第52話 童貞の嫁探し
どこか沈んだ空気のまま優菜達は紗伊那の王都に向かっていた。
桂とヒナはチラチラと目を優菜へと向ける。
一番後ろで、優菜はずっと膝を抱えたまま小さくなっていた。
「あのさ、ちょっと一回フレイにご飯、食べさせてくるから。あんたら、そこの町でご飯たべてて。迎えに戻るから」
桂がフレイの世話で一旦、去ってしまった後、全く喋らなくなった優菜の手を無言のままヒナは握った。
雪の積もった寒い街道に取り残された二人の目の前に小規模ながら街があるのに、優菜は座り込んだまま全く動こうとしない。
ヒナは優菜の背中を叩いて、仕方なくその隣に座ることにした。
「優菜、ね、義理兄さんが悪い人なの?」
「うん」
そう言ったまま、優菜はまた黙り込んだ。
優菜の中でもグルグルと色々な想いが交じり合っていた。
藤堂秀司に面と向ってゴミだと言われたのも初めてだったし、彼の人間味のない表情を見るのも初めてだった。
(こんなことに、ヒナは巻き込みたくない。巻き込みたくないんだ)
けれどヒナは違った。
知りたいことが溢れていた。
「ねえ、教えて。ヒナ、本当は沢山のこと知ってるんでしょ?」
(もう、誰も失わない! ヒナも守らなきゃ)
「ねえ、優菜」
優菜の気持ちを全く汲み取ろうともせず質問を続けるヒナに、もう何も言いたくなくて、むりやり口を塞ごうと口付けた。
きつくぶつかりすぎて、きっとヒナの歯かなにかがあたったのだ、口の中に血の味を感じる。
そしてヒナは優菜の頬を叩いて押しのけると、立ち上がった。
見たこともないくらい険しい顔をしていた。
「最低!」
大声で叫んでそのまま駆けていってしまう。
「ごめん、ヒナ!」
けれど追いかけることはできなかった。
(ヒナは、きっと王都に戻れば本当の自分をとり戻す)
その時自分はただの高校生でしかない。
一方、ヒナは大国のたった一人の姫だ。
きっともう二人で今までのように過ごせない。
自分はただの脇役以下の存在に成り下がってしまう。
(もう何の価値もない人間なんだ)
考え込んで座っていると水を含んだ重い雪の球が頭に飛んできた。
側頭部に痛烈な痛みをもたらせて、雪球は弾けた。
「ちょっと、追いかけてきてよ! 馬鹿!」
続けざまにもう一発。
また雪は頭にあたってはじけた。
冗談で済ませるにはかなり痛みを伴ったが、怒る気にはどうしてもなれなかった。
出てきたのはまた涙だった。
(俺は姉ちゃんもあべっちも助けられなかった。優真を一人にして、一体何やってんだ)
「ご、ごめん! い、痛かった?」
駆け寄ってきて頭を撫でるヒナを思いっきり抱きしめて、そのまま泣いた。
「ご、ごめん。優菜、ね」
(ヒナはもうすぐ、本当のヒナに戻る。俺なんか手の届かない、皆から愛されるお姫様に)
ヒナは優菜の力に押されながらも逃れようと少し動いたが、結局抗わず、手の届く範囲で優菜の背中を撫でた。
「もう泣かないで。優菜が泣いたら私まで悲しくなるよ」
けれどヒナの頬には優菜の涙が落ちてくる。
ヒナは息を吐くと、優菜にのしかかった。
「あ、そうだ。ねえ、優菜、折角、二人きりなんだし。したいことあるんだ」
「何?」
優菜はヒナの髪で涙を拭きながら顔を離してみた。
そこには恥らった顔をしたヒナがいた。
「ん?」
「えっちしたい」
少し赤らんだヒナの顔に、優菜の理性が一瞬にして吹き飛んだ。
目の前にはベッドが一つ。
「って、なんでベッドが!」
優菜は我にかえって、落ち着いて周りを見回してみた。
そこは木組みが露になった質素な部屋だった。
目の前には部屋を占領する白で統一されたキングサイズのベッド。
窓の傍には小さな木の机と椅子、一つ。
(あわわわわ)
薄い扉一つ挟んだ、風呂から聞こえてくる水の音。
こっそり耳をくっつけてみる。
ヒナのわけの分からない鼻歌が聞こえてきた。
(駄目だ!)
慌てて耳を離して、歩き回る。
(こ、これでいいのか?)
