第20話 死体の山を築く国
「とりあえず、ついたけど」
地図の上に姉の字で大きく「おじいちゃんの家」と記された地点に降り立ったのは明け方だった。
目の前にあるのは広大な緑広がる農場にポツリと建てられた、白い家。
その家の歴史を物語るかのように、くすんでしまった白だったが、汚いとは優菜は思わなかった。
むしろどこか、温かみを感じて優菜は好感を持った。
そこが母の実家。
紗伊那出身の母が生まれ育った家だった。
北晋国国境から馬で南へ二日。
紗伊那王都から北へ馬で五時間。
そのほかにも、どこどこの港から辻馬車に乗って九時間など、行き方が事細かに書かれていた。
死を覚悟した姉がここに優菜達がたどり着くように色々調べていたのだ。
優菜はそう思うと、寂しくなってその気持ちを片付けるためにも地図を丁寧に折りたたんでワンコ先生の風呂敷の中にしまった。
きっと、優子は弟たちがまさか飛竜でここに来ることを夢にも思わなかっただろう。
聞いたらすごいすごいと感動してくれたのかもしれない。
昨晩の夕方から、夜が明けるまでの八時間以上、殆ど休みなく飛竜を操った桂、そして沢山の人間を運んでくれたフレイは疲れた様子を見せることもなく、また空へと舞い上がった。
「どこいくの?」
ヒナは心配そうに声をかける。
ここでお別れなのかと。
桂はそんなヒナにぶっきらぼうに声をかけた。
「私、王都に行く用があるから。だから乗せてやるって話だったろ?」
「ああ、私も乗せてもらおうか」
「え? 兄さんまで! どこ行くの?」
飛竜から降りることなく、フレイの頭を撫でていた茶色の雑種は口の端を持ち上げて、心配ないよと飛竜を降りた一行に声をかけた。
「少し、恋人に会ってくるだから」
「ええ! 恋人? 私も会いたい!」
「ヒナも! 兄さん恋人なんているの?」
(犬の恋人ってことは、やっぱり犬……だよな)
優真とヒナの赤らんだ顔と、少し思案している優菜を見て、ワンコ兄さんは幸せそうに微笑む。
「可愛い子だよ。まあ、まだ子犬だけど」
「会いたい! 兄さん、連れてきて」
「それはできないかな。まあ、すぐ戻るよ。ではワンコ先生」
「ああ、頼むぞ。向こうでは私の同胞が待っているはずだ」
「ええ、あの方ですね。了解いたしました」
どこか緊張した顔でワンコ先生に頷いたワンコ兄さんを乗せて、飛竜は舞い上がり、朝の白い光を体一杯に浴びて、鱗を輝かせ飛んでいった。
*
「おじゃまします」
優菜がおそるおそる扉を開いて、声をかけると薄暗いその視線の先には廃屋のような空間が広がっていた。
時の止まった掛け時計。
蜘蛛の巣の張った階段。
埃のかぶった玄関。
「もしかして曾おじいちゃんいない?」
優菜の下から覗いていた優真もまた、目をあらゆるところへと配って、家の様子を窺っていた。
が、耳を澄ますと、どこからともなく陽気な歌声が聞こえてくる。
「あっちだ」
優菜を先頭に、一行は歌の聞こえるほうへと誘われるように歩いていった。
足跡すらない埃をかぶった玄関、そして物置と化した奥の居間、はては使われていない廊下を抜けた裏庭から聞こえてきた声だった。
優菜がはやるヒナを押さえて、こっそり目を出すと、体格のいい老人がヒナの腰ぐらいあろうかという薪を割っている。
老人であるにも関わらず、優菜よりも鍛えられたしなやかな筋肉。
皺の刻まれた瞳の奥にある輝き。
その姿に年齢不詳さを感じつつも、優菜は呼びかけてみた。
「おじいちゃん?」
そのささやかな呼びかけにガタイのいい老人はふと顔を上げて、白い髭を撫でながら辺りを見回し、また薪を切り株の上に置いて、斧で真っ二つに割ってゆく。
優菜は影からでると、祖父に近寄った。
ゆるり、ゆるりと。
万が一、斧で襲われても逃げ切れる範囲で。
優菜より二周りほど大きな祖父は気がついてもいないのか、どえらい迫力で優菜の目の前で薪を割った。
「おじいちゃん!」
「わ、びっくりしたわい! 驚かすな!」
