第36話 敵襲! 不審者発見!
降り注ぐ太陽の下。
真っ白い雲のはるか上。
飛竜の上で、地図を見ながら桂が声をあげる。
「兄さん、国境に着くのは夕方になると思う」
「そうか、ちょうどいい」
「夕方に何かあるの? お友達との待ち合わせが夕食前なの?」
ヒナの軽い問いかけにワンコ兄さんは先生張りの悪い笑みを浮かべた。
(絶対良くないことだよな)
するとワンコ兄さんは肉球を叩いて、軽く一言。
「五十万人対三人で戦ってみるとするか」
「ワンコ兄さん、本気?」
「考えても見ろ。我々は不審人物だぞ? ただの野良犬に、どこから来たかも分からない少年少女だ。突然、現われた国籍不明なそんな奴らを臨戦態勢のやつらがすんなり迎えてくれると思うか?」
(先生、友達じゃないのかよ! 野良犬って、そうだけど、そうなんだけど! そんな無茶な)
「まあ、桂の着地点がすこぶるよくて、どうにか紛れて陣に入れれば、倒す数はそれほど数が多くないかもしれないいがな」
最後にワンコ兄さんの目が桂とフレイに向けられる。
するとヒナが救いを求めるように声を上げた。
「桂! 兎に角、いい場所に」
桂も手綱を力いっぱい握ると、しっかりと頷いた。
「頑張るよ!」
(ワンコ兄さんも先生の弟子なんだな。性悪な感じもろ引き継いでるジャン。それに絶対、先生いないしはしゃいでる)
それがワンコ兄さんに伝わったのかもしれない。
ニヤリと笑ったワンコ兄さんと目が合った。
「案ずるな。優菜もあの師匠に教えを受ければこうなる」
(そ、それは、いやだあああ!)
*
「はあ、いい匂い」
ヒナは紗伊那本陣の置かれたすぐ傍の森の中で鼻を動かしていた。
夕飯時の陣営からは緊迫した状況とはかけ離れた、トマトソースのおいしそうな匂いが漂ってくる。
「さあ、では作戦会議をしようか」
ワンコ兄さんはパンパンと肉球を叩いて、若者達の注意を自分へと向けた。
「団長達は中央の巨大な天幕にそれぞれいるはずだ。その二人をおびきだせ。もしくは引きずり出せ! ただし、ここにいる兵士を殺しては駄目だぞ」
「分かってるよ」
「はいは~い」
「うん」
木の陰で中腰のまま、優菜、ヒナ、桂はそれぞれ顔を見合わせた。
緊張から三人とも顔が強張ってしまっている。
(五十万対三)
それは途方もない数だったが、優菜に恐れはなかった。
むしろ、自分がどこまでできるのか、期待のほうが強かった。
「よし、じゃあ、漫画でよくある設定やっちゃう?」
さりげなくヒナの白い手が伸びてきた。
優菜はヒナに笑みを向けてその手の上に自分の手を重ねると、桂も照れたように頬を掻いて、手を乗せた。
最後にワンコ兄さんの小さな茶色の手が重ねられる。
「私達だけが知ってて、ここの人たちを助けられるかもしれないんだからやるしかないもんね。三日何もせずじっとしてて、皆死んじゃったら、私のせいじゃなくても、きっと私一生苦しむことになる」
ヒナの言葉に桂は深く頷く。
「お兄ちゃんが奪ったものはもう戻ってこない。でも、私の目の前に広がっているのは生きている人達なんだ。私、できそこないだけど、頑張る。ここにある命がなくならないように」
「まだ未来は変えられかもしれない。その可能性が少しでも残ってるなら、俺達はできることをやろう!」
「よし、行って来い! この国の未来お前達に掛かってる!」
ワンコ兄さんの声に背中を押されるように、刻々濃くなってゆく闇に紛れて三人は中腰で走りだした。
けれどやはり五十万というのは数が多すぎた。
隠れて進もうにも、人は多すぎて、どこにでも人の目があり、死角はない。
(さて、どうするか)
優菜はそれでも四方に目をやり、死角がないのなら、自分で作ろうと画策していた。
けれど、
「ってかさあ」
緊張を破ったのはヒナだった。
颯爽と立ち上がったかと思うと、ヒナはごく普通に芝生の上を歩き始めた。
「おい、ヒナ!」
慌てて引き戻そうと、声をかけると振り返って、優菜に目を向ける。
やけに自信ありげな顔で。
「だって、五十万人の顔なんて覚えきれないでしょう? きっと歩いてても平気だよ。怪しまれないって!」
「言われて見れば、そうだよね。私、馬鹿だから、五十万の人間なんて、おぼえられないもん」
桂も頷いてヒナの後ろを歩き始めた。
(おい、おい! もう少し様子をみてから!)