『えっち』をすると決めてからのヒナの行動力たるやすごいものだった。
すぐに宿屋を見つけて、部屋を確保すると呆然としている優菜の手を引いて、階段を駆け上がり、部屋へと入れた。
それからヒナはすぐバスローブ一枚もって風呂へといった。
(お、俺、何の準備もしてないんだけど。今日、履いてる下着、綺麗だったかな。ってかこんな何の準備もないまま脱童貞)
優菜の中では数分前とは違う葛藤が起こっていた。
ガチャリと扉が開いてヒナが姿を見せた。
何度も見たはずの湯上りの姿が、今日はいつもと違って見えた。
濡れたまっすぐな黒い髪も上気した頬も、全てがヒナを女として見せていた。
生唾を飲み込んでそんなヒナに視線を送ると、向うは緊張すらみせず、優菜に余裕の顔を見せた。
「さあ、入った。入った」
「あ、うん」
いそいそと蒸気のあがる風呂へと入る。
熱いくらいのお湯を張りながら、あふれ出てくるお湯を眺めていると、また色々なことがグルグルと頭を回りだす。
(ちょっとこの予想外の展開どうすればいいんだよ! 兎に角、落ち着け。落ち着け、俺!)
蛇口から勢いよく飛び出すお湯で顔を勢いよく洗って息を吐く。
(いや、さっきまで俺、なんか凄く悩んでた気がするけど、頭がうまく回らない。俺、何してたんだっけ? 童貞の嫁探し?)
極度の緊張の中で、優菜は蛇口のお湯をごくごくと飲み込んでいた。
(って、相手は一国のお姫様なんだぞ! ちゃんとしないと! ちゃんとって何? くそう! やりかた、ワンコ兄さんに聞いて置けばよかった)
バカなことをやっていた学生時代、たまにあべっちや山ちゃんと回し読みした、女子に軽蔑されそうな雑誌を思い出す。
あの本の中で彼らは何をしていたのか。
(お、思い出せない!)
極度の緊張の中、優菜は今度は風呂にもぐってみた。
すると頭の中で、昔読んだそういう卑猥な本のどこかで四十代目前の男性が投稿していたコラムがふと甦ってくる。
こういうのに必要な三種の神器『金のわらじ』『白いブリーフ』『絶妙なサイズのこけし』
(一体、どこで使うんだよ! 金のわらじってどこに売ってるの? ブリーフなんて、小学校以来はいてないし! 絶妙なサイズってどれ位!)
優菜はお風呂から勢いよく飛び出ると、洗面台に両手をついて、頭を振って雫を落とした。
(何か、今日ここでこんなことしてしまうのは反則な気がする)
のぼせ気味になってお風呂からでると、ヒナはもう布団の中にいて退屈そうに外の景色を眺めていた。
「えっちの前に、少し、話をしないか?」
「うん。いいよ」
ヒナは布団の中から顔を出して笑った。
優菜は少し悩んで布団へと向かった。
足を入れると、布団はもうヒナの温もりで温まっていた。
「ちゃんとヒナに話すよ。義理兄さんである藤堂秀司のこと、ちゃんとはなしとく。俺の思ったこと、考えてきたこと」
「うん」
ヒナはどこか優しい瞳をしながらずっと優菜をみつめていた。
「藤堂秀司っていうのは父さんの弟子の中でもずば抜けてできる人間だった。確か弟子入りしたのは十七歳ぐらいだと思う。俺が生まれたときにはもう、俺の家にいた。それで、俺が物心ついたと時には父さんの右腕って言われてた。そのうち姉さんとも結婚して」
「うん」
「でも、姉さんを殺したのは藤堂秀司なんだと思う」
「え?」
ヒナは思いも寄らぬ言葉に目を丸くした。
砲台を潰しに行った時、ヒナ自身、藤堂秀司を目の当たりにしたが、あれは北晋軍としてそこに存在したのだと思っていた。
「表向きには、姉さんの殺害は王が藤堂秀司を気に入らなくて、やったことになってる。でも、本当の犯人はあいつだと思う。でも、その証拠なんてない。うまく全部消されてると思う」
「何でそれが王様のせいになるの?」
優菜は垂れてきた前髪の雫を指で掬いながら、厳格だった父を思い出した。
「父さんの教えは情報を扱うことだった。相手を知り、自分を知れば、負けることはないって。だから父さんはすごい数の人を情報の入手先として、そして広める道具としてつかってた。きっとあいつはそれをつかったんだ」
ヒナは納得できないように首を振った。
「だって、愛し合ってたんでしょ? 最後に見たときもすごく仲良かった」