顔をあげて優菜の存在に気がつくと、一瞬、キョトンとしたあと、すぐに満面の笑顔を作った。
「このべっぴんさんは、優菜か。暫くみんうちに背が伸びたな」
「うん、おじいちゃん」
優菜には祖父に会った記憶はあまり鮮明ではないが、あることはある。
もうぼやけた記憶。
姉が優真を産んだとき、こっそり、父、藤堂優太郎に隠れて、母親が連絡して、祖父母でわざわざ北晋国へときてくれたのだ。
ほんの短い時間だったけれど、優菜は肩車してもらった記憶だけが残っていた。
そんな祖父は優菜の後ろから顔を出す優真に目を細める。
「おうおう、おちびちゃんも大きくなって」
ホウホウと笑いながら優菜を抱きしめた老人は、怯えた目でみている優真をそのまま抱きあげた。
「重くなったのう! 前にあったのは、お前さんが生まれたばかりだったからの」
白い髭に覆われた顔を眺めていた優真は恐る恐るその髭に触れた。
少し癖毛なのか、クルクルと巻いた長い髭の感触を暫く楽しんだ後、優真は笑って曽祖父に抱きついた。
「ホウホウ、可愛いひ孫じゃわい」
それから老人はヒナに目を留めた。
「おや、優菜、おまえさん、こりゃあ可愛い彼女をつれとるなあ? こっちもえらくべっぴんさんじゃが、とんでもないわがままを思いつきそうな顔をしとるわい」
「何いってんだ? じいちゃん、俺の双子だよ」
するとポカンとした顔をする。
一瞬、優菜は驚きのあまり祖父が目を開けたまま死んでしまったのかとさえ思ったが、ゆっくりと祖父の首は傾いた。
「はて、お前さん双子じゃったか? こんな顔をした教え子はいても、血縁はなかったような気がするがの」
「最近俺も知ったんだよ。小さいときに誘拐されたらしくてさ」
「ホウホウ、で、優子はどうしたんじゃ? お前さんたちだけで来たのか? とても旅行に来たという雰囲気ではないが」
「それが……」
優菜と優真が顔を見合わせ兎に角今までのことを全部話した。
その間、ヒナは外で空気を吸っていた。
何度も何度も深呼吸をして、肺に、体に紗伊那の空気を入れ込む。
それからじっくりと緑の大地を見渡す。
ヒナはどうしてもちゃんと自分の目で紗伊那見たかった。
「ここが紗伊那」
雪はもうない。
全てを凍らせるような痛いほど冷たい空気はもう感じられない。
今までの極寒の地を思えば、ここは温かい場所だった。
目の前に広がるのはのどかなジャガイモ畑。
「ここが死体の山を築く国」
そうは思えないほど、のどかで暖かな国だった。
そして空は高いところにあり、青かった。
「よし、お前さんたち! ジャガイモでも掘るか!」
ヒナはそんな声に振り向く。
後ろでは巨大な丸っこい体をした髭モジャのおじいちゃんが優真を抱き上げて、優菜をつれて歩いてきた。
どこか優菜と似たような垂れ目のおじいちゃんにヒナは顔を緩めた。
するとおじいちゃんもヒナへと温かい目を向けてくれる。
「今日はバーベキューにしようかの!」
(バーベキューって?)
そんな食文化をしらず、ただただ不思議な顔をする三人におじいちゃんは説明もなく、体で知れとばかりに家の前に広がるジャガイモ畑に入ってゆく。
「さあ、収穫祭じゃわい! これも今日のバーベキューの食材のひとつじゃからな!」
その声とともにむんずと片手で茎を掴み引き上げる。
そこにはゴロゴロとジャガイモがついていた。
それを見て優真とヒナの目が輝く。
そしておじいちゃんに駆け寄るとわれ先にと収穫を始めた。
「紗伊那国に、いるんだよな。もっと暗い国かと思ってた」
「ああ、あんなもう尾までこごえる思いはしたくない」
ワンコ先生は尻尾を振って、ジャガイモ畑に突っ込んでいった。
「優菜、早く!」
ヒナと優真は土にまみれながら、ただ嬉しそうに笑っていた。
こんばんは。
一身上の都合により、暫くPCが触れませんでした。
申し訳ございません。
今日より、再開でございます。
優菜達、紗伊那へと入りました。
そしてそこにいた白髭の「おじいちゃん」
この先、優菜達は?