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第59話 あなたがここにいる

「国友さんのこと、お願いするだけだもん」


 ヒナはそう何度も自分に言い聞かせていた。

 何度も何度もそう声に出した。

 けれど、躊躇う気持が自分に圧し掛かってくる、足を止めたくなった。


「やっぱり、やめておこうかな」


 会って何を話せばいいのだろう。

 昔なら聞いて欲しいことはたくさんあった。

 恋人であったなら、腕の中に入って散々甘えて、今回のことを色々語っただろう。

 けれど、彼は幼馴染であるものの、騎士団長なのだ。

 妻も子供もいる。

 信頼はしてもいい、けれど女として甘えてはいけない相手だった。

 どれだけ足を止めて考えていたのだろうか。

 ふと、影ができて、慌てて振り返ると、そこに碧の鎧を着た男が立っていた。

 ヒナの大きな瞳と切れ長の瞳が絡まりあう。

 もう何十、何百も絡まったものだった。

 けれどお互いがすぐその視線を反らして、口を開いた。

 それは美珠と国明が、成長して初めて出会った頃のようにどこかよそよそしいもので、他人行儀、それ以外相応しい言葉は全く見つからない。


「美珠様、こんなところでお一人でどうなさいました? 優菜さんは?」


「あ、今、麓珠様のところに」


「そうですか、父の。先ほどお願いされていた件ですね? しかし、美珠様、どの様な目があるか分かりません、あまりお一人では出歩かれませんよう」


 美珠は静かに頷いた。

 目を一度反らしてしまうと、もう顔は全く見られなかったし、声だって聞きたくなかった。

 自分への愛を囁き続けてくれた声。

 今は別の女に囁くのだ。愛していると。

 彼の声を聞くだけで、そんなことを思ってしまって涙がでそうになった。

 記憶を失くす前の、あの北へと逃げた辛い気持がヒナの中で湧き上がってくる。

 この気持だけは忘れたままでよかったのにと、ヒナはワンコ先生を少しだけ恨んだ。

 国明にそんな美珠の気持ちが伝わっているのか、いないのか、感情のない声が聞こえた。


「では、私は国境に戻ることにいたします」


 視界にあった国明の足がヒナから離れて行く。

 そんな男の篭手を思わず、ヒナは掴んだ。

 言葉より、考えるより先に体が動いていたのだ。

 冷たい篭手の感触。

 恋人であったころ、物足りなくて仕方ないものだったけれど、今はそれで充分だった。


「美珠様」


 国明の声に我に帰り、慌ててそれを離した。

 やっぱり顔は上げられなかった。

 引き止めた理由を今更ながらに考えた。

 引き止めるに相応しい、それなりの理由が必要だった。

 けれど出てくる思いは稚拙なもの。

 話がしたかった、触れたかった、傍にもう少しいたかった。

 けれど口をついて出てきたのは、そんなことではなかった。


「珠利の居場所、どうにかわかったの。珠利、酷いやけどをしてるらしくて」


「そうですか。俺はすぐに国境に行ったので。自分自身がいっぱいいっぱいで、あいつのこと気にかけてやれてなかったから」


「あの、知ってた? 珠利と国友さんが恋人だってこと」


「そうなんですか」


「ええ、珠利、だから気にしてるんじゃないかって。麓珠様が」


「分かりました。国友に手紙でも書かせるとします」


「お願いします。……じゃ、気をつけて」


 ほんの少しだけ見送って、離れてゆく国明を見るのが嫌ですぐに背を向けたものの、歩けなかった。

 珠利のことは大切な話だったけれど、今する必要のない話。

 それでももう少し話をしたかった。

 自分がいなくてどう思った、何をしていたかなどと、きっと今の彼にとってはどうでもいいような話がしたくて、でもそれだけは絶対に聞けずに、かなわない寂しい気持ちだけが募る。

 暫くして、もう向こうはいないものだと言い聞かせて振り返ると目が合った。

 バツが悪くて慌ててその視線を反らす。


「何、見てるんですか?」


「いえ、ここに美珠様がいる。それが嬉しくて」


 ヒナ、いや美珠という存在を国明は誰よりも理解している。

 どんな言葉が姫を喜ばせるか、きっと彼は知り尽くしているのだ。

 そう思いながらヒナは首を振って顔を上げた。

 

