第62話 そこにどんな罪が存在するというのです
国王は前魔法騎士団長の資料を眺めていた。
愛する娘を一時でも自分から奪い、絶望の淵に叩き落とした許せない男だった。
微動だにせず書類に目を落とす王の後ろでは心配そうに光東が控えていた。
忠臣である彼だからこそ、そんな王の気持は痛いほどわかる。
「王は魔宗を許すことはできませんか?」
声をかけたのは妻である教皇だった。
隣に座る彼女の瞳は資料ではなく夫である国王の険しい顔へと向いていた。
王は資料から目を離すと肯定も否定もせず、一度呻くような声を漏らした。
「私が美珠と同じ頃、魔宗は当時教皇であった我が父や私まで欺き命を張ってこの国から膿を出そうとした。そのことは貴方もご存知のはず。きっと魔宗はまた命を賭けて、この国を救おうとしてくれたのですよ。私はそれが手に取るようにわかります。十年以上、彼に守られてきたのですから」
「彼を罰するというのならば、私も彼の友として、罰していただきたい」
国王、教皇の正面に立っているのは遜頌という教皇側の最高位の事務官。
彼がいなくては教皇側の事務は全く回らないといわれている中年男だった。
「あれは人に心を開かないくせに、人が、紗伊那という国が大好きなんですよ。どうか陛下、私からもお願いいたします。あの魔宗を許していただきたい。本来、私もまた、ここにいるべき人間ではない。この国を陥れようとする膿だった。それは陛下が一番ご存知のはず。けれど若き教皇様に、そして魔宗に私は心から救われた。あの時の私も魔宗も陛下も二十代、若く、考えたことも全く違う。でも、今は、彼を友だと、同志であると信じています。国を愛して、国民を思う一人の国民であると」
「私も幼いながらにあの当時の記憶はある。あの頃、完全に国は分かれていた。魔宗の働きなしには、いや、あの時の教会側の騎士団長達の働きなしには教皇様、国王様の結婚もなかっただろう。しかし、いかに過去に偉大な騎士団長であったといえども、教皇様、国王様の心を苦しめてよいわけではない。何をしても許されるわけではない」
何よりも教皇の気持を推し量る教会騎士団長聖斗の言葉に国王は深く頷いた。
教皇は精神的支柱であるがゆえに、感情を優先させる。
けれど国王は違う。
これだけの大国であるのだからこそ、秩序というものが求められる。
すると声を上げたのは魔央だった。
「ではお聞きしたい。わが師をどのように裁かれるおつもりですか? 人の前に引き摺りだして、どのように断罪なさるおつもりですか? 姫を殺したと、そう人々の前で述べられるのですか? 姫は元気に空を駆けてらっしゃるというのに。姫を襲った人間は北晋国の人間であり、わが師は姫をただ救おうとした。大切な姫を守るために、全てをすててあの気高い男が犬の姿にまでなって。そこにどんな罪が存在するというのです」
魔宗という人間の一番傍にいて、彼に騎士というものを教わった魔央は自分の師匠は癖があるが、すばらしい人間であると自信を持っていた。
今回も魔宗は美珠を彼なりに大切に育ててきた。
親元、姫という立場から離れた「ヒナ」に色々なものを見せてきた。
沢山の収穫があったのだ。
雄弁に語る魔央の隣で一番の被害者とも言える暗守は迷いのない目をしていた。
意見が聞きたい国王と目が合うと、暗守は静かに頷いた。
「あの幻覚に打ち勝てなかったこと、姫を一時でもお二人の手元から離してしまったのは、私の未熟さゆえ。私が述べることは何もございません」
国王も複雑な思いだった。
王子であった頃、この国は国王と教皇に完全に分かれていた。
そこに色々な思惑が介在し、結局一番苦しんだのは民だった。
だからこそ、国王側と教会側を結びつけ、国を丸く治めようとする意見が出てきた。
けれどそんな世情に関係なく教会側では、まだ教皇に就く前の若く美しい少女を手に入れようとしていた男が暗躍していた。
その男の手先となったふりをしながら、自らの手を汚しながらも謀略を暴いてくれた騎士がいた。
それが魔宗だった。
あまり人と交わる人間ではなかったが、彼の瞳は今自分を取り囲む騎士団長達のその瞳となんら変わらない。
強い人間だった。
当時王子であった自分よりも、ほんの少し年上の魔法騎士団長は考えてみれば今、ここにいる騎士団長達と年齢も変わらない。
そんな彼が、それほど若かった彼が国を守ってくれた。
そして自分は愛しい妻と何よりも可愛い娘を手に入れたのだ。
