第15話 俺の師匠の長靴を履いたワンコ先生
「奥さん、残念だったねー」
張り詰めた空気を持つ藤堂秀司とすれ違い様、軽く声をかけた男がいた。
その男はにやにやと笑いながら藤堂秀司の顔色を窺う。
ただ藤堂秀司はその男の存在に無視することを決め込んでいたのか、何も反応することはなかった。
けれどそんな不躾な態度を堪えられないのは藤堂秀司の部下だった。
敬愛する上司の家族を奪い、さらに心の傷をえぐろうとするこの男が許せなかった。
その怒りをもつ男は昨日、配属されたばかりの新米の部下。
藤堂秀司の義弟、藤堂優菜のもとクラスメートであったが、御陵町が焼き討ちされる少し前に藤堂秀司に声をかけられ、彼の側近になれたのだ。
だから、平静でいられるわけがなかった。
自分の故郷が燃やされたのだから。
「お前の仕業だろう!」
男の怒鳴り声に、相手は笑みを絶やさず困ったように頭をかく。
その姿が、部下にとってはまた苛ついた。
「やめて欲しいな、そういう言いがかり。しかし、君細いねえ。まるでモヤシみたいだ」
それは部下の心を激しく揺さぶった。
モヤシ、学校ではそう言われてきた。
けれど、自分は違う。
できる人間なのだ。
だから、この国の英雄の愛弟子、藤堂秀司の付き人になれたのだ。
今更モヤシと呼ばれる必要はどこにもなかった。
少年は毅然とした態度を取ることにした。
「あの街に火を放ち多くの人々を焼きだしたのはお前達『死神』だ。目撃者もいる。調べはついてる」
「さあね。目撃者かあ。何を目撃したんだろうね。俺、会いにいってきいてみようかな」
男は一度も笑みを絶やすことなく歩いていった。
「『死神』め」
「もういい、冬野、よく言ってくれた。ありがとう」
冬野、それは藤堂秀司から与えられた名前だった。
高校に通っていたときから、モヤシ、キモメンなどそういう名前しか与えられていなかった自分に新たに与えられた名誉のある名前。
それは自分にとって自慢の名前だった。
頭を下げて下がると、藤堂秀司は去ってゆく男の背中に視線を送った。
「『死神』一番隊、隊長、蕗伎か。いつか消さなければ、あれはこの国の害になる」
秀司は強い目をして王の下へと進んだ。
香炉の煙の立ち上る暗い部屋で王は体を横たえていた。
その周りには半裸に近い多くの女達。
そして腐敗した大臣達。
藤堂秀司はその前に跪いた。
「南に紗伊那軍が集結してると聞く」
「そのようです。目測でおよそ、五十万。おびただしい数です」
「それに対し、我が軍は?」
「は、およそ、二十万」
すると四十を少し超えたでっぷりとした男は声を上げた。
「ならば、紗伊那に対抗しうる人数の徴兵を命ず」
突然の命令に秀司の目が見開かれる。
「あと、三十万の徴兵をせよと、おっしゃるのですか!」
すると大臣の一人が白塗りした顔で笑った。
驚いた藤堂秀司を馬鹿にするように。
「紗伊那の兵は最高百万とも聞く。二十万の軍勢など、ひとたまりもあるまい。お前はこの国を滅ぼつもりか? できるだろう? 藤堂の人間なら」
秀司は拳を握る。
そして必死に首を振った。
「民の生活をこれ以上苦しめることはできません。和平を申し込まれては」
すると王は女を自分の方に引き寄せながら、大声を張り上げた。
王にとっては藤堂秀司はいちいち反論する気に入らぬ男だった。
「この腰抜けめ、紗伊那に臆したか!」
「そうではありません! しかし、民には民の生活があります! 無理やり徴兵してはこの国はどうなりましょう! ここは紗伊那と手を結び、」
「もうよいわ! お前の顔などみとうもない! お前の任を解く、そのただの理想論が通じるところに行くがよいわ! どこへなりとも去れ」
「王! このままでは国は! 国は破滅いたします! どうしてどなたもお分かりにならぬのか!」
「連れ出せ! 目障りだ!」
北晋国の城の中はただ藤堂秀司の声と、厄介者が去ったという大臣たちの笑い声が響いた。
