第11話 君に託されたもの
夕食後、いつの間にか帰ってきた先生は、何事もなかったかのようにソファで犬らしく丸くなって眠っていた
そしてヒナと優真は二人並んで居間の机に向かって勉強し、優菜は本を読む。
いつものように家族で過ごして、いつものように一日が終ってゆく。
そんな時間をすごしていた。
けれどそれは姉の大声で乱された。
「しまったあ! 持っていっていくの忘れてた!」
優子は風呂敷包みを持って二階に上がってきた。
その風呂敷包みにはお重のようなどうやら正方形の箱ものが入っているようだった。
「隣町の清水さんに頼まれてたんだよね。おじいちゃんのお薬! しまったなあ。今日持っていくって約束してたのに」
優菜は嫌な予感がして本を閉じて自室へと戻ろうとしたが、時すでに遅かった。
「これさあ、隣の町内の清水さんの所に持っていってくれるかな。ねえ、優菜ちゃん。ね? ね?」
「今から持ってったら向こうにも迷惑だろ?」
「絶対今日中なんだ。ね、いい弟にはお小遣いあげるから」
姉がちらつかせたのは五千円札。
隣町なら歩いて十五分。
適当に渡して戻ってきてきっと三十分程度のお仕事。
(三十分で五千円。うん、これはおいしいな)
「分かった」
優菜はお金に目が眩んで立ち上がると自分だけの取り分にしようと双子の片割れと姪っ子には何も言わず姉へと寄って行く。
「え? 優菜どっか行くの? 優真も行く!」
「私も、私も!」
けれどそんな優菜の目論みは淡くも崩れ、静かに勉強していたはずの優真とヒナが顔を見合わせ立ち上がると、優菜の手を引っ張った。
勉強をしてろと断りたかったが、二人はもう行く気満々でハイエナのように風呂敷包みへと寄ってくる。
「おし、行っといで。でも寒いから暖かいカッコしていきな。ヒナ、私のダウン貸してあげる」
優子は先にヒナに白い自分のジャケットを渡して、ウールの白い帽子をかぶらせた。
それから娘、優真には真っ赤なダウンコートを羽織らせ、最後の仕上げに自分が手編みしたピンクのマフラーと帽子をつけた。
そして娘の頬に自分の頬を合わせる。
「寒いから、風邪、引かないように気をつけて」
「うん、行ってきます。お母さん」
優菜は取り分が三等分になることを悔しがりつつ、自分の黒いダウンジャケットと黒いニット帽をかぶると手袋をはめて風呂敷を持ち上げた。
割に軽い箱だった。
「じゃ、行ってくるね、姉ちゃん」
「ごめんね、あんたにいっつも面倒ごと押し付けて」
「まあ、それなりの小遣い貰ってるし、いいよ」
優菜が言葉を返すと、姉は微笑んだ。
「私、あんたがやりたいこと、ちゃんと分かってるつもりだよ」
「何、いきなり」
「ううん、ごめんね、優菜。いっぱい我慢させてごめん。でも、これはあんたの人生だ。好きなことやればいいんだよ」
姉の言葉に優菜は何も返せなかった。
ただ背中を向けると歩いてゆく。
「ヒナ、ちゃんと、優菜の言うこと聞いてね。あと、優菜を支えてあげて、あの子、イイコなんだけど、時々考えすぎて、動けなくなっちゃうから」
「分かってるよ。双子だから!」
ヒナは青のミトンをはめると優菜の背中を追いかけて出て行った。
そんな二人の背中をついてゆこうとする優真を優子は抱きしめた。
「優真、大好き」
「うん、お母さん、私も」
優真も小さな体で母親を抱きしめ返して、そしてすぐに駆け出した。
最後に優子の隣を長靴を履いた先生が歩いてゆく。
けれど少しして足を止めた。
「本当に、いいのか?」
「うん。いいの。これでいいの。そうだ、先生、先生にもお守り」
