第53話 前魔法騎士団長
紗伊那の王都は北晋国とは全く違った。
果てはないのではないかと思えるほど、どこまでも続く巨大な街と中央に聳え立つ荘厳な王城。
街中に響き渡る教会の鐘の音と、往来を行き交う人々の活気に満ちた声。
「これが……紗伊那」
「そうだよ。この大陸一の都市さ」
優菜は想像以上の光景にただただ、おのぼりさんとして目をやっていた。
王都上空を旋回しながら桂は得意げに視線を送り、竜を降下させた。
迫ってくるのは目印のように佇む王城ではなく、程近い真っ白な建物。
太陽の光を浴びて、自らも輝くような美しい白い大理石の建物だった。
その南端の庭に優菜達が静かに降り立つと、目の前には出迎えの人間が一人立っていた。
「ようこそ、白亜の宮へ」
「ワンコ兄さん」
「ここは姫様が暮らした家で、今では教皇様も王様も騎士団長も皆一緒に暮らしている宮だ」
魔央はヒナに腕を伸ばし竜から優しく降ろすと、乱雑に飛び降りた優菜に目を向けた。
そして優しく目じりを下げてちゃんと帰ってきた優菜を褒めるように肩を叩き、それから少し真剣な顔を作った。
「広間に我々にとって信頼できる人間を集めてある。疲れているかもしれないけれど来てくれるか?」
「もちろん」
緊張を隠せない優菜と引き換え元気一杯なのはヒナだった。
優菜は落ち着くために息を吐いて、そしてぐるりと目をやった。
(ここが姫の生きた場所)
美珠姫は花が好きだったのかもしれない。
庭には黄、桃、白、色とりどりの花が咲いていた。
その中には図鑑でしかお目にかかったことのない希少な種もあることから、とんでもない贅を尽くしていることくらい分かる。
総大理石の大きな宮。
国王、教皇、姫、騎士団長が住む場所。
間違いなくここは大国の重要な場所。
一介の高校生だった優菜はほんの数ヶ月の間に大国のもっとも重要な場所ににまで到達してしまったのだ。
気圧されるかのように優菜が思案しているとヒナが手を握った。
そんな手を握り返す。
ヒナの顔は白い建物を見て、緩んでいた。
(嬉しそうにして)
「さあ、こっちに」
魔央に誘われるまま二人は純白の廊下を無言で歩いた。
繋ぐお互いの手が尋常でないぐらい汗ばんでいた。
そして広間へと続く大きな純白の扉の前に立った瞬間、ヒナもまた大きく息を吸い込んだ。
魔央の手が扉の取っ手にかかって、そして開いた時、女性と男性が中央に見えた。
二人の傍に共に戦った騎士団長達がずらりと居並んでいた。
優菜にとってはそれが紗伊那の栄光にも見えた。
その他にも数名の人間がいた。
(ここにいるのが紗伊那で生きた、美珠姫の大切な人)
優菜は中央の男女を見て気がついたことがある。
(夢で見た、夫婦だ)
傾国の魔女が夢の中で見せた景色の一つに。幼い子供を可愛がっていた夫婦がいた。
夢で見た存在を確定付けたのは男性の片腕がないことだった。
その二人の瞳はヒナに注がれていた。
チラリと見えたヒナの瞳も少し潤んで涙が滲んでいた。
(ああ、やっぱり、姫なんだ)
一行に動かないヒナの背中を押してやると、ヒナは二人の前まで歩いて行って何度も何度も涙を拭った。
こらえられないのはヒナを目にした女性だった。
きつくきつくヒナを抱きしめる。
そして男性は片手でそんなヒナと女性をいっぺんに抱きしめた。
二人の温もりに包まれてヒナは声を上げて泣いていた。
(この人たちがヒナの両親。この国の国王と教皇か)
優菜の全く知らない空間で、愛を持つ人々に包まれる双子の妹はもう知らない女性だった。
(本当の自分をとりもどせたら、俺のこと、忘れてくんだろうな)
逆に優菜はその場にいることが辛くて扉を開けると、外へと出た。
この空間で自分はよそ者でしかないのだ。
むしろ数ヶ月、ヒナをつれまわした憎い男になるかもしれない。
(これでいいんだよな。寂しくても、辛くても、それが本当のヒナの幸せ。さてと、優真迎えに行って、それから俺らはどこ行こうか)
優菜は俯いて当てもなく、真っ白い道を引き返した。
目の前に黒い影があった。
一瞬ワンコ先生なのかと思って、ほっとして顔を上げる。
けれど前にいたのは見たことのない男性だった。
姿からして魔法騎士かなにかなのだと優菜は推測した。
(この人も姫の信者なのかな)
軽く頭を下げて、その脇を通り抜けようとした。
「どこへ行く?」
突然、男性に声をかけられた。
顔を上げると威圧するような目に睨まれる。
その目に威嚇されて優菜は適当な言葉を返せないでいた。
相手の瞳は国王騎士団長のように切れ長の漆黒の瞳だったが、色気なんてものではすまない妖艶さがあった。
かけた声、すらりとした長身から察するに男性だが、雰囲気は中性的な怪しさに溢れていた。
不思議な存在だった。
(何だ、この人、なんか知ってる気がする)
ぼんやり眺めていると目の前にいた男が右手に持っていた杖が容赦なく頭へと振り下ろされた。
「私に向って、何、ガンたれてる」
痛みに頭をさすりながら涙目で観察を続けるともう一度、杖が振り下ろされた。
「あ、あの、どこかでお会いしましたか?」
会ったことがあるといわれればそんな気もするし、記憶力に一応自信がある自分がこんな怪しそうな人間を忘れることがあるのだろうかとも思いながら記憶と何度も何度も照らし合わせながら声を掛けると、相手は少し虚をつかれたような顔をして声に出して笑った。
(何、笑ってんだよ! 気持ち悪い!)
