第2話 黒い犬
優菜はまるで信じられないものをみた後のように、パクパクと口を動かして何度か指差した後、声を荒げた。
「双子、双子って何だよ! 知ってるのか、こいつ!」
「こいつって偉そうに。失礼ねえ」
少女は形のよい赤い唇を尖らせて買い物の中身を確認し、入ってしたシメジの傘をつつく。
隣で優真は不審そうな顔をして、山ちゃんやあべっちのように優菜と少女を見比べていた。
「え? だって、お母さんが優菜の双子だってさっき、言ってたよ?」
「姉ちゃん!」
二階から叫び声をあげて慌てて階段を駆け下りると、もともと一重の細い目を更に細めながら、長い髪を束ねなおしていた姉はニヤリと笑った。
「双子って、何だよ! 何だよ、本当に? 俺、双子なのか?」
「そうだよ」
「そんな簡単に! 何で今まで言ってくれなかったんだよ! そこ大事だろ!」
すると姉は細い目に、傍に置いてあった治療用のガーゼを当てた。
心なしか姉の声が震えていた。
「あの子、あんたが生まれてすぐ攫われてね。やっと見つかったんだ」
「そ、そうなのか」
もしかしたら、自分に知らされてなかっただけで死んだ父も、母も、姉も必死に探していたのだろうか。
あまり波風たたなかった家族の裏にはそんな悲しい秘密が潜んでいたのだろうか。
「辛い思いを沢山したの。優しくしてあげてね」
「あ、うん。そんな目にあったのなら」
勢いを失ってすごすごと階段を上がる弟を見てから、姉優子は後ろに目をやった。
そこには黒い中型犬が一匹。
「素直で可愛い弟でしょう? でも、まじめすぎて冗談が通じないのが、難点なのよね」
犬はソファの上でただ伏せていた。
*
「優菜のご飯最高~」
歓声を上げる姉の隣で、優菜と姪っ子優真は目で会話をし続けていた。
目の前に不思議な光景が広がっていたからだ。
むしろ今日突然現われた双子の女のことは置いておくとしよう。
それですら自然なことだと納得できるような意味の分からない現象が目の前でおきていたのだ。
食卓に黒い犬が座っていた。
前足とお尻の三点で体を支えるような犬の座り方ではなく、人間のように椅子にすわり足をぶらつかせて。
「先生、はいどうぞ。熱いですよ」
少女はその犬を先生と呼び、恭しく鍋の具の入った小皿を手渡した。
すると先生と呼ばれた犬は肉球に箸を挟んで、小皿をもう一つの肉球に乗せて口をつける。
そして鳴いた。
「おいしいダシだ」
と、人語で。
まったく理解できないこの珍客は帰ったときにきいた姉の客、むしろこの双子の保護者のようだった。
「先生、この丸いのおいしいね」
「それは『つみれ』だ。しかし、隠し味の柚子胡椒がきいていてなかなかおいしい」
突然現われた少女と犬とのそんなやり取りを放心状態でじっと見ていた優菜と、顔をあげた少女の瞳が絡み合う。
優菜は頑張って笑みを作ってみた。
(攫われて、犬に育てられたのか、こいつ。大変だったんだな。少しくらい優しくしてやらないと)
「お前、名前は?」
「名前?」
少女は犬に尋ねるようなを瞳を向けた。
すると犬はふんと鼻を鳴らして、箸と皿を置いた。
妙に改まった空気が流れる。
すると今度は犬語で鳴いた。
こぶしをきかせたただの遠吠えにしか聞こえない音で。
(わ、わかんねえ)
姪っ子もまた困ったような瞳を優菜に向けた。
鳴き終えるとまた犬は鼻から息を吐いた。
「まあ、人の言葉で付けてやればいい。何でも可愛い名前を」
(え? なんだよ、じゃあ今の時間は!)
