第51話 信じてる
「優菜、戦いの最中に気を抜くな。例え、どんなことがあっても」
背中から掛かるワンコ先生の言葉に優菜は座り込んだまま何も返せなかった。
正論だと分かってる。
当たり前のことなんだと知ってる。
けれど、なんの覚悟もしてなかった親友の死は想像以上に辛く自分の上にのしかかってきていた。
顔を上げてみると、もう戦いは終っていて、騎士達は何一つ自分達の形跡をのさないように確認してから、引き上げる準備をしていた。
彼らは国を守りぬいたのだ。
五十万の人々を守ったのだ。
友を失い途中で動けなくなった自分とは違い、自分達の仕事を誇りを持って遂行した。
優菜は苦しくて、悔しくて、縋るように問いかけた。
「先生、ヒナをどうするの?」
「王都へと連れてゆく」
「そう、足りなかった歯車が戻るわけだ。じゃあ、もう俺は用なしだね。戦える超強い男達に囲まれて安全は保障されるわけだ」
(これが、俺とヒナの終わりかよ!)
『終わり』その言葉が腹立たしかった。
戦うと決めて、やってきた結果がこれなのか。
こんなことしか自分はできなかったのか。
けれどワンコ先生は違った。
「まだ何も終ってない。お前も歯車のひとつだ。その友を、故郷に連れて返ってやったら戻ってきなさい」
「約束なんかしない」
先生はそんな拗ねる優菜の背中に今日は温厚に言葉をかけてきた。
「信じてる、必ずヒナと戻ってこい」
(信じるってなんだよ)
中型犬から発せられた言葉は優菜にとても響いた。
相手は犬であるはずなのに、誰よりも、姉と同じくらい心が動いた。
「そんなこと言われたって、俺は先生のことちゃんと知らない。そんな先生に言われたって」
本当は嬉しかったけれど、素直になれずまだ拗ねて口ごもるとワンコ先生は優菜の肩を肉球で叩いた。
「お前は私の弟子だ。お前が私から認められるか破門されるかまではお前の保護者だ」
保護者。
そんな言葉が不釣合いな黒い犬。
けれど小さな黒い体はやっぱりたのもしく見えた。
「分かった」
「では、我々は王都で待つとしよう」
先生はそれだけ言うと騎士達の方へとさっさと歩いていった。
「優菜」
名前を呼ばれてもう一度顔をあげると、見守ってくれていた人は先生だけではない、ヒナも山ちゃんも、桂だって傍にいてくれた。
彼らそれぞれと目が合うと優菜は少し表情を崩した。
「あべっちを家に連れて帰ろうと思うんだ。桂、悪いけど、北晋国までたのめる?」
「任せておきな」
竜仙ではあまりに弱々しくて、自分が守らないとと思った桂の笑顔もまた頼もしく見えた。
「ありがとう、桂」
「あんたらしくないね。ほら、元気だしな!」
「そうだよ。優菜!」
最強の味方ヒナは微笑んで手を差し伸べてくれた。
細くて華奢な手。
けれどヒナが守ってきたのはとても大きなものだった。
自分なんかが比べられないくらい。
(俺は絶対この手を、家族だけは守ってみせる)
ヒナの手を取るときついくらいに握り締める。
「ヒナ、これから先、俺、ヒナの荷物、背負うから、だから傍に置いてほしい」
「何言ってるの? そんなの当たり前じゃない。私も優菜の背負うんだから」
どこまで理解しているのか分からなかったけれど、ヒナは屈託無く、そして穢れのない笑顔で優菜の手を握り返した。
(これが俺の初戦。勝ちはしたけど、大切なものを失った)
「行こう」
あべっちを抱えていた山ちゃんの肩を叩いて赤い飛竜、フレイの背中に乗った。
フレイは両翼を広げ空気をはらんで空へと上がろうとする。
「あ、忘れてた! ちょっと待って!」
突然、ヒナは思いついたように顔をあげて、そして飛び降り走った。
騎士達の方へと。
そして一人の若い騎士の前に立ち止まり、ごそごそと胸ポケットをまさぐると掌を差し出した。
掌にあったのは破れた呪符。
差し出された少年は呪符とヒナの顔を見比べていた。
「これのお陰でさっそく助かったの! 優菜が勝手に先にいっちゃって、爆発が起こって頭の上から鉄板降ってきた時はどうなるかと思ったけど、これが守ってくれた。本当にありがとう」
