第43話 名誉か人命か
「あ、おはようございます」
そんな笑顔を向けてくれたのはまだまだ若い国王騎士だった。
もうほとんどの者が朝食を終えたのであろう、巨大な寸胴には底のほうにほんの少し残った野菜と鶏肉をじっくり煮込んだスープと、隣の鍋にはふかしたジャガイモ、そして丸いおいしそうなパンがいくつか転がっていた。
「国王騎士の味付けが合うといいのですけど」
「大丈夫です、好き嫌いはないから」
優菜が少し笑みを向けると向うも笑みを向けてくれる。
「それはよかった」
それから今度はヒナへと目を向けた。
優菜にはその目がどんな目か分かる。
姫か、そうでない何者か、見定めようとする目だ。
「俺、国王騎士に今年入りました。国友といいます。あの、」
「はい。早くしてくれる? もう片付けたいんだ」
上から言葉を被せたのは隣でトングを持っているパンとジャガイモ担当の若い騎士だった。
彼の目はヒナに声をかけようとした国友を責めるような目つきだった。
そんな視線に気がついて国友は申し訳なさそうに隣の国王騎士に軽く頭を下げる。
ヒナはそんな二人に気付くこともなく軽く礼を言うと、早足で立ち去ろうとする優菜の後を追った。
「ねえ、優菜! ちょっと待ちなさい!」
けれど優菜はそんな声を無視すると、座りやすそうな丸太を見つけてさっさと食事を口にいれてゆく。
ヒナはその隣に急いで座ると、優菜の食事を取り上げ脇に置いて、目の前に顔を割り込ませてきた。
「藤堂秀司ってお姉ちゃんの!」
「そうだ、夫だ」
「何で? 義理兄さんがそんなことするの?」
「姉ちゃんの仇でも討つとか、言うんだろうな、あの人のことだから」
優菜は心配そうに見つめるヒナと、その後ろで控えめに説明しろと顔に書いた桂とを見てから溜息をついた。
そして北の山を見ながら、故郷を、暮らした街を思い返した。
「父さんが言ってたことがある。義兄さんはどこまでも飽きることをしらない狼だって」
「狼?」
聞き返すヒナに優菜は予言者のように神妙な面持ちで灰色の空を見上げた。
「きっと、近々、義理兄さんは王になるんだ」
「王に?」
ヒナと桂はただじっと優菜の無表情としかみえない顔を眺めていた。
*
それからヒナと桂と離れて、優菜は一人、「兎に角何が何でも体力増強」というワンコ先生から事前に渡されていた練習メニューをこなし、陣の中をフラフラと歩いていた。
気になる話題が聞こえたのは、そんな時だった。
「あれは、どう見ても姫様だろう!」
「すごく似てるよな。でも、あのもう一人いる綺麗な子と双子って話だぞ。それに、姫様だったら、今、うちの団長にあいにはこないさ」
(? どういうことだ)
優菜の知らない紗伊那の内情。
話をしているのはどうやら早めに昼食を取っている中堅の国王騎士達だった。
(姫と国王騎士団長は仲が悪いのか?)