*
「義兄さんが、解任」
優菜は次の朝、新聞を読みながら四角いパック牛乳を思いっきり吸っていた。
「案外、あっさりと、だな。もっと時間をかけるのかと思ってたのに」
隣にやってきたのはワンコ先生だった。
優菜はパックを置いて、目を向ける。
暫く優菜とワンコ先生は見合っていた。
(はうわ、かわいい。俺、にらめっこしたら、絶対まけちゃう)
けれど先生からでてきたのは、なかなか理解しがたい言葉だった。
「優菜、お前、私の弟子になるか?」
「え? 俺が、犬の?」
「何だ? 今の単語は」
「あ、いえ、先生の?」
(犬の弟子ってなんだよ。もし、人にあって、ワンコ先生紹介する時、俺の師匠の長靴をはいたワンコ先生ですって、尻尾振った先生紹介するのかよ)
優菜がワンコ先生を眺めたまま暫く考えていると、ワンコ先生は自慢げに胸を手で叩いた。
「私はちょっとした魔法使いだ。だから、お前のその拳、強くしてやれるかもしれん。お前、拳法以外に魔法を使えるのだろう?」
「そこまで分かってたのか。ワンコ先生、本当にただのワンコじゃないね」
「だから先生なんだ」
「でも、俺の魔法なんて使いたい時に出てこない。すげえどうでもいい時に出てきたり、興奮しすぎると出てきたりで」
「なら、決まりだ。今日から、稽古を始めるぞ。私が弟子をスカウトするのは初めてなんだ。光栄に思え」
「あ、うん。ワンコ先生」
(犬で大丈夫なのかな)
優菜が不安な目で見ていると冷たいワンコ先生の瞳とぶつかった。
「お前、今また、あの単語思い浮かべたか?」
「いいえ! 先生、お願いします」
「うむ」
*
「そこ、きもちいいです」
「ここ? ここがいいの?」
「あ、そこ、そこ、あ、だめ! きもちいい。ふわあああ!」
(何やってるんだ!)
優菜はワンコ先生と師弟の契約をした後、一端、部屋に入ろうとして、聞こえてきた新参者とヒナの声に慌てて扉を開けた。
すると部屋の中で、茶色の雑種が腹をヒナに見せて撫でられていた。
「お帰り、優菜」
ヒナは細い指で何度も何度も茶色の犬の腹を撫でていた。
茶色のワンコは恍惚とした顔で、いいようにされている。
そんな気持ちよさげな茶色の犬が気に入らなかったのか、ワンコ先生は茶色の犬を足蹴にすると、自分がヒナの前で転がって腹を見せた。
「了解、次は先生ね」
ヒナに撫でられて先生はうっとりした顔を見せる。
(やっぱ。ワンコ先生、ただの犬だよな?)
そして手を折って、満足そうな顔をしながらワンコ先生は茶色の犬に尊大な声をかけた。
「そうだ、茶ワンコ、お前の名前を決めてやらねばな」
「え? あ、じゃあ、ポチで」
茶色のワンコは謙虚にそういったが、ワンコ先生は腕を組んで首を振った。
「いや、インパクトがない。私が命名してやろう」
「いえ! ぜひともポチで!」
「お前は今日から『大して強くもないワンコ兄さん』だ!」
(な、なんかすごく馬鹿にされた名前……)
暫く『ワンコ兄さん』は悲しそうな顔をしていたが、言葉を飲み込んで頷いた。
それから優菜は部屋を見回して気がついた。
「で? 優真は?」
「お父さん、お父さん、会いたいよお」
泣きながら優真は歩いてきたはずの雪道を歩いていた。
その後ろを大きな生物が追いかけていることを知らずに。
こんばんは^^
最近更新が遅くなってしまった。
ただ1話あたりのボリュームは増えたハズ(って言い訳!?)
申し訳ありません。
けれど途中でやめたり、投げ出したりすることはないのでご安心を!
いつもアクセスしてくださる方、
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皆さんに支えられて頑張っておりますので!
6月29日 追記
後半部分がごっそり抜けおちておりました。
申し訳ありません。
長靴をはいたワンコ先生
大して強くもないワンコ兄さん
これからも二匹のワンコをよろしくお願いします。