 もう自分達は恋人ではない。

 ヒナには優菜がいて、彼には妻と子供がいる。

 だから一言、


「そんな言葉、奥様にかけてあげてください」


「ええ、そうですね。では」


 そう言ってヒナはまた背中を向けた。

 遠ざかる足音が聞きながら美珠はもう一度振り返った。

 いつも見ていた背中が遠くなってゆく。

 けれど国明はまた振り返った。

 そして目が合った。

 お互い暫くみつめていた。

 それからヒナは駆け寄ってそうっと国明の手を持ち上げた。


「この手、奥さんと手をつないだ? 子供のこと抱いた?」


 答えは返ってこなかった。

 国明は一度目を閉じ、ヒナの手から逃れるように少し手を持ち上げた。

 ヒナは拒否されたことが悲しくて顔を反らそうとすると、温かい生身の手がヒナの手に触れた。

 国明の左手に、先ほどまで右にはまっていた篭手が握られている。

 ヒナはそれを理解すると、少し手に力を入れてみた。

 

「温かい、あなたがここにいる」

 

 ヒナが心の中に思うこと。

 それをしみじみと呟いた国明の脳裏をよぎるのは瓦礫の中で体を引きちぎられ、腕だけになった手を繋いだこと。

 絶望の中、ただただその手に縋るように触れたことだった。

 今となってはあの手が一体なんだったのかは分からないけれど、そんなこともうどうでもよくなった。

 今ここに温かい手がある。

 握ったら少し握り返してくれる手がある。

 国明の頭を覆っていた靄は完全に消えうせていた。


「貴方の国を私は守ります」


「私達の国ですよ。国明さん。だから、国境を、この国をお願いします」


 それだけ言うと美珠は手を優しく離して、背中を見せて駆け出した。



    *



 相馬は部屋で眠りについていた。

 やっと帰ってきた馬鹿主と共に戦うために、養生に心血を注ぐことにしたのだ。

 光も音も失い、まだ誰からも今回の真実は聞いていない。

 何もわからない時には、美珠の姿を探し歩いては誰かに取り押さえられ、ここに戻された。

 ここが王都であることは、歩いてみて理解もできるし、匂いでもわかる。

 食べ物、古い書類の匂い、騎士の甲冑の汗の匂い。

 けれども大切な人の体温と匂いだけは先日まで皆無だった。

 どこにもなかったのだ。

 真っ暗な闇に支配された、辛くて消えてなくなりたくなった日々だった。

 でもその匂いももう甦った。

 もう心配することは何もない。

 姫の隣に自分が立てば、もう何も怖いことはない。

 姫にとって自分は最強の相棒なのだから。

 

