第21話 今の私には、誰の心も救えない
「何だ、この暗い空気は」
ヒナ達が暢気にジャガイモを掘っている頃、ワンコ兄さんは紗伊那の中枢、白亜の宮にいた。
ここは国王と教皇、その二人の愛娘、そしてそんな三人を守る騎士団長達が住んでいた場所だった。
ワンコ兄さんは今、そこにいた。
ただの迷い犬の風体で。
「やあ、こんにちは。あの悪徳根性悪魔法使いのお弟子さん。お久しぶりですね。生きていたことが何より」
ワンコ兄さんはその声に振り返る。
自分の師匠、自称「長靴を履いたワンコ先生」はそう呼ばれても仕方のない存在だったからすぐに自分のことだというのが分かった。
そこに振り向いた先に立っていたのは線の細い、顔色の悪い中年男だった。
そして彼の浮かべる笑顔もまた陰気だった。
けれど彼は教皇の側近中の側近。
充分それを理解していたワンコ兄さんは尻尾を振ることもなく、ただ静かに近寄るとその男に声をかけた。
「教皇様、国王陛下のご様子は」
「平静すら装えていない、尋常ではならざる状態です」
男は扇で顔を隠しながら、主の姿を思い出したのか、眉間に皺を寄せた。
「団長達は?」
「ここにいる二人の団長は落ち着いていますよ。主を支えようと精一杯、仕事を全うしている。北へ行った二人の団長とは違ってね。もともと、教会騎士団長は感情を押し殺すのが得意であるし、光騎士団長は温和だからね。それは君も知ってるとは思うけれど。心配なのは、北へ行った二人だ」
「姫をこよなく愛していた国王騎士団長、そして誰よりも姫を敬愛していた暗黒騎士団長。あえていうなら、姫を裏切り死へと誘った国王騎士団長と、傷ついた姫を守れず生き残ってしまった暗黒騎士団長。曰くつきの二人だ。確かにそっちの方が問題だな。それまでは割りと仲良くしていたが……。そして、姫を守れず生死の淵をさすらう魔法騎士団長」
男はその声にまた暗いため息を一つついた。
「国の緊急事態ですが、あなたの師匠は随分余裕をもっているようだ。昨日も突然、悪魔のような黒犬が会議に割り込んで、私を脅すように自分の欲しい情報を得て去ってしまったせいで、他の教会の連中は羽を生やした犬の姿をした悪魔が空から降ってきて、私を操ったと騒ぐようになってしまった。もうこの国は終わりだと」
「申し訳ない」
ワンコ兄さんは自分の師匠の姿が目に浮かんで頭を垂れた。
けれどその前で男は静かにワンコ兄さんに目を向けていた。
そして真摯な瞳で一つワンコ兄さんに問いかけた。
「紗伊那はこのままの紗伊那であり続けられますか」
「私にはあの師匠の考えはわかりませんが、あの悪魔にも少しは善良な心があると信じています」
その言葉を聞いて、男はワンコ兄さんに頭を軽く下げた。
「紗伊那の未来をお願いいたします」
そして男は歩いてゆく。
足音もたてず、静かに、静かに。
扉を開けると薄暗いろうそくに照らされた祈りの間。
教皇がいついかなるときでも祈れるようにと作られたその部屋には真っ白い棺とその前に座り込む女性が一人。
きつい香の匂いが鼻をはすめる。
教皇のそばの人間が教皇の精神を鎮める効能のある香をあえて多く焚き染めているせいだ。
そしてその香にはもう一つ効果がある。
どれだけ魔法を施しても朽ちることを止められない教皇の愛娘の死臭を隠すため。
男が近寄ると、教皇の傍にいつも控えている教会騎士団長がその男へと目を向ける。
けれどそれを無視して、男は教皇の背中に声をかけた。
「そろそろ、大聖堂での祈りのお時間です」
けれど教皇は首を振って動こうとはしない。
一時も娘の棺から離れようとはしなかった。