彼の忠義を考えれば、感謝してもし尽くせぬ相手だった。
結局、国王は目を閉じて、魔宗の資料を裏向けた。
*
「先生、火傷って治せる?」
「まあ、時間は掛かるがな。彼女の傷は私のせいなのだろうから、責任をもって治療にあたろう」
優菜は子供に追い回されていた犬を救い上げて、この犬は普通の犬じゃないと祖母を説得し、食卓でお茶を飲んでいた。
後ろでは光悦達が罵りあい、窓の向こうでは縁が竜の背中に子供を乗せて遊んでいた。
「しかし、時間がないのだろうに、よくここに立ち寄る気になったものだ」
「そうじゃないと、ヒナが戦えないから」
優菜がお茶をすすると隣でワンコ先生も頷いた。
「分かってるじゃないか。姫という人間を」
「そ、そりゃあ、恋人だから」
(おお、言っちゃった。俺、言っちゃった)
馬鹿にされるのかと先生をチラリと見ると、先生はしっかりと頷いた。
「そうだな。お前は恋人だ」
「なんか……含みのある言い方ですね」
「別にない。が、前の恋人について語っても言いか?」
「え? あの国王騎士団長ですか?」
「そうだ」
あまり聞きたくないような、聞きたいような。
けれど先生がどこか思いつめた目をしていたので、聞いてみることにした。
「私が姫の記憶をいじったのは今回が二回目だ」
「え、二回目?」
「そう。一度目は幼いころ。まだ十にもならぬ姫の記憶をいじった。それまでの記憶を全て消して、上から書き換えたのだ。教皇と国王の命でな」
「何でそんなこと」
「傾国の魔女から、姫を守る為だ」
「夢に出てきた桐?」
「そうだ。当時の姫には初恋の少年がいた。それが、今の国王騎士団長。その外に二人、姫には大切な友がいた。さっきの女性と、乳兄弟の相馬」
けれどヒナは今、彼らを大切な存在と認識してすごしている。
「記憶を消されてたの? でも今」
「そう、今は元通りだ。姫が自分で記憶を取り戻した。あの魔女の戦いの中で自分の力で。そしてあの三人も姫の所へと戻った。そして今、姫には仲間がたくさんいる。あの時も、散々悩んだのだ。これでいいのかと。でも結果はうまくいった。今回も、そう願ってる、私がどのような罪に問われようと、それが国の為になるのなら」
(先生も今回のこと、本当に色々考えたのかな)
全部、自分がかぶるつもりで引き受けたのだろう。
自分の死で、償おうと考えながら一緒にいてくれたのかもしれない。
どんなに気持を出さない、艶で高慢な魔道士であろうと、きっと押しつぶされそうなことだってあったはずなのに。
根本には国のため、国の未来の為しかないのだ。
この人も「騎士」なのだと優菜は理解するとともに、無性にこの黒い犬が愛しくなって抱きついた。
「何だ、お前」
「先生ってさ、一人で抱え込むんだね。俺聞くからさ。一人で考えなくてもいいと思うよ。弟子だけど、技教わってるだけじゃ脳がないもんね。それに教皇様はわかってたよ、先生のこと」
するとワンコ先生は鼻で笑ってペロペロと何度も何度も頬を舐めてくれた。
「お前は、本当に自慢のかわいい弟子だな。大して強くないワンコがあの砂利のような子犬を溺愛するのが分からなくもないか。あのまま山奥で引きこもっていたらお前にも会えなかった。きっと残りの人生、誰とも接触せずただ朽ちてゆくだけだ。だからこそ今回、自分の引き起こしたことに後悔はない。どれだけ人に罵られ、どれだけの罪に問われ死ぬことになってもな。
そして生きている間に、私が、お前に色々なことを教えてやろう。頭でっかちのお前が一人前に戦えるようにな。そう、これは国のためなどではなく、自分のためだ」
言われるとどこか恥ずかしかった。
先生がここまで自分を弟子として認めてくれている。
その期待に応えるため、ちゃんと教えを身につけて、先生を満足させたかった。
「ところで、優菜、完全におまえ、愛犬家だな」
「え?」
周りを見ると祖父母が黒犬に抱きつく孫に視線を向け、嫌味のない目を向けていた。
動物を可愛がる優しい孫に心の中を温かくしているようだった。
けれど心を和ませたその瞬間、ヒナがいるはずの部屋から叫び声がして、顔の強張った女が飛び出してきた。
女の目は殺気立っていた。
「あんた! 可愛い顔して、うちの姫様に何してくれたの!」
「え?」
「ごめん、優菜。えっちしたこと言ったら、こうなって」
(嘘だろ! おい! 俺達布団に入って喋ってチュウしただけだろ!)