「何です? 何かおもしろいことでもありましたか?」
扉を開けて出てきたのは魔央だった。
逃げるように出て行ってしまった優菜を心配したのだろう。
「あ、ワンコ兄さん」
優菜は救いを求めるような目を向けると、目の前の男は優菜の頭を杖で小突いて魔央に声をかけた。
「こいつ、私が誰かわかってないらしい」
その言葉に魔央は同情するように優菜の肩を叩き優菜を男の正面に立たせた。
「いいか、優菜、良く聞け。この方は、前魔法騎士団長、魔宗様だ。私の前に魔法騎士を束ねていた人で、魔法騎士の暗黒時代をつくった人だ」
「暗黒時代?」
彼ならやりかねない。そんな空気をその姿からかもし出していた。
「そうだ。この人は見た目不気味だろう。年齢も不肖だし、怪しいし。そんなこの人に率いられた魔法騎士は不気味としか言いようのない集団になってしまった。その時、私も一魔法騎士だったが、他の騎士から向けられる視線というものが恐ろしくてね」
(確かにこの人とワンコ兄さんじゃあ、ワンコ兄さんの方がまともそうだ)
「お前、私にそれだけの口を聞いてまだ人間でいられると思うのか? また犬に戻してやってもいいんだぞ」
魔宗という人間の視線の先には木に繋がれている犬の姿があった。
それは共に旅をしたワンコ兄さんこと茶色の犬だった。
ワンコ兄さんの時に持ち合わせていた礼儀や愛嬌は失われ、ただの野犬と化していたが、その隣ではヒナに呪符を渡した少年が一生懸命犬小屋を作っていた。
(ここで飼うのか! あのワンコ)
「あの犬は魔希にはえらくなついています。私の気持ちでも残っているんですかね。それよりも、そんな憎まれ口ばかり叩いてないで行きましょう師匠。貴方は話さなければならないことが沢山あるんです」
(師匠? 師匠って言ったか、ワンコ兄さん!)
優菜は一瞬襲った緊張と、その後の脱力感に苛まれながらもゆっくりと顔を向けた。
体毛に覆われた体も、愛くるしい瞳もない。
微笑ましい肉球も、抱き上げてすっぽり収まるサイズでもない。
妖しさだけを放つ大人の男が立っていた。
「詐欺だ!」
「何がだ!」
思わず出てしまった優菜の本音のせいで再び杖を振り下ろされ優菜は頭を押さえたが、押し寄せる痛みよりも驚きの方が大きかった。
(何であんなに可愛い姿がこんな恰好に。いや、態度のでかさは同じだ。やっぱり、この人、先生なのか! こんな人が先生の中身、いや本物だったのか!)
「師匠、優菜、それくらいにしましょう。今は師匠がいらっしゃらないとはじまりませんし」
その言葉にワンコ先生、もとい魔宗という、かつての魔法騎士団長は杖で一度床を叩き白い扉へと歩き出した。
優菜もその後ろで魔央に肩を叩かれて、部屋に入ることにした。
部屋に入りヒナと目が合うと目を真っ赤にして駆け寄ってきた。
「どこ行ってたの?」
「詐欺まがいの大人の事情をみせられてた」
「何、それ」
と笑いながらヒナはソファに腰掛けた。
その隣には包帯で頭をグルグル巻きにした人間がいた。
(何だ、気持ち悪いな、この人、あ、まさか、これ噂に聞く、ミイラ? この国にミイラなんて風習あったのか)
優菜が自分の中で対話していると、思いついたら即行動のヒナは躊躇うこともなく人差し指でツンツンと包帯に巻かれた頭を押した。
「何だよ、馬鹿姫。執事置いてどこ行ってたんだ」
返ってきたのはまだ若い男の声だった。
もう一度ヒナはツンツンと押した。
そして、
「貴方のこともちゃんと思い出すから」
辛そうに一言そう言って前を向いた。
そこには妖艶な前魔法騎士団長と品のいい現魔法騎士団長が立っていた。
二人がいれば、ワンコ兄さん復活の儀式のように、すごいものが見れそうな気がして優菜はごくりと唾を飲み込んだ。
「記憶を全て戻してから、姫がヒナへとなった全てを説明するとしよう。今回は何一つ消しはしない。美珠様だった記憶も、ヒナだった記憶も全て残す。少し、時間は掛かるが」
「それで、お願いします」
少し緊張した目をしながらヒナは椅子に腰掛けて頷いた。
目があった。
今すぐ駆け寄って抱きしめて、全てから守ってやりたくなる切ない目をしていた。
「優菜、絶対いなくならないでね」
「いなくならないよ。絶対ここにいる」
その言葉に頷いてヒナはゆっくりと瞳を閉じた。
優菜はほんの一瞬、堪えられずヒナから視線を反らした。
(次、目を開けたら、もうそれはお姫様なんだな)
こんばんは。
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やっとワンコ先生の正体が暴かれました。
『姫君の婿選び』でも登場した人物です。
って、本当に先生何歳?