「そうだねえ。双子なんだ、優菜が決めな」
姉の言葉に優菜の心の中かすかに双子としての意識が目覚めてゆく。
自分が一番この少女については責任を負わなければならないという意識がこみあげてくる。
「え? 俺?」
「優真も決める!」
すると少女もキラキラした目をこっちに向けた。
決めてくれ、決めてくれといった瞳で。
「じゃあ、じゃあ、エリザベス!」
優真の言葉に、優子は声を上げて笑った。
「エリザベスって顔じゃないでしょ」
「じゃあ、マルゲリータ」
「そりゃあ、あんた食べ物でしょう」
暫く姪っ子はその辺の単語の羅列をしていたが、全て却下され疲れたように優菜を眺めた。
「じゃあ、ヒナ」
優菜の言葉に犬は顔をあげて、少女を見た。
「何で、ヒナ、なのさ」
姉はビールを片手に問いかけてくる。
改めて理由を問われると、なんとなくとしかいいようがなかったけれど、自分が名付け親になるとなると、口にできる理由が必要で、優菜はじっと少女見てみた。
無垢な瞳がそこにあった。
「何か、生まれたてみたいだから」
「じゃあ、それで」
少女は優真が出したろくでもない名前に半ば諦めていたのか、それとも本当に優菜のつけた名前が気に入ったのか分からないけれど、少し笑って鍋の汁をすすった。
名前が決まると犬は椅子から飛び降りて前足でヒナの足を軽く叩く。
「さあ、お腹いっぱいだ。ご馳走様。後片付けは、私達がしよう。な? ヒナ」
(ええええええ?)
優菜の瞳は犬に釘付けになった。
犬は小さな黒い長靴を後ろ足に履いていた。
そしてそれをカポカポいわせて流しへと歩いてゆく。
(犬が二足歩行してる!)
そしてヒナと共に炊事場に立つと、犬のほうがスポンジを持って、洗剤をかけて食器を洗い始めた。
呆然とその姿を見ていると、ツンツンと優真が優菜の袖を引っ張る。
「優菜、ね、ワンちゃんて、大人になればああなるの?」
「や、そういうわけじゃないと思うんだ」
優子はそんな家族の増えた姿を見て頬を緩めていた。
*
優菜が風呂を終え、宿題を終えて、仰向けに勢いよくベットに転がると背中が何かを踏んだ。
「え?」
おそるおそる布団をめくるとそこで少女が眠っていた。
今日できたばかりの妹、ヒナ。
「おい! お前の部屋、ちゃんと用意しただろう」
けれど洗い立ての心地よい匂いのする少し大きな灰色のジャージを着て眠る顔は安らかで、寝息は整っていた。
「何か……安心してるっぽい?」
(ヒナはどんなところでどんな暮らしをしてたんだろう。何で今まで名前がなかったんだろう、可哀相に)
思わずそんな少女の頭を撫でていた。
髪の艶やかな感触に、少し心をときめかせてもう一度撫でてみる。
(何だ、すげえ撫でてるこっちが気持ちいい。もしやこれが、双子マジック? なんか、触れ合った途端、不思議な力が使えるとかないのか?)
病み付きになりながら、その頭を撫で続けていると、体の奥からなんとも言われぬ情がこみ上げてくる。
恩愛とか、思慕とかそう言ったものが。
「双子の妹か。ま、いいか。俺にはあったことのない兄貴がいるくらいだからな」
するとヒナはうっすら目を開けて口を尖らせた。
「優菜、弟。私、お姉ちゃん」
「なにぃ?」
「頑張れよ、『おとうと』」
それだけ言うとヒナはまた眠りに引き込まれた。
そこは優菜にとっても譲れないところだった。
姉がいる。兄がいる。
必要なのはあと弟と妹なのだ。
自分が優位にたてる可愛い下っ端が必要なのだ。
これ以上、姉は要らなかった。
「起きろ! おい! 俺が兄貴だ!」
けれどもうヒナは話を聞く気もなさそうに優菜を無視し続けた。
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