第19話 素直になれないお年頃、十六歳の雪子
「ねえ、上皇様って何?」
初めて聞く言葉にヒナが首をかしげると答えたのは優真だった。
「今の王様のお母さんよ。五年前まで、この国は女王様だったの。でもおじいちゃんが引退する時に一緒にやめちゃったんだって」
「そう、退位されたとはいえ、上皇様は息子である王よりも王らしい方だ。十八で国を任されてからご夫君と国を五十年以上も纏めてこられた。民の信頼も上皇様の方が厚い」
そう言ってから優菜は唇に手を当てて、暫く考え込んでいた。
「けれど、それでも沢山の血が流れる。上皇様はそんなことを望まれる方でないから」
優菜はどうしたものか、というような息を吐くと空を見上げた。
そして叫んだ。
空を何かが横切ったのだ。
「飛竜!」
その声に全員が顔を上げる。
確かにうす闇に包まれた空を何か巨大なものが飛んでいた。
「先生!」
優菜の声に犬が背中に羽を生やして飛んでゆく。
ヒナがまず駆け出した。
続いて優菜が駆ける。
「兄さん、優真を!」
「分かっている!」
「え~ 置いてけぼり?」
木の間から時折見える赤い鱗。
これを見逃したら、夜の闇に隠れて、今日中に見つけることなどもうできないだろう。
「すごい! 本当に空、飛んでる! ね、優菜!」
「ヒナ、前!」
「わ!」
ヒナは正面に迫っていた木に激突して足を止めた。
そして顔面を押さえながら悲鳴に近い叫び声をあげた。
「いったああ! いいから行って!」
優菜は目に付いた太そうな木の枝を両手で掴むと、勢いそのままで体を隣の木の枝へと持ち上げ何とか高い枝に着地する。
そのまま次々に木に飛び移って木の最も高い部分へ踊りでた。
(お、なんかうまいことできた!)
そのまま低空で飛んでいる竜の尻尾を掴む。
「な、何! あんた!」
乗っていた人物は突然の優菜の出現に、驚いて竜の背中に立ち上がった。
「ちょっと、頼みたいことがある!」
「な、なに、ちょっと」
「止まってくれるかな?」
竜の背中にいた人物は自分の顔のすぐ傍にいる、宙に浮いた黒の中型犬を見て目を回した。
(そりゃあ、ビビるよな。分かるよ!)
*
ヒナは舞い降りてきた竜の姿を見て嬉しそうに駆け寄った。
「赤い竜! かっこいい」
すると竜の尻尾に捕まっていた優菜がヒナの異変に気がつき、すぐに寄って袖で鼻を拭いた。
「鼻血でてる!」
「え? わ、本当だ!」
二人で鼻血を止めようと、ぐちゃぐちゃしてると、飛竜の背中に座っていた人物が横柄な声をかけてきた。
「で、あんたら一体何なのさ。むしろ、その黒い物体、何? 犬みたいだけど、さっき飛んでたよ!」
(先生については、俺だって知りたいよ)
優菜はそう心の中で反論しながら顔を向けてみる。
月影で姿以外、はっきりと見えない。
けれど若い女性の高い声だった。
「女の人?」
ヒナもまた血の流れ出る鼻を押さえながら顔を飛竜へと向ける。
「みたいだな」
優菜は近寄る。
けれど近寄ってそばで見ると、そこにいたのは髪の短い、年頃そうかわらない少年だった。
「あれ? 男?」
「殺すぞ、お前、ちょっと自分が可愛いからって、人のこと男と間違いやがって! 嫌なんだよ。これだから自分が可愛いって思ってる女は!」
優菜は見かけで判断してしまったことに悔いつつ、けれど向こうの言葉にもおかしな点があることに気がついた。
「あの、俺、男」
すると相手も何もいえなくなったのか、バツが悪そうに。ゴホンと咳払いをすると、ドカリと飛竜の上に座り込んだ。
飛竜はその衝撃に驚いて、首を持ち上げた。
「フレイ、そのままだよ」
それが赤い竜の名前なのかもしれない。
素直にその言葉に従い、赤い鱗に覆われた竜は首を下ろした。
「で? あんたらは?」
「俺、優菜、こっちは双子のヒナ。北晋国の学生だけど、お願いがあるんだ」
「何?」
「紗伊那に連れて行ってもらいたい」
優菜の言葉を女は吐き捨てた。
まるでばかばかしいとでもいうように。
「何で、あたしが」
「生き残るためにはそれしかなくて。どうしても紗伊那に行きたい」
「生き残るために?」
緊張をはらんだ優菜の言葉に女は思わず、顔を上げた。