 風が揺れた。

 そしてあまり嗅ぎなれない匂い。

 顔を動かすと、突然手を掴まれた。

 何事かと思った掌に指が触れた。

 規則的に掌を叩いてくる指の腹。

 はじめは意味が分からなかったが、けれどすぐに理解した。

 それは軍の暗号だった。


「よし、わかるみたいだな」


 優菜は目の前のミイラ男の手を掴んでその掌にひたすら、この国の軍の信号を繰り返し送り続けた。

 すると向こうも、ゆるゆると体を起こし、優菜の掌を掴むとその手に優菜が投げかけた質問を返してくれる。

 優菜はまず、自分が名乗り、時間もないことから美珠姫の護衛と名乗った。

 相馬は警戒しながらも、自分の名前を教えてくれた。

 そして状況を教えてくれと、先に向こうが懇願してきたので、伝えてやった。


 美珠姫が名前をヒナと変え、前の魔法騎士団長と蕗伎という男に連れ去られていたこと。

 北晋国の今のこと。

 その代わり、尋ねてみた。

 美珠姫が襲撃される前、姫の事情を把握できる人間はどれだけいたのかと。

 優菜の膝の上には優菜が目星をつけた男女の資料が乗っていた。




「優菜、だ~か~ら~もうどうして私をいつも置いてくの! どこ行ってたの! 本当に! って、珍しい組み合わせね」


「ああ、うん」


 旅立つ前に両親と夕食をしていこう、そこに優菜を、と思っていたヒナは白亜の宮中を歩きまわっていた。

 そこへ優菜が相馬の手を引いて歩いてきたのだ。

 優菜は相馬という姫の乳兄弟に情報を求めて接したら、どうにも懐かれて手をずっと掴まれてしまう羽目になった。

 流石に男同士、ヒナのように手を繋いだりということはないが、向こうも自分を情報源だと思って、くっついてきた。

 相馬が鼻を動かして、美珠の匂いに気がつくと口を開いた。


「全く! 執事がうごけない間、姫様にもじっとしていてもらいたいんだけど」


「ごめんね、相馬ちゃん。相馬ちゃんが元気になったらちゃんとバリバリ仕事してもらうから」


 相馬はクイクイと優菜の袖を引いた。

 優菜に通訳を促しているようだった。

 優菜は丁寧に手に打ち込んでやった。

 すると、


「俺がちゃんとこっちのこと調べておくから、その間にやらなきゃならないこと片付けてきてよ」


「うん。それまでここをお願い」


 ヒナはそう言って相馬を抱きしめた。

 相馬もそんなヒナを抱きしめ返した。


「もう、俺の夢を奪わないで」


「分かってる、相馬ちゃん」


 そこに優菜の通訳は必要なかった。

 二人がやがて体を離すと、ヒナは笑顔を作って二人の裾を引いた。


「さ、優菜、まだちゃんと紹介してなかったわね。私のお父様とお母様を紹介するから」


 少し歩いてヒナが扉を開けると、優菜は姿勢を正す。

 それから正面の二人に一礼した。

 腕のない男の方は髭を残った手で触りながら何度も頷き、母親のほうは優菜に優しい笑顔を向けてくれた。


(うちの両親みたいだ)


 どこか、自分の親もそんな感じだった。

 威厳たっぷりの父と家庭的だった母。

 外見的に母親がまだ若いということも関係あるのかもしれない。


「まあ、おかけなさいな。本当に、貴方にも貴方のお姉さまにも、姪御さんにも美珠がお世話になったそうで」


「あ、いえ。楽しかったです。妹ができたようで」


「私が、お姉ちゃんなんだから」


 緊張した面持ちで席に着くと、食事が運ばれてきて、侍女たちが丁寧に盛り付けてくれる。

 何故か、相馬も優菜の隣に腰掛けて、通訳しろといわんばかりに掌を向けた。

 そんな掌に面倒ながらも文字を打ち続け、教皇の声に前を向く。


「本当に貴方がいなかったら、この子もどうなっていたか」


「いいえ、ヒナいえ、美珠姫もいろいろ助けてくださいました。きっと、彼女がいなければ、先生がいなければ、兄さんがいなければ、姪とともに死んでたにちがいありません。それに、姫にはくじけそうになったときも、励ましてくれたし背中を押してくれた。本当に感謝しています」


 ヒナはそうだろうといわんばかりに自慢げに深く頷いた。


「あなたも姪御さんもこの国でいつまでも暮らしてくださいな。私達も出来る限り協力させていただくわ。さあ、一緒にお食事をしましょう」


 教皇の言葉に手にナイフとフォークを握る。

 食事をはじめる前に優菜は気になっていたことを口にした。


「あの先生、いえ、前魔法騎士団長の処分はどのようにお考えですか?」


 娘を奪われていた親にとって難しい質問だったと思う。

 憎しみだって、戸惑いだってあるだろう。

 けれど教皇の声はよどみのないものだった。


「今回彼はとんでもない方法で国を欺きました。けれど、彼は、魔宗はひょうひょうとしていてわかりにくいところがありますが、芯の強い人です。私も美珠のような年のころ、彼に救われたことがあります。今の私があるのは彼のお陰といっても過言ではありません。彼は自分の命をかけて国を護れる人であると、彼の信念に間違いはないと信じています」


 教皇の言葉に国王は少し複雑そうな顔を作っていたが、優菜としてはまず一安心だった。


「そうですか」


(よかった、先生ってば案外信用されてるんじゃないか)


 優菜が胸をなでおろす隣でヒナは難しい顔を作っていた。


(何、ヒナ、それじゃ不満なわけ?)


「私、一つ質問があるの。お母様、先生っていくつなの? 魔央さんのお師匠様なんでしょ? 魔央さんもう三十前よね? ってことは四十は超えてらっしゃるんでしょ?」


「え? 嘘。先生、どうみても二十代だろ?」


「そうよ、私も犬だからあんまり気にしてなかったんだけど、考えてもみてよ、お母様が私くらいのころから騎士をしているのよ。少なくてももう十七年たってるわ」


「確かに、そうなってくると若い方がおかしいか」


 教皇は目の前で顔を合わせて仲良く会話する優菜とヒナを見て頬を緩めた。


「本当に、美珠は家族に入れていただいていたようですね。幸せに暮らしていて良かったわ。ね、貴方」


 教皇は少女のような顔を王へと向けて微笑み、王もそんな教皇の手を握った。


 和やかな空気で食事をとって、食後のお茶が出されたとき、光騎士が部屋へと入ってきた。


「陛下、ご召喚なされた方がおいでになられました」


 すると王は一度頷いてすぐさま立ち上がる。

 優菜はその素早い動きと王の目からして、とんでもない要人なのだと理解したが、ヒナは熱いお茶を一口飲み込んでのんびりと父を見上げた。


「どなたかいらっしゃるの?」


 父は答えることもなく、急いで部屋から出て行った。

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