「うん、多分嫌いではなかったと思うよ。ありがちな憎みあって殺したとかじゃないんだ。ただあの人の欲を実行するためにはその『事実』が必要だったんだ。妻が王様に殺されたっていう作り上げられた事実が。そうすればあいつが軍を除籍された後も同情票が集まるし、いつか兵を挙げるとき、ついてきてくれる人間が多くなる。砲台で見たろ? あの人、もう軍を除籍されてるのに、アレだけの人間があいつについてた。何よりの証拠だよ」
「そんなことの為にお姉ちゃんを?」
「ああ、そんなことの為にだ」
そんなことのために姉は殺された。
姉は彼にとっての道具でしかなかった。
自分にとって、優真にとってどれだけ大切な人間だったのかを理解した上で、あの男は姉を殺したのだ。
隣でヒナは理解できないというように首を振って、眉間に皺を寄せた。
「あの人は何になりたいの?」
「きっと、今のところ、北晋国の王様だ。そして……」
「紗伊那を狙ってくるの?」
優菜はしっかりと頷いた。
「そう。紗伊那も取り込むつもりだ。きっとまだあいつは砲台を壊したのが紗伊那だと気づいてはいない。死神がやったと思ってる。何とか生き延びた俺も死神にいるってそう思ってるはずだ。きっとそれはもともとあいつの計算の範疇にあったことで、自分に抵抗するためなら、俺は死神にでも入るだろうって踏んでたんだ」
優菜の頭の中にも、いつか義兄と戦うその日がきたら、死神に入るという選択肢がないわけではなかった。
けれどそのもっとも破滅的な選択肢はワンコ先生により阻まれ、何故か今紗伊那というとんでもなく巨大な軍隊と知り合うこともできた。
それは今の優菜にとって強みだった。
「あいつの予想は外れたことがない。だからまだ今回の誤算に気づいてない。俺のことをちゃんと『知らない』んだ」
「でも、どうやって紗伊那を取り込むの?」
優菜はただじっとヒナを見ていた。
可愛くて、愛しい妹が突然できた。
そのきっかけは、
「きっと、紗伊那の姫が死んだことを利用してくる。紗伊那の姫を狙ったのは王じゃない。あいつだ」
「なんの為にお姫様を?」
「北晋王に罪を擦り付けて、北晋国史上最低最悪の王をつくりあげた上で紗伊那と戦争を起こさせるために」
ヒナは言葉を失っていた。
「見てきたろ? 紗伊那も北にあれだけの兵力を集めてきてる。両国国境は一触即発だ。でも、きっと北晋王はなぜ、そんなことになったのか分からないで藤堂秀司の息の掛かった参謀に言われるまま戦いにでたハズだ。自分の頭で考えられない馬鹿だから。ここに来てちゃんとしたことを進言してくれる家臣を失った大きさに気付くことになるんだ」
優菜は窓の外を見てみる。
外は吹雪へと変わっていた。
「今頃、藤堂秀司は北晋国王都を陥落させてる。正規軍は紗伊那との国境に送ってあるから、今王都の守りは手薄だ。そこに正規軍上がりのあいつの私兵をなだれ込ませる。きっとあいつは妻を殺されたかわいそうな大佐のふりをして集めた兵と、噂をきいて同情した王都の民、それをつかって、ほとんど血を流すことなく王都を占領できる。城を奪われたと気がついて王が引き返そうとしても、もう手遅れ。きっと、中にもぐりこませたあいつの配下が、王からさらに正規軍を引き離すように扇動するはずだ」
藤堂秀司はそうするための下準備を抜かりなく行っただろう。
よく知っている相手だけに、考えていることは手に取るようにわかった。
優菜は今まで黙っていたことを吐き出し終えて、そして黙った。
姉を失い、街を焼かれてたとき、今まで想像でしかなかったことが、現実に変わった。
ただ、その想像の中では自分は孤立無援という状態からはじまるということ。
優真を見捨てて、たった一人で立ち向かうということだった。
けれど現実は違った。
手を伸ばせば包み込めるくらい近くにいる相棒、ヒナがいる。
一人じゃないのだ。
お互いの瞳がぶつかった。
(よし、この空気ならいけるぞ)
優菜から伝えられた話を考え込みながら寝転がっているヒナの柔らかい唇にゆっくり口付けた。
(えっと、えっと、この後はどうしたら)
先へと進めようと、ヒナのバスローブに躊躇いがちに手を掛けると、ヒナは突き飛ばすようにして、少し離れた。
「え? 何する気?」
「え、何って、その……」
手だけがいやらしく何かを掴もうとしていたが、ヒナは不快そうな表情を浮かべているだけだった。
(ま、まさか、ヒナ、ここでやめるとか?)
