第46話 この人、こんな顔で笑えるんだ
まず目があった。
目の前にいる人間を探るような目を優菜は本能的にしていたし、相手もそうだった。
けれどあえてお互いを挑発することもなく、優菜が軽く頭をひょいと下げると、国王騎士団長は手を伸ばし、優菜を起こしてくれた。
(しかしいい男だよな。見た目は)
そばにいる新人騎士二人よりも更に肩幅も広いし、背も高い。
垂れ目の優菜と比べればキリリと見えるこの涼しげな目元だって色気を備えた男だという雰囲気を出していた。
「すいません。お騒がせして」
「魔央が戻ったのだろう? 偉く派手な登場だが、紗伊那にとって喜ばしいことだ」
そう口では言いながらもどこにも喜びなどださず、無表情を貫く男。
(この人、笑うことなんてあるんだろうか)
紗伊那の総司令官である彼は優菜の見る限りでは無愛想で、表情のない、まるで能面のような男だった。
そんな男が姫と、もし姫がヒナだった場合、あの、感情でしか動かない娘とどうやって恋人として過ごしていたのだろう。
(どう考えたって合わないだろう)
それでもこんな無表情な人でも甘いことの一つや二つは言えるのだろうか。
姫を満足させて、虜にできる魔法の言葉を知っているのだろうか。
紗伊那という大国の姫を妻にするためだったら、どんな性格にでもなれるのだろうか。
姫は外見だけはいい無愛想な男にころりと騙されたのか。
(どういう人間なんだろう、この人)
「少し、いいですか?」
相手は優菜の申し出にあっさりと頷いた。
その際、見た瞳は無表情と言うよりも感情を押し殺したような暗い瞳だった。
「ちょうど、君と話がしたいと思ってたところだから」
お互いもう分かっていた、今から話す内容が誰についてかということくらい。
若い騎士二人を置いて優菜は国王騎士団長国明とともに、人目につかないよう倉庫になっている天幕の中へと入った。
小さな灯りをつけて二人座ることもなく、お互いがお互いの表情を探り探り面と向かいあう。
「貴方は姫とそういう仲だったと伺いました」
「そういう仲? ああ、そうだな。美珠様は俺の全てだった人だから」
男の声音は優しいものだった。
姫の名を紡いだ声、そのものが彼女を愛しいのだと語っていた。
「けど、貴方には奥さんがいるんですよね。って、こんなの俺には関係ないですけど」
「構わないさ。そうだ。君の言うとおり。そして俺は美珠様を失った」
優菜と国明はまた見合っていた。
優菜は一つ息をすると、直球で聞いてみることにした。
「ヒナは美珠姫ですか?」
国明はすぐには答えなかった。
けれど目はしっかりと優菜を捉えていた。
本来答えてもらえるはずのない質問だと思う。
姫は王都にいる。
それがこの国での暗黙のルールであるからだ。
けれどそれはヒナの出現で崩壊しつつあった。
姫の死を知る騎士たちが、ヒナの存在に驚愕し、動揺してしまってる。
「答えにくい質問だということはわかっています。でも俺とヒナが出会ったのは姫が死んで一ヵ月後、それまでのヒナの記憶はありません。俺はそれまでのヒナのこと知りたい」
手の内をさらすことになるのは極力避けたかったが、もう優菜には核心に近いものがあった。
姫でなければ姫の死を追って北晋国に入った魔央が一緒に行動するはずなどないからだ。
あの日、茶色の兄さんを見つけたあの日、犬二匹はクローゼットに入って、それについて語ったのだろう。
だからあの茶色の犬はともに行動するように決めたのだ。
あの時の茶色の犬は明らかにヒナを知っているような顔をしていたのだから。
魔央はただの行く宛てのない茶色い犬ではない。
この国を守る魔法騎士団長なのだ。
優菜からの告白を聞いて国明は口元に手をあてて、暫く何かを思い巡らしていた。
「美珠様の亡くなった一ヵ月後? では君とは血が繋がっていないのか? 双子なんだろう」
「ええ、最初はそうでした。そう言ってヒナは家族に溶け込んできた。でも今は他人だと聞かされています。でも、他人であろうが、俺がヒナを守ろうという気持ちは双子の時と同じです」
国明は二人が他人だという言葉に目を閉じ、首を振った。
「美珠様があの女の子なのか。それは俺が本当に教えてほしい質問でもある。美珠様はヒナという少女なのか。あの方は本当に生きていてくださったのか」
「貴方の感覚としてはどうなんですか? 近くにいたんでしょう?」
「そうだな。あの方を俺はずっと見てきた。でもあのヒナという少女は驚くほど美珠様と同じ顔をしているときもあれば、驚くほど違うこともある。だいたい美珠姫は俺を女たらしと一度も罵らなかったからな」
女たらし、どうしてヒナが国明を見てそう思ったのか優菜にはわからない。
ただこの恐ろしく美形な騎士を見ていれば女に不自由してないのは分かるし、ヒナもそう思ったのならそれだけの話なのだ。
「少し美珠様に責められている気分だった。あの方は、結局俺を責めることもなかったから、いつも健気に耐えておられた。そして耐えて耐えて、耐え切れなくなられて北へと行ってしまわれた」
(そして姫は死んだ)
優菜はその言葉を飲み込んでそして国明へともう一度顔をあげた。
向うも顔をあげて優菜をじっと見ていた。
「あの方が生きていても、そうでなくても俺は何をしてでもこの国を守る。それが姫様の願いだからだ」
その瞳は先ほどまでの暗いものではなく芯のあるものだった。
*
「ちょっと優菜はどこよ!」