*
「ヒナ、ここ押さえてて。上向いちゃだめだよ」
女医さんもどきの優真に手当てされ、ヒナは何とか鼻血をとめようと努力していた。
その隣で優菜は両脇に犬二匹を座らせて、飛竜使いと向かいあっていた。
一応、彼女には簡単には説明をした。
自分達は家を焼き出され、母方の実家に身を寄せたいのだが、国境を封鎖され、どうしても紗伊那に入れない。
力を貸してくれないか、と。
「ふうん、紗伊那におじいちゃんの家がね」
女はよほど腹が減っていたのか遠慮もなく、ガツガツと優菜たちの夕食の鍋を食べ進め、ほどなくして鍋は空になった。
「そうなんだ。国境を越えるだけでいい、そこまででいいから、連れて行ってほしい」
「嫌だね」
「なんで!」
優菜が思わず感情的に言葉を返す。
簡単なことなのだ、飛竜にのれば、数分でもう紗伊那の国内へと入れる。
けれどそれをしてくれないというのはただのイジワルではないのか。
「私は紗伊那に帰るつもりはないし、人と群れるつもりもない」
「お鍋、全部たべたじゃない」
横から口をはさんだヒナの言葉に女が睨む。
「兎に角、嫌なものは嫌! 悪いけどね」
立ち上がった女に更にヒナは声をかけた。
「ねえ、どうして帰りたくないの? 紗伊那はそんなに貴方にとっても怖い国?」
女は肩を揺らした。
「だって、紗伊那で育ったんでしょ? あの国はそんなに暮らしにくい、嫌な国? だったら、私達も行かない。住んでる人が嫌がる国なんて、絶対まともな国じゃないわ!」
そんなヒナの言葉に女は大股で近寄って、きつく、きつく、ヒナをにらみつけた。
その瞳には怒りと悲しみが宿っていた。
「お前に、お前に何がわかる! 私はあの国には絶対いられない! どれだけ私があの国にいたくても! 私だけはいちゃ駄目なんだ」
「何で? 誰かにそういわれたの?」
ヒナは負けてはいなかった。立ち上がると、自分よりも幾分背の高い飛竜使いを睨み返す。
「ああ、みんなに言われたよ。竜族皆に目でそういわれた。お前の兄のせいで全てがおかしくなったって! 死んだ人間を返せって!」
言ってる傍から女の目から涙が落ちる。
きっと色々なことを思い出しのだろう。
泣くという行為も悔しいのか、ぐいっと袖で涙を拭うと、またんヒナを睨もうとした。
けれどヒナはそんな女を包んでいた。
「じゃあ、うちにおいでよ」
女はヒナの思い付きともとれる突然の言葉に固まっていた。
「うちは何でもありなんだよ。私だって記憶ないし、先生は意味のわからない犬だし、ワンコ兄さんは行き倒れてたし。でも、優菜も優真もおねえちゃんも迎えてくれたんだ。今は焼きだされて家も帰るところも、何もないけどさ。また家を作るんだ。私達が住むおうち。そこはすごく居心地がいいの。だから、だから一緒に住もう?」
「何言って」
ヒナの言っている意味が分からないような顔をしている女に、ヒナはあきらめず声をかけた。
「だってさ、行くところがないってとても寂しいもの。私も、少し前まで、帰るところがなくてとっても、悲しかった。私も何もなかったんだもの。名前も、家族も何も。あなたの気持ち、少しくらい分かるかもしれない。でも、私は今は安心してられる。皆がいてくれる」
「あんた……鼻血兎に角とめなよ」
女はそう言って背中を向けてしまった。
「ほら、ヒナ」
優真はヒナの鼻にティシュを当てる。
「うわあ、まだ鼻血でてた! でもまあ、紗伊那へは別の方法で帰るとして、じゃあ、待っててよ。私達がこの国に戻ってくるまで」
「群れるのは嫌いなの」
女はそう言って飛竜に乗ろうとした。
飛竜は悲しそうに顔を持ち上げて主へと目をやる。
どうやら言葉を理解しているようだった。
そんな後ろから能天気なヒナの声が聞こえてくる。
「ねえ、先生、この子の名前なにがいいかな?」
「そうだな『素直になれないお年頃、十六歳の雪子』だな」
「うわ、恥ずかしい」
優菜が噴出すと、女も振り返って叫んだ。
「桂だ! 桂!」
「んじゃ、桂、またね」
ヒナに名を呼ばれて女は顔を赤らめた。
どこかヒナのペースに巻き込まれたのが悔しかったのだろう。
「勝手にしな。行くよ。フレイ」