けれど二人が歩き始めたとたんに空気が変わった。
騎士達、何人かが目を留めて、二人を食い入るように見つめている。
確かにヒナは兄ながらすごく可愛いと思う。
けれど彼らの瞳は可愛い女の子を見つけた好奇の目ではない。
信じられないものを見せられているといった顔だった。
(どういうことだ!)
優菜はこのよくわからない状況を理解し、救出役に徹するためにこっそりと物陰に隠れた。
すると騎士達の会話が耳に入ってくる。
「何で、何で、死人が歩いてる。どういうことだ」
「あれは、幻術か?」
彼らの尋常でない動揺は優菜にもすぐに分かった。
「あれは死んだはずの……竜騎士団長と……姫様」
その言葉を聞いた途端、優菜は目を見開いた。
確かに、桂は彼らの言う竜騎士団長のたった一人の妹。
それも見た目は男だと自分も間違ったくらいなのだ。
初対面の者達、むしろ桂の兄を知る者に間違われるのも否めない。
けれど、ヒナは自分の双子の妹で、姫なんて関係ない。
(関係ないはずなんだ!)
「あれ、優菜、いない」
「逃げたの? 全く、もう男っていうのはこういうときに役に立たないんだから」
「そんなことないの! 優菜はカッコいいの」
ヒナと桂はその異様な視線に気がつくこともなく、ただ普通の女兵士に見えるように喋っていると傍から火の塊が飛んできた。
「わ」
間一髪避けると黒い天幕にぶつかり、炎を上げる。
「な、何?」
「バレた?」
二人が振り返ると、ワンコ兄さんが杖を掲げていた。
そしてニヤリと笑うと杖を隠し、その辺の茂みへと消えていった。
「まさか、ワンコ兄さん攻撃した?」
「あの人は騒ぎを大きくするつもり?」
裏切られポカンとした顔でみていた二人の隣で、誰かが声を上げた。
「敵襲! 不審者発見!」
それは紗伊那の兵士。
けれど逃げようとした桂とは違い、ヒナは面白そうにぺろりと唇をなめた。
「よし! そうこなくっちゃ!」
ヒナは訓練でもなく、紗伊那の者達と戦えることが嬉しそうに両手で剣を抜くと囲んでくる兵士に向かって構えた。
「もう! しゃあない」
桂もまた背中に背負っていた大きな鎌を構える。
そして兄さんの火の塊がまた兵士を襲った。
それが戦闘開始の合図だった。
(なんで、そうなるんだよ、もっとさあ、あるだろ、穏健な方法が!)
優菜は隠れてまわりの様子を見る。
二人を囲むのは兵士ばかり、大陸最強の騎士達は全て様子を見ている。
止めるわけでもなく、ただじっと。ヒナの動きを。
(うちの可愛い妹、みてんじゃねえよ!)
「不審者発見!」
兄さんの声だった。
慌てて、右斜め下に目をやると首に紫の風呂敷をつけて耳を掻く野良犬。
(売りやがった!)
すぐに優菜の周りを兵士達が囲む。
「っち、兄さん覚えてろよ!」
犬に捨て台詞を吐いて、優菜は駆け出した。
*
「敵襲?」
国王騎士団の天幕の中で、副官が声を上げた。
「で? 敵は北晋国ですか?」
副官もすぐ出れるようにと剣を確かめる。
けれど報告にやってきた若い騎士の歯切れは悪かった。
「そ、それがあの」
「何だ、さっさと言え」
騎士団長の声が飛ぶ。
騎士は団長の顔を見て、目を閉じると大声で叫んだ。
「姫様とあの、竜騎士団長竜桧なのです!」
「どういうことだ? それは」
理解できないと首を振る副官の言葉に国王騎士団長は兎に角、立ち上がった。
「姫様を騙るものなら切り捨てる」
「本気ですか! 団長! 姫様かもしれないのに!」
傍に控えていた部下たちの言葉に一瞬国明は動きを止めたが、目を閉じると歩き出した。
天幕から出ると、兵士達の怒声。
そしていくつか出来た人の輪。
高台を利用してそれら全てにすぐに目を走らせる。
けれど国明の目はその中央にある群集の輪に注がれた。
その輪の中央には若い娘がいた。
昇り来る月に照らされる、長い髪。
浮かび上がる白い肌。
楽しそうに輝く大きな瞳。
「団長! あれは!」
そして後ろから出てきた副官、国廣も言葉をなくす。
「本当に、美珠様なのか?」
国明はただその面影を求めて歩き出した。
こんばんは。
今日もアクセスありがとうございます。
さあ、とうとう、優菜一行は、紗伊那軍の前線へと足を踏み入れました。
しかし、そこで優菜が知った驚愕の事実。
美珠にそっくりのヒナ。
美珠を想う国明。
彼らの今後は!