とんでもない爆音でヒナが目を覚ました途端、隣にいた桂はフレイのもとへと駆け出してしまい、頼みの綱であった優菜の姿は消えていた。
もしかして敵が攻めてきたのかと不安になって天幕から飛び出ると外は少し騒然としていたが火矢が飛んでくることも喊声が聞こえてくることもなかった。
「一体、何?」
三百六十度まわりを見回しても優菜らしき人影はない。
けれど月明かりの中に暗い人影があった。
「えっと」
ヒナは寝起きの乱れた髪を撫で付けて相手の兜の中を覗き込む。
その中にある顔を探るように。
「驚かせてしまいましたか?」
低い声にヒナは少し驚いて身を引いたものの、すぐに小さく首を振った。
「あなたえっと、暗黒騎士団長さん?」
相手は一つ頷いた。
ヒナはその途端、嬉しそうに天幕へと戻り自分の持ち物の中から本を取り出した。
「良かった、少しお話したかったんだ。今、いい?」
「構いませんが……」
「あ~、敬語なんてなしでいいよ! 私の方が年下なんだし」
ヒナは微笑むと躊躇う暗黒騎士団長を無造作に転がっていた丸太へと誘った。
黒い大きな騎士はヒナが腰をかけたのを見ると少し距離をおいて腰をかけた。
「騎士団長って大変?」
「ああ、まあ」
「っていうか、その鎧重くない? 見るからに重そうなんだけど」
すると暗守は篭手を外してヒナに持たせてみた。
両手にずしりとくる重みにヒナは小さく悲鳴をあげてから、自分の手にはめてみる。
「重い、篭手だけでこんなに重いなんて、こんなのつけてよく動けるね」
すると暗守はフッと笑いを漏らした。
その優しい笑い声にヒナも顔を緩める。
「何がおかしいの?」
すると暗守は首を振って俯くと、覗き込むヒナに気がついて顔をあげた。
「美珠様のことを思い出していた」
「え?」
暗守はヒナから篭手を取ると、それをはめ直してヒナへと視線を向ける。
「初めて美珠様と二人で顔を合わせた時、あの方はさっきの君と同じようにすごく注意深く私の顔を覗いておられた。そして次に会った時は私の鎧を実際につけて重いと笑っておられた」
ヒナはその言葉に目の前に広がる雪山に目を移して頷いた。
「私、北晋国にいた時、紗伊那の姫様なんてすごく遠い存在に思ってた。だって庶民の私とは全く関係ない存在なんだもん。でもね、旅をして、姫様のことを聞いていくうちに思ったの。姫様も女の子だったのかなって、私とちょうど同じ年だし、きっと色々悩んでたんだよね。今はそう思う。それに恋もしただろうし」
暗守はしっかりと頷いた。
「ああ、美珠様は迷いながらも、しっかり生きておられた」
「それに、あなたもいたし」
ヒナは訳知り顔で笑うと暗守の手に本を乗せた。
あのバイト先で買った本を。
「この本は?」
「私が初めて自分で働いたお金で買った本なの。紗伊那の姫様と騎士の恋のお話。それを読んでから、姫様に感情移入しちゃうし、も~う大変! でも、私、あなたのこと応援してるから! さてと、優菜を捜してこなくちゃ、じゃまた」
ヒナが手を振って去ってゆくと、その姿が小さく小さくなるまで見送って暗守は今託された本の頁をめくっていたが、やがて手を止めた。
「な、何だこれは、どういうことだ」
*
ヒナはやっと伝えたかったことを相手に伝えられて満足していた。
死んだ姫の恋の相手暗黒騎士団長。
彼は死んだ姫との思い出をヒナに語ってくれた。
きっと心にしまっておきたかった大切なことだろうに。
「あ、優菜~!」
誰かと一緒に人の気配のない天幕から出てきた優菜はヒナの声に振り返った。
自分を置いていったにも関わらず反省をしていない優菜を見た途端、ヒナはあえて怖い顔を作って駆け寄った。
「半泣きになったじゃない! どこかいくなら一言かけてよ~」
「あ、ごめん」
優菜はさほど悪びれた様子もなく、白い息を吐きながら走ってきたヒナと手を合わせた。
「急にドカンって音がして、起きたら優菜がいないのよ! こんな怖いことある?」
「ワンコ兄さん復活の儀式みてたんだ。ゴメンて」
儀式って何、とヒナは口の先を尖らせていたが、目の前にいる男を見て、優菜の後ろに隠れた。
目の前にいる背の高い男はそんな二人をただどこか優しい瞳でみていた。
そんな男にヒナは視線をめぐらしてから顔を出して一言。
「さっきは、女たらしって罵ってごめんなさい、ちょっとイラってきたのよ」
すると国明はヒナをじっくりと見つめながら顔を緩めた。
ヒナに姫を捜してる。
優菜にはその視線が痛いほど分かったけれど、あえて何も言わなかった。
向うもまたそれ以上何をいうこともなく、静かに首を振る。
「いや、いいさ」
するとヒナは優菜の袖を引っ張った。
「ん? どうしたヒナ?」
優菜が探るような視線をヒナに向けるとヒナは国明を睨みつけていた。
「あの、言っておきますけど、優菜は男の子ですから。こういうところに連れ込んでも無駄ですよ!」
その言葉に国明はぽかんとしていたが、やがて笑みを作った。
(この人、こんな顔で笑えるんだ)
それは最高司令官でもなく、騎士団長でもなく、ただの優しい男の笑顔。
「ああ、残念、男の子だったのか。かわいいから愛人、九人目にしようと思ったのに」
「だめええ!」
焦って更に優菜の手をひくヒナを見ながら国明は足を勧めた。
「さてと、共にゆく仲間を紹介しよう。司令室へどうぞ」
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