「教皇様、この国の一大事。貴方には心を強く持っていただかねば。今は国のために兎に角、平素と変わらぬお振る舞いを」
「もう無理です、遜頌。今の私には、誰の心も救えない」
「なりません。貴方は強く心を持たなければ」
女性らしい清純な美しさを失うことのない教皇は何度も首を振った。
娘を失っても、その悲しさを表に出せず、人の心を救うように強要される日々。
日が暮れれば、着々と戦いに向ける夫の国王と娘の棺の前で悲しみにくれる日々が続いていた。
「これでは国が潰れる」
けれど教皇は顔を上げることもなく、傍に控える若い教会騎士団長もただ視線を落としているだけだった。
*
茶色の犬が迷い犬の風体で白亜の宮を駆け回っていた。
ワンコ兄さんだった。
そしてこっそりと居間をのぞく。
誰一人いない、静まり返った部屋。
それからも暫く歩いていると、誰かが向こうから歩いてきた。
何も見えないのか、壁に手をずっと沿わせて、青い寝巻きのまま歩いてくる少年。
すぐに何人かの騎士が寄ってきて、彼を引き止めた。
「相馬君、無理しちゃだめだ」
「放して! 俺は寝てる場合じゃない。美珠様の仕事をしなくちゃいけないんだ! 美珠様どこにいったのさ、何でいないのさ! 何で、俺の耳は、目は美珠様を見つけられないんだよ! いいから放して、俺が捜しにいくんだよ!」
大声でわあわあ騒ぐ相馬という少年の前で二人の騎士が顔を見合わせる。
「兎に角、部屋へ連れて行こう」
「ああ、そうだな」
「やめろよ! 俺は、姫様の執事だぞ! 絶対姫様を見つけるんだ!」
騎士に抱え上げられ、連れ戻される相馬を見送って、茶色の犬は更に進んだ。
そして一つの部屋まで来ると、こっそり隙間を空けてのぞいてみた。
そこにはぼんやりと座っている若い騎士の姿があった。
その騎士は犬に気がつくと立ち上り、犬の前にしゃがみこむ。
「何だ、お前。どこから入ってきたんだよ」
憔悴しきった顔で笑うと、ワンコ兄さんに指を出した。
そんな手をペロペロなめてからワンコ兄さんは飛び掛って、少年の頬をなめる。
「くすぐったいな、やめろよ。何だ、人懐っこい犬だな」
けれど少年はそのまま犬を抱きしめた。
「お前、何か、暖かいな。魔央みたいに暖かい。俺んち、犬飼えないから……でも、美珠様がいらしたら、めちゃくちゃお願いして、ここで飼って貰うのに」
そしてそのまま少年は涙を落とす。
「ごめんな。魔央、お前を助けてやれなくてごめん。俺は騎士なんだ。恋人よりも、先に助けなくちゃいけない人がいた。でも、その人を助けることもできなくて、魔央も助けられなかった。きっと、あの時、すぐに治療してれば、こんなことにならなかった。もうお前はバリバリ働けてたのにさ。俺、いつも口ばっかりで肝心な時、何にもできなかった」
少年はワンコ兄さんの頭を撫でると、涙も拭かず立ち上がり、呼吸器をつけて寝台に横たわる男の手を握った。
「でも、俺はずっとここにいるから、出撃命令が下るまで、ずっとここにいる。お前が目を覚ましたら、絶対俺はそばにいるから」
ワンコ兄さんは一度そんな少年の足にすりつくと、もう一度手をなめた。
「励ましてくれてるのか? ありがとうな」
少年は涙交じりの笑顔を見せて、ワンコ先生の頭を優しく撫でた。
こんばんは!
今日もお付き合いありがとうございます。
そして新たに、お気に入り登録してくださった方、ありがとうございます!
今回は紗伊那の内部がメイン。
久しぶりに出てきたキャラ多しです。
いつも美珠姫の傍にいた執事相馬。
強くて優しかった教皇。
魔法騎士団長魔央。
この悲しみに満ちた国、どうなってゆくのか?