もう少し内情を知りたくて、気配を殺し耳をそばだてる。
「まさか、団長に奥さんと子供がいたなんてなあ。俺はてっきり美珠様と団長はそういう仲だと思ってたから」
「だよな」
優菜はその会話を頭の中で何度も何度も反芻しながら、トボトボ歩いてゆく。
(そういう仲? 姫とあの団長がそういう仲)
別にヒナが持っている漫画を全面的に信じていたわけではない。
あれは勝手に書かれた作り物の話だというくらい分かっていたが、こうやって見てきた人間たちが現われ、物事が明らかになってゆくにつれ、美珠姫を全然知らないということに焦りが出てきた。
ヒナがヒナでなくなるかもしれない。
それは優菜にとって壮絶な喪失感になるに違いない。
家族が全くの他人になって、自分のもとから去ってしまうかもしれないのだから。
少し気分が落ち込んだところで、見慣れた背中を見つけた。
黒い犬と茶の犬が小さな背中を見せてまるで悪巧みをするように、もしょもしょ相談していた。
(あ、あれは! 可愛すぎる)
そして二匹は足音に気がつき振り返った先に優菜を見つけると手を挙げた。
(でも、先生を見るとなんか、ほっとする)
優菜は顔を緩めて、自分の師である「長靴をはいたワンコ先生」の前で屈んで目線を合わせた。
二足歩行の黒犬も目尻をさげて愛らしい目で弟子を見つめ返していた。
「弟子、稽古はちゃんと終えたか?」
「はい、先生」
「なら、いい。司令室に来い。大分、話が纏まったみたいだからな」
「あ、はい」
司令室に入るとすでに稽古を終えたヒナと桂が隅っこに座っていた。
並んで座ると先生も隣に腰をかける。
そしてワンコ兄さんが進行役の国廣に合図を送った。
優菜自身、平静を装ってはいたものの、彼らの決定が今後の全てを左右することから、緊張せずにはいられなかった。
「では、皆さんおそろいということですので、はじめましょうか。紗伊那の決定として、南下はいたしません」
その国廣の言葉が優菜に向けられたものだと言うことは分かる。
(え? そんな!)
乗り出そうとした優菜に言葉が付け加えられた。
「その代わり、砲台を破壊するという方向で」
「待ってください! 砲台はそんな簡単に壊せるものじゃない」
優菜はやっぱり堪えられず叫んだ。
「しかし、われわれ紗伊那は敵を前に後退というのはできないんだ」
暗守の言葉に優菜は感情を露にして怒鳴った。
「名誉か人命かどっちが大事だ! あんたら、五十万の兵士の命握ってるんだぞ!」
「だから、壊しに行く」
あっさり言い放ったのは国明だった。
優菜は勢いを失って呆然とただ立ち尽くしていた。
相手は圧倒的な兵器を保有しているというのに、人力で当たるというのか。
どこまで自分達の力を過信しているんだ。
馬鹿らしくて反論する気もおこらない。
だから優菜は逆に冷静になれた。
「壊すって、どうやって。あなた方はあのシステムの内部構造をご存知なんですか?」
「さあ、知らないな。けれど、やるしかないのならやるだけだ」
しれっとした顔で言うこの国の最高司令官に優菜は首を振った。
「そんな、人の力でどうにかなるものじゃ」
「そのための人選は済ませた。夕方には到着する」
(こいつら正気か? 紗伊那って国には頭を使う人間がいないのか? 皆ヒナみたいに思いついたら即行動かよ)
優菜が拗ねたように黙っていると、諭すようにワンコ兄さんが優菜に寄ってくる。
「もし、明日、最悪の事態を後退で防いだとしよう。けれど、その後は? 結局その兵器を壊さねば、国を守ることはできない。国を守れずして何が騎士だ。 何が大陸最強だ」
(ええ、ええ、ご立派ですよ。その無計画さをなしにすれば)
「あの! 私も連れてってください!」
立ち上がったのは桂だった。
(こいつもかよ)
「兄が皆さんにとんでもないことをしたのは分かってます! だから償わせてください」
すると暗守は立ち上がり、桂を見下ろした。
一方、桂は唾を飲み込み、見上げる。
「そんなことをしてもお前の兄が人から好かれるわけではないぞ」
「分かってます! 自分の気持ちの問題です」
(なんで、こいつらこんなに熱いんだ?)
するとヒナがツンツンと袖を引いた。
そして目で訴えてくる。
(ヒナを危ないところになんて連れて行けるか)
あえて反らすと、もう一度袖を引く。
(だから、連れてなんか行かないって)
するとヒナは立ち上がった。
「私と優菜も一緒に行きます」
「おい、こら! ヒナ! 何勝手に!」