優菜は兎に角振り下ろされる剣からひたすら逃げた。
剣を奮う茶色の髪の女に疲れが見えた頃、マーマから声が掛かった。
どうやら差し入れにサンドイッチを作ってくれたらしい。
それを受け取って飛竜の背中に乗った。
見送ってくれる祖父母に何度も何度も手を振って、そして空に上がる。
「珠利、こっちはね、竜騎士の縁」
「元だけど」
そう笑って縁は手綱から手を離し、珠利へと手を伸ばした。
珠利も痛みに顔をしかめつつも縁と握手すると顔を緩める。
「飛竜まで仲間にするなんて、なんか、さらっと聞いたけど、色々体験したみたいだね。美珠様」
「あ、そうだ。あの国境にいったら、それやめて」
「はあん?」
珠利は優菜を睨みつける。
お前の指図は全く受けないぞとでもいいたげに。
「あの、だから、美珠様は中央にいて、ヒナは別人の予定なんだ」
「こんな可愛い子、二人いるっていうの?」
「いや、それはあんまりないと思うけど」
「大体ねえ、あんた本当に美珠様とそういうことしたの?」
「そういうことって何?」
珠利の言葉の意味が分からないヒナは首をかしげたが、優菜はあえて無視することにした。
(まあ、恋人なんだし、いつかそういう関係になるんだし。この際、もう既成事実ってことにしといた方が)
「この打算的なキモオタお兄ちゃんめ」
先生の肉球パンチを腹に受けた。
(またバレてる! 先生! もうお兄ちゃんじゃないし!)
南から北への移動には飛竜をつかっても一日要した。
日が沈んだころ、北の国境に辿りつき、人目を避けて国王騎士団長の天幕へと忍び込んだ。
縁の竜の休憩と、自分達の夕食を兼ねていた。
「お、久しぶり~。あんたちょっと痩せた?」
「お前もな。顔色が悪いぞ。そこで、ころがってろ」
珠利と国明は美珠が戻ってきて初めて、お互いをまっすぐ見て、どこか嬉しそうにはにかんだ笑顔を向けあった。
珠利は飛竜での移動が辛かったのかすぐに布団に転がり、束の間の休息を取ろうとしていた。
ヒナはそんな珠利を見守りながら、食事を取りに行くふりをして、国明へと視線を送り外へとでた。
(頼むから俺の前ではいちゃつかないで!)