満面の笑顔で礼を言われ、少年は破れた呪符を両手で受け取ると握り締めて俯いた。
「俺、ありがとうって言われることなんて」
少年はただその場で泣いていた。
そんな少年の頭をガシガシと魔央が撫でる。
「今回はお前が守ったんだ。よくやった魔希!」
ヒナは涙を落とす少年に笑みを見せると、一度頷いた。
「うん。さすが騎士だね。先生が褒めてただけのことはあった」
するとワンコ先生は後ろ足で雪を蹴った。
「褒めてはいない」
「もう、先生ったら! 素直じゃないんだから」
そしてヒナは自分を見守っていた騎士達、それぞれの顔を見るとまた笑顔を作って大きく手を振った。
「じゃあ、行ってきます」
飛竜に飛び乗るヒナへと視線を送りながら、騎士達はただ飛竜の無事を祈っていた。
そして、長靴をはいたワンコ先生は空に舞い上がった弟子を見送ってから厳しい顔で振り返った。
「お前達、感傷に浸る暇はないぞ。我々は王都に戻り、仕事を放棄した教皇と取り付かれた王を元に戻さなければならないのだからな」
一歩踏み出した黒い犬の足は人間の足になった。
杖を持つ肉球が伸び、成人男性の手へと変わって行く。
そして成人の肩には鴉が乗った。
その姿は騎士団長達に覚えのある姿だった。
「漆黒の魔法使い」
光東の言葉に男は答えることもなく、縁の待つ竜の背中に乗り込んだ。
「ワンコ先生のお姿でもすごく可愛くてらしたのに」
軽口を叩く縁に漆黒の魔法使いは美しい形をした唇を持ち上げた。
三時間程飛竜の背中ですごして故郷、御陵町付近にたどり着いた時、優菜は一瞬呆けた。
業火に包まれた街はもう記憶にあるものではなかった。
黒く焼けた家のほとんどは重たい雪の下敷きになっていて、その場所には人の気配はまったくない。
日が暮れた後の街は、もう廃墟と化していた。
おそらく臨戦態勢をとっているため、物資の多くが届かないのだろう。
復興など、豊かな暮らしなど、夢のようにも思えた。
優菜は幼稚園の頃から、何度も何度も遊びにいった平屋の家に足を向けていた、が、その道すがら自分の家にも立ち寄ることにした。
誰も歩かない雪を踏みしめて家路へと急ぐ。
そして優菜は足を止めた。
黒くすすけて焼け落ちた我が家。
大きな家だったが、梁が崩れ、壁が焼け落ち、もう原型などどこにもなかった。
そんな家の前には花束がいくつか供えてあった。
医者であった姉を慕う人が置いてくれたのだろうか。
もうそれもこの寒さに凍り付いていたが、中には新しいものもあった。
優菜は備えてあった、姉の好きだったすみれに触れながら尋ねてみた。
「ねえ、山ちゃん。姉ちゃんの遺体ってどうなったの?」
「藤堂秀司の部下、春野ってのが拾いにきたみたいだよ。それでこの付近に義援金を撒いて帰ったって聞いてる」
「あの人が。そっか」
優菜は手を合わせて暫く姉へと祈りを捧げたあと、実家に背を向けあべっちの家へと向った。
優菜の家からさほど遠くないあべっちの家は火からなんとか逃れることができたのだろう。
白かった壁が焦げてはいたが、家としての機能は十分果たせているようだった。
優菜が玄関のベルを押すなり、女性の声が聞こえた。
すぐに扉が開いて、顔を出したのはあべっちの母親だった。
母親は優菜をみるなり、生きてて良かったと笑って何度も肩を叩いてくれたが、その後ろにいる自分の息子に気がついて、息子の名前を一度呼んでから、膝をついた。
「おばさん、ごめん。助けられなかった」
優菜の声も掠れていた。
そして、あべっちの死をもう一度認識した途端、涙も止められなかった。
むせ返りながら、ただひたすら優菜も泣いた。
(親友を助けられなかった。俺は助けられなかった)
母親の尋常でない泣き声にすぐに弟や妹達も出てきて、帰ってきた兄に遊んでもらおうと揺すったり、掴んだりしていたが、全く動くこともなく冷たくなった兄に気がつくと、結局は母と同じように声をあげて泣いてしまった。
(あべっち、ごめん。ごめん)
ヒナはやり切れず顔を反らしていたし、山ちゃんはいつの間にかその場からいなくなっていた。