻を捜せば手を挙げる人間はいるだろう。
そうやって、藤堂秀司に対抗できる力を得てゆく者だと思っていた。
でも、今の自分、ヒナと知り合ってしまったあとの自分なら、そんなこ度外視でヒナを選んだと思う。
記憶をなくしたヒナがそれまで殺人鬼であったとしても、どれだけ男を食い物にしてきた悪女であってもきっと傍にいることを選んだと思う。
一緒に成長していこうとするだろう。
姫であったことはその付属物でしかないのだ。
姫であり、紗伊那がついてくるというのはただの嬉しいオプションなのだ。
ただヒナと平和にすごす前にやらなければいけないことがある。
ヒナが紗伊那の美珠姫であって、彼女を守るためならば、どうしても倒さなければいけない奴が一人。
もし、どこかで自分が敗戦して、あっけなく死んでしまっても、彼女だけは守らなくてはいけないのだ。
「あのさあ、ヒナ。つくまでに少し、大切な話をしておいていい?」
「え?」
優菜はヒナに込める力を強くした。
「俺達は上皇様に会いに行く。きっと、そこで上皇様は藤堂秀司について何かの決断をされるはずだ。きっと向こうはその決断によって、追い詰められてゆく。いや、追い詰めるように仕掛ける。でももし、その最中、俺がいなくなっても、ちゃんとヒナに戦って欲しい」
その言葉を出した途端、ヒナは驚いたように目を見開いた。
先生もじっと優菜の顔を見ていたし、縁も優菜へと振り返った。
「どういうこと?」
「どうなるかは分からない。きっと最後まで隣にいるとは思うんだ。でも、万が一の可能性だって考えなきゃいけない。その時、ヒナには泣くんじゃなくて、俺の半身として戦ってほしい。どんな状況に陥っても藤堂秀司に勝って、紗伊那を守れるように。概ね数馬様と麓珠様にお願いはした。だから、俺がいなくなっても俺が考えたように動いてくださると思う。でも俺の気持は、それだけはヒナに引き継いでほしい」
優菜はダウンジャケットの下の学ランの裏ポケットから用意しておいた封筒を差し出した。
白い封筒には何の文字も書かれていなかった。
糊付けもされていなかった。
「俺がいなくなったら、これを読んで動いて欲しい。俺を信じてくれるなら」
ヒナは暫く受け取らなかった。
けれど優菜の手も引っ込まなかった。
やがて、ゆっくりとヒナの手が動いてそれを掴むと、そそくさと制服の胸ポケットにしまった。
「全て終わったら、読まずに捨ててよ。手紙なんて書いたことないから、すっごく恥ずかしいんだ」
すると先生が声をあげた。
「キモオタおにいちゃんの妄想恥話か?」
「そうそう、妄想って先生!」
*
「待って!」
上皇様の家の前に着いた時、中から出てきた女がいた。
慌てて雪のこぶに隠れて様子を探るとどうやら訪問客のようで、その物腰の柔らかさから察するに女性は軍人などではなく侍女のようだった。
優菜は、それが上皇に仕える侍女だと認識し、警戒なく出ようとしたがヒナはその手を引いた。
そしてきつい顔で女を見送っていた。
「どうして、あの人が」
「え? ヒナ知り合い?」
「あの人、私の侍女頭だったのよ、私が北で死ぬまで」
(はあ? 何でそんな女がここに?)
丸い顔の二十代半ばくらいの女は、頭の簪をなおしながら表に待たせていた馬車にのって去っていった。
「どうして、そんな女がここに。紗伊那が何か動いてるのかな、そんな話何もきいてないけど」
(やっぱり、俺は信用されていなかったのかな?)
そんな想いが渦巻いてゆく。
それから優菜、ヒナ、ワンコ先生はこぶの後ろで暫く様子を窺ってから、他に出てくる人間がいないことを確認してから扉を叩いた。
中から顔を出したのは古参の侍女でもなく、執事でもなく、よく知った顔だった。
「わ、びっくりした山ちゃん」
「お、優ちん、ヒナちゃん。待ってたよ」
「なんで、山ちゃんがここに?」
「うちの隊長の命令なんだよ。さ、入って」
学校にいた頃はさほど表情を崩す人間ではなかった山本信二は学校以外で会えた優菜を見て顔を緩めた。
手入れの行き届いた建物の中は雪国にしては珍しく生花がいけてあり、その黄色い花を見ているだけで少し感じる温度も上がってゆく。
優菜は上着を脱いで、目上の人間と会う支度を整えながら、親友へと顔を向ける。
「なあ、山ちゃん、さっきの女の人なに?」
「ああ。藤堂秀司の使いの女だよ。上皇様に王について欲しいってお願いにきてた」
「え? あの女が藤堂秀司の?」
「うん、何だったかな。なんて名前だったかな。なんか、こう、季節みたいな」
「え? もしかして、あの女が秋野?」
「ああ、そう、それ」
そして女の名前がわかったのと同時に、樫の重い扉の前に立たされていた。
ヒナがささっと髪を梳いて最終確認をすると、優菜も深呼吸し、気合を入れる。
先生も緊張しているのか尻尾をたらしていた。
「上皇様、お待ちになっていた方がいらっしゃいました」
「ええ、入っていただいて」
山ちゃんがかしこまって扉を開くと、そこには老婆が座っていた。
そこにあったのはありふれた光景。
品の良い灰色の髪の老婆が深緑のソファに座り、老眼鏡をかけながら紺色のマフラーを編んでいた。
そこにはどんな権力も存在しないように見えた。
着ている灰色のカーディガンも、中のきっちりアイロンの当たった白いシャツも、黒い長いスカートも北晋国ではありふれた服装で、どこかに宝石が付けられているわけでもない。
ただ左手の薬指には亡き夫に貰った大きな金剛石の指輪がはまっていた。
そして老眼鏡越しに優菜と皺の刻まれた黒い目が合う。
「こんにちは、おひさしぶりです、上皇様」