優菜は少しの葛藤の後、一緒に外へでることにした。
かつての恋人と一定の距離を保ったまま、ヒナは何度も天幕へと目をやって悲しそうな顔をしていた。
「珠利をここに置いて行こうと思います。きっと珠利は納得してはくれないだろうけど」
「でしょうね」
国明は珠利という人間を知っているからこそ、頷いた。
「珠利の傷を見ました。珠利は必死に戦ってくれた。その証があんな傷だったなんて、私、もうどんなに詫びても詫びきれない。それに珠利は恋を諦めようとしてる。確かに珠利にとって相手の方は年下よ。でも、とても素敵な人だった。諦めて欲しくないの。でも珠利の傷は本当に酷くて、もしあの傷を負ったのが私だったら、相手に申し訳なくて、相手のためにも身を引こうとおもうくらい」
「分かりました。珠利のことは、俺が責任を持って」
ヒナは何度も何度も頷いて、涙を堪えながら顔をあげた。
「これから、北へと向かわれるのですか?」
「ええ。そうします。上皇様とお会いしてきます」
「そうですか、ご無理はなさらないで」
「しませんよ」
ヒナはクスリと笑うと、隅っこで聞き耳を立てていた優菜に笑顔を向けて、天幕の中へと入っていった。
それから珠利の隣に腰掛けた。
「国友さん、よんでこようか?」
「いいよ。人のことより、美珠様のことだよ! 大体、私はそういう不埒な関係は許さないよ」
「不埒って何? お互い気持ちよければいいじゃない」
(あ、またはじまった! もうやめてえ)
「良くないって! 気持ちよければいいって、最近の子はどうしてこう! ちょっとあんたもなんか言って! って、あんたいえる立場じゃないか……」
「え、何の話だ?」
珠利は最後に入ってきた国明を見て苦虫を噛み潰したような顔で、首を振ると布団をかぶった。
一方、意味の分からない国明は二人の顔を交互に見ていたが、一つ息をついて部下に夕食の手配をさせた。
すぐに夕食を取って、ヒナは珠利の手を取った。
まるで子供を諭すように。
しかし、相手にそのヒナの意図は筒抜けだったようだ。
「分かってるよ、私戦えないし、ここに置いてくんでしょ?」
そんな珠利の寂しそうな言葉にヒナは頷く。
「しょうがないよね。戦えないもん私」
駄々っ子のように両手で顔を覆って泣く珠利をヒナは抱きしめた。
「元気になったら一緒に色んなところに行こう? これから珠利にはいっぱいついてきて欲しいもの」
「こんなの、私の方が子供みたいジャン。ね、美珠様、これだけは約束して、もう絶対に無茶はしないって。絶対に消えてしまわないって」
国明もそんなヒナの後ろに立って頷いた。
優菜が見た国明の顔もまた辛そうだった。
二人は姫を失う絶望をもう理解しているのだ。
「今回の旅には珠利も相馬も、騎士団長、誰一人おりません。それでも、貴方は生きてきた。ですが、過信はしないで下さい。貴方もわかったでしょう。貴方がいなくなればこの国がどうなるか、どれだけの人間が悲しむか。それを踏まえたうえで行動して下さい」
「大丈夫。優菜だって、先生だっているもの」
ヒナは立ち上がるとそこにあるのが分かっているかのように優菜と手を繋いだ。
「どうか、ご無事で……美珠様」
その名を呼んだ声音は優菜でも分かる本当に優しいものだった。
優菜はヒナを思う二人の幼馴染にかるく会釈をして、ヒナの手を引いた。
ただヒナは一度振り返ると、国明とそして布団から目を出す珠利に微笑を見せて出て行った。
ヒナがいなくなると、国明は珠利へと目を向けた。
「で? 不埒な関係って何だ?」
「お、そこ気になる? 流したからもういいのかと思ったよ。やっぱりすごく気になってたんだ。しちゃったらしいよ、美珠様、あの細っこいもやしみたいな奴と国王様がいつも侍女にしてるああいうやらしいの」
「え? 国王様」
国王の腹心の部下だからこそ理解できるその言葉に国明は力が抜けた。
あの手の早い国王が侍女を口説いてすることといえば、一つ。
「あ~あ。綺麗な顔、どっかいっちゃったよ? しかし、最近の子には節操ってもんがないのかな。まあ、あんただってそうだったんだし」
「珠利!」
「けどさ~、なんだかんだで、結局ここに来ちゃった。ここだけは来たくなかったのに」
珠利は悲しそうに国明の布団にもぐると目を閉じた。