赤い竜が嘶いて空へと舞い上がる。
「はあ、いっちゃった。桂」
「また、方法考え直しか」
優菜が座ると辺りを見回して、優真が声をあげた。
「兄さんがいない! もしかして、……あれに、のってちゃった?」
「ええ?」
*
「家族って何だよ、そんな簡単になれるもの?」
「さあ、どうだろうね。でも少なくともヒナちゃんは冗談で言ってるつもりはないだろうが」
桂はおそるおそる振り返る。
後ろには茶色の雑種が一匹座っていた。
胡坐をかいて。
「な、なんだよ! あんたたち」
「君は今は亡き、竜騎士団長の妹かな?」
その言葉に桂の顔が強張った。
ワンコ兄さんはその表情を細かく読み取りながら、言葉を続ける。
「天才、竜桧の妹か。よく似てる」
「だから、何、もう紗伊那は出たんだ。放っておいてよ!」
「なるほど、反逆者の妹として責められ、それで、君は逃げているのか?」
「何言ってんの? 出て行けって言われたから出たんだよ。跡取りの姫様と団長がうちの兄貴を殺してくれたおかげで、国に平和が戻った。けれど人の心なんてそんなに簡単にケリがつくもんでもないしね。散々、毎日罵られたから国を出たんだ。なのに、今更あんな国に戻る気なんかないね」
ワンコ兄さんはそれ以上、何をいうこともなく、ただ静かに桂を眺めていたが、一つ息をはいた。
「そうか……もし、将来、君がほんの少しだけでも紗伊那に戻ることがあるなら、紗伊那王都にある建設中の病院のモチーフを見てご覧。姫様の心が映し出されてるから」
「姫の心?」
「そうだよ。姫様が悩みに悩まれたモチーフがある。結局、それしか姫の心が分かるものはもうないけれど。じゃあね。またいつか君と紗伊那で会えることを願っているよ」
よいしょと犬は立ち上がると竜の背中から飛び降りた。
「な、何だよ。あいつら」
桂は暫く飛んでいたが、突然、彼女のたった一人の相棒のフレイは突然、羽を止めた。
「兄さん、どこ行ってたの?」
「思いのほか、高かった」
ヨタヨタ帰ってきた兄さんはそのままべしゃりと潰れた。
腰を抜かしたように。
「まさか、飛竜の背中から飛び降りたの?」
優菜が掴んで起こそうとしても、もうワンコ兄さんはそのまま気を失ってしまっていた。
「だから『大して強くない兄さん』なのだ」
茶色の犬を叩いていた黒犬は顔をあげた。
そこには飛竜がいた。
「桂!」
ヒナが嬉しそうに寄ると桂は顔を背けた。
そして小さな小さな声で一言。
「ちょっと、王都に行く用ができたんだ。乗りな」
「マジで?」
優菜とヒナが同時に声を上げると桂は顔を赤らめた。
「群れるのは嫌いなんだけどね。まあ、困ってるんだったら、助けてやる」
「兄さん! 起きて! 国境を越えられる!」
優真は先生を抱えあげると恐る恐る飛竜へと近寄った。
飛竜は大人しく、そして優真にどうぞ、というように尻尾を巻きつけ背中に乗せた。
優真は嬉しそうにその鱗の固い感触に歓声をあげる。
ワンコ先生は跳ねる様に背中に簡単に乗ると、飛竜によろしくと声をかけた。
ただ優菜は鱗に触れているヒナへと目をやる。
ヒナの笑顔は喜びに満ちていた。
「なんか、すごく嬉しい」
「え?」
「ずっと、ずうっと、こうやって飛竜に憧れてた気がする」
「そうか」
「飛竜が紗伊那の空を飛ぶ日をすごく待っていた気がするの」
「行こう! 紗伊那へ!」
優菜とヒナは手を繋ぐと飛竜へと乗り込んだ。
飛竜、フレイが羽を広げ、数度羽ばたくと地表はすぐに小さくなりすぐに雲と同じ高さになった。
そしておびただしい数の人間がにらみ合う国境を一瞬で越えてゆく。
空は静かでどこにも、争いなど存在しなかった。
それから暫く雲の上で一行はただ星を眺めていた。
これ以上ない沢山の星を贅沢な場所で。
ヒナと優菜はずっとただ手を繋いで星を見上げていた。
こんにちは。
とうとう優菜達は北晋国から脱出いたしました。
飛竜に乗って。
そして出会いもありました、
今は亡き、竜騎士団長竜桧の妹、桂。
そしてその相棒フレイ。
彼らと、優菜達の今後、ご期待下さいませ。
そしてお気に入り登録が増えていた!
あまりにもうれしすぐる。
ありがとうございます。