「あの、『えっち』とか言わなかった?」
「だから、今してるじゃない! 服脱いで、お風呂入ってから、二人でお布団に入って。私が買ったあの暗黒騎士とお姫様の物語はそうだったもの。なんか甘い言葉をかけあって、チューして、同じお布団に入って」
(そしたら次のページは朝だったってオチか? おおお、そう来たか! 確かに間違ってはないさ。だがな! それはかなり中身をすっ飛ばしてんだよ! えっちの内容詳細に書いた本なんて規制かかって、そのままじゃ売れないからな! よし! ここは俺が一発!)
けれどどう見てもヒナはそれ以上許してくれそうにはなくて、長い間自分の内側と格闘した末に、諦めて静かに目を閉じて体を横たえる。
(頑張れ、俺の体! 鎮まれ!)
するとヒナはまた納得したように体を近づけた。
(ああ、鎮まれ!)
「じゃあ、次、私ね」
「え?」
まさかヒナからも話があると思ってはなくて、少し驚いた目を向けるとヒナは軽く笑った。
けれどその笑みに迷いが出ているのが明らかに分かった。
「私、お姫様なのかな?」
「ヒナ」
「私、何も覚えてないはずなのに。騎士をみたら、あの人たちをみたら、凄く嬉しくなったの。名前だって知らない、顔だって初めてみたはずなのに。すごく幸せな気持ちになったの。おなかのなかがあったまるような変な気持ち。それに、あの人たちがいたら何でもできる、そんな気持ちになった」
(やっぱり、ヒナも色々感じてたのか)
「優菜とあった時みたいに」
「え? 俺?」
素っ頓狂な声を上げた優菜にヒナは笑って頬を人差し指で突いた。
「そう、あの時は私の双子はこの人だって、本当に思ったんだから」
(俺は理解できなかったけど)
「優菜はね、自然にすんなり私の中に入ってきたの」
そう言っするりと手を伸ばして優菜の手と重ねた。
家から焼き出されて、いつもそうしていたように。
優菜もその細いヒナの手をしっかりと握り返した。
「明日、行こう、紗伊那の王都に。きっと先生が答えを教えてくれる」
「うん。楽しみだね」
その夜、優菜とヒナはおでこをくっつけて一つの布団で眠りに着いた。
「あんたら、私、殺す気?」
「ごめん、忘れてた」
(本気で忘れてた!)
食事を食べて合流する約束をしていたのに、一晩二人がいなくなったのだ。
桂とフレイは本気で捜索したに違いない。
けれどヒナは悪びれた様子もなく、桂の背を軽く叩いた。
「いやあ、あんまり優菜の元気がなくてさ、ほら桂もみたでしょ?」
「そうだけど」
「だから、しゃあないから、宿でえっちしてあげたの」
フレイの目が見開かれ、桂は手に持っていた鎌をゴトリと落としたまま、しばらく放心状態に陥っていたが、やがて気を戻して、優菜に向いた。
「あんた! 可愛い顔して!」
(俺かよ!)
優菜は大事になる前にこの誤解を解こうと両手を前に出した。
「あの、いや、それは誤解で……」
「もう優菜ったら満足できないのか、へんな手つきで」
(嫌、だから、違うって)
「もういいよ! それであんたらが良いって言うなら私何にもいわないから。さっ、のりな! 王都へ行くよ!」
桂とフレイは鼻息荒く、空へと飛び上がった。
国境を越えるまでに一度立ち寄った都市で新聞をかった。
そこには藤堂秀司が王都を占拠した旨がのっていた。
こんにちは。
やっと、やっと、念願だったこのサブタイトルを使用することができました。
主人公が少年だと決めた時、作家仲間の方から頂いたこのタイトル。
『姫君の婿捜し』ならぬ、『童貞の嫁探し』
そして訳も分からず、託された三種の神器。
未だにわらじの意味がわかりません。