第33話 紗伊那は主殺しに付き合うつもりはない
「団長、奥様からのお手紙です」
「置いておいてくれ」
若い騎士が大切そうに届いた手紙を持って現われる。
副官は後ろで手を組んでただ、それに視線を送っていた。
けれど碧の鎧を纏った国王騎士団長は目の前に置かれたものを見ようともせず、ただ投げ出したままにしていた。
暫くしてふと副官が珍しく声をかけた。
「たまにはお返事でも出して差し上げればいかがですか?」
「そんな悠長なときではないだろう」
「そうですか」
突き放された言い方をされて、別に気分を害したわけでもなく、また静かに手を後ろに組んで川の向こうの敵陣へと目を向ける。
そんな時、また騎士の一人が団長の天幕に足を踏み入れた。
「北晋国から密使が参りました」
「密使? どういう用件だ」
予想もしていなかった訪問者にきつく声を上げる副官。
けれど団長の端正な顔は何一つ変わることがなかった。
「は! 北晋国王の遣いではなく、藤堂秀司と名乗る者の使いでございます」
その名前を聞いて副官が団長の耳に口を寄せる。
「藤堂……北晋国の功労者ですね」
すでに北晋国については多くの調査が済んでいる。
その名字は国王騎士団長も聞かされている名前だった。
だからこそ、むげにはできなかった。
すぐに国王騎士団長は立ち上がり、報告に来た騎士に静かに命じた。
「暗国騎士団長を呼んでこい、密使と会うとしよう」
「は」
密使として現われたのは二十代半ばの物腰の柔らかな青年だった。
武人というよりはまるで文官。
ただ向けられる笑みに鋭利なものが含まれているように、紗伊那の者達には見えた。
その男は深く頭を下げると、そのまま口上を述べた。
「誉れ高き紗伊那の騎士団長にお目どおりいただけたこと恐悦至極に存じます」
慇懃な使者の態度に、国王騎士団長国明は椅子に腰掛けたまま、静かに言葉を放つ。
「で? 用件は?」
「我が主、藤堂秀司は北晋の為、命を投げ出す覚悟でおります」
「で? 用件は?」
二度目の国明の冷たい言葉に男は少し顔をあげたものの、すぐ理解したように頭を下げた。
「我が主、藤堂秀司は北晋の平和を願っております。そのために我ら同志を集め、王を、いえ、欲の化身と成り下がったものを誅殺する覚悟でおります。その時にどうかお力をお貸しいただきたい。さすれば両国の無用な争いなどさけられると、わが主は考えております」
「紗伊那は主殺しに付き合うつもりはない」
冷たい顔でさらりと言ってのけた国明に更に男は食い下がる。
「成功の暁には北晋の領土の五分の一の割譲を考えております」
「雪ばかりの地などいらぬ」
国明の取り付く島のない言葉と同様に、紗伊那の者達も同じように冷たい視線を向けていた。
すると男はどこか悲しげな顔を浮かべた。
劣勢に立たされて悲しい顔をしているのかと思えば、違う。
「では、姫を暗殺した実行犯の男と命じた王の首をそれに付け加えましょうか」
国明の顔はどこまでも変わらない。
隣にならぶ暗黒騎士団長、暗守の顔も隠れていて読み取れない。
ただ国明は平静の中にも、言葉を出す余裕を欠いてしまったようだった。
今度は暗守が低い声で反応した。
「姫様は王都にいらっしゃる」
「わが主、藤堂秀司の妻も娘も先日、姫殺害の実行犯に殺されたのでございます。藤堂は王に諫言したのです。そのことで、王のご不興を買い、地位を剥奪されてしまいました。しかし、まだ、我々には同士がおります。どうかお力を貸してくださいませ。
あの、人の心などもたぬ奴らに鉄槌を。悼む気持ちは同じ。人の死に重いも軽いもございません。姫の死と、妻と娘の死。どちらがより悲しいということはないのです。どうか、お力をお貸しくださいませ」
男は言いたいことだけ言い終えると、顔をあげ、一礼とともに、どこか堂々とした動きで出て行った。
足音が遠くなり、気配が消えてから暗守は隣の無表情を貫く男に声をかけた。
「同盟か」
「お前は顔を見たのだろう」
怒りをはらんだ声で、国明に暗守は問いかける。
「ああ見た。美珠様が友人だと語っておられたあの男が胸を貫いた」
「そうか、なら、あの男だけは、我が手で殺す。どんな手を使っても……」
国明はそういうと剣を抜き、北晋国へと剣を向けた。
*
朝、優菜は木の棒で地面に色々なことを書いていた。
そこへ朝日を浴びて、まぶしそうに目を細め、腕を後ろに組んでワンコ先生がやってくる。
(なに、そのお偉い先生みたいな歩き方)
そして傍まで来ると、地面に書かれているおびただしい文字に黒い目をやって、そして優菜へと顔をあげた。
笑みを浮かべることもなく、難しい顔で一心に字を書き続けてゆく優菜。
普段は優しく垂れた目は、少し細まり地面とそして動き続ける手の間の宙に注がれていたし、女性よりもややふしばった手で作り上げられる砂の文字は女性の柔らかい文字ではなく、男性の書くやや角ばった文字だった。
優菜はこの瞬間、美少女ではなく男として、誰からも認識されていただろう。
「何を懸案してるんだ」
「うん。北晋にそろそろ動きがありそうで」
「動きか。もし、お前が北晋の人間なら、次はどう動く?」
「そうだな……俺が北晋側の人間だったら王を退けるために、王の威光をどん底まで落とそうと、紗伊那との状態を一触即発まで、持ってゆく」
優菜は一度指で唇をなぞってから国境で見た大河を棒で書いて、その両側に円を書いた。
「まず、情報を操作する。北晋国中で噂を流すんだ。
王は紗伊那の姫を殺した。まあ、その理由はなんでもいい。王が民から見放されるような最悪な理由でありさえすれば。美しい紗伊那の姫を欲しがった王はなかなか求めても顔を出さない姫に自尊心を傷つけられ殺したとかなんとか。
で、紗伊那はその姫を殺された復讐に北晋国に攻め込んで、あの超コワイ騎士達が国民を一人残らず殺しつくす。北晋って名前を出しただけで、家族みんなが殺される。とかね、そんな噂で町をパニック状態に陥れる。
まあ噂の中身なんて、何でもいいんだよ。兎に角、北晋国を紗伊那という言葉で恐怖に落とせるなら。情報操作はあの人の得意技だから。まあ、きっと、そんなことはもうとっくにやってるだろうし」
「で、お前はどうする? まさか、ここでずっと遊んでるわけではないだろう? 紗伊那にでも行くか?」
「……そうだな。どうしようか。でも、どっちにつく気もしない」
「何故だ?」
先生の言葉に優菜はつまらなさそうに棒を投げ天を見上げた。
雲より高い竜仙から見える空はとても高いものだった。
「ん~。両方に大義がないから。大義のない戦いなんてどうしようもない。両国にとって無駄になるだけだ」
すると先生は優菜の隣で鼻を鳴らして笑った。
「どちらにもつけないのなら、お前のためのお前の軍をつくればいい」
「どうやって?」
「いるだろ? お前の最大最強の味方が」
先生の振り返った先には、優菜の半身。
何よりも頼りになる双子の妹の華奢な背中が見えた。
その姿を見ると優菜の顔もほころんだ。
「ああ、そうだった」
こんばんは。
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本当にありがとうございました。
最近、紗伊那の騎士 それも国明の露出が増えてきました。
優菜とヒナ、そして国明、彼らはこの先どうなるのか!