優子は犬になにやら入った唐草模様の風呂敷を背負わせると、外まででて、三人と一匹に手を振った。
「気をつけてね。道中くじけるんじゃないよ」
すると三人は振り返って優子に向かって言葉を返した。
「はいはい!」
「行ってきます!」
「行ってきます! お母さん!」
夜道を進んでゆく娘と弟を見えなくなるまで見送って優子はしゃがみこんだ。
「幸せになるんだよ、あんたたち。お願いだから、ちゃんと生き延びて」
*
「あれ? 清水さん家、ないぞ?」
「え~? 去年まであったのに」
優菜と優真は記憶にある清水家を探していたが、記憶の場所は空き地になっていた。
すると先生が進入禁止のロープをくぐって空き地の中へと入ってゆく。
「あ、先生! だめだよ!」
追いかけた優真はその場で崩れ落ちる。
それを見て慌てて優菜とヒナが駆け寄ると、優真は何故か眠っていた。
「どうしたんだ? おい、優真!」
「優真、優真!」
優菜が揺すっても、ヒナがどれだけ声をかけても優真は目を覚まさない。
すると先生が振り返って優菜とヒナに目を遣った。
その手にはいつの間にやら真っ黒い杖が存在していた。
「この子には聞かせられる話ではなくてな」
「どういうこと? 先生」
姉もこの犬も今日はいつもと違った。
優菜の瞳が不安に彩られる。
隣のヒナもまた窺うような目をして、黒い犬を見ていた。
黒い犬は目を閉じて、一度静かに息をするとまた目を開いて、ほんの少しだけ辛そうに言葉を紡いだ。
「君の姉は今日死ぬ。いや、きっともう、死んだ頃だと思う」
「どういう……こと?」
優菜の声は震えていた。
ヒナは隣で言葉をなくしていた。
「彼女は今日死ぬことを知っていた。知った上で、君たちを遠ざけた」
「嘘だ! そんなの!」
走り出した優菜の足に何かがきつく巻きつき足を封じる。
見ると黒い靄のようなものが足首に絡んでいた。
後ろには杖を掲げる犬。
「放せ!」
「聞きなさい!」
先生は声を荒げた。
「君の姉はそれを知っている。知っている上で君たちを送り出した」
優菜はついさっき聞いた姉の言葉を思い出す。
姉は謝っていた。
今までそんなことなかったことなのに。
どんなに自分が悪いことでも、罪を押し付けるような人間だったのに。
「姉ちゃん」
「君には託されたものがあるだろう」
優菜は思い出したように持たされた包みを開いた。
中から現われたのはお重ではなく、父が遺した桐箱だった。
事故死した父の部屋から、出てきたものだった。
何度もあけるように優子がすすめたけれど、ついぞあける勇気がなくて、ずっと見ないふりをしてきた箱。
最後に姉が持たせたのはそんな箱だった。
優菜は震える手でその蓋を持ち上げてみた。
中にはまた長方形の桐箱と、手紙。
優菜が震える手で開いた手紙には父の字で
『夢を諦めるな。お前ならできる』
そう大きく書いてあった。
そんなこと、父から言われたのは初めてだった。
いつもいつもただ劣等感だけ、与えた父。
甘えることもできず、ただ一定距離を置いてしか接することができなかった父がかけた息子への言葉だった。
そして桐箱を開けると父の愛用の品が姿を現した。
「この扇」
この国の宰相であった、父が身につけていた鳥の羽で作られた扇。
優菜がずっと憧れて、いつかは欲しいと願い続けたものだった。
「父さん」
優菜はもうどうしようもなくなって、ただその扇を抱きしめた。
ヒナはただそんな優菜を見守り、その後ろで長靴を履いたワンコ先生が静かに、けれど強く声に出した。
「これから、君たち三人は南に向かう。この国を出るんだ。まず、信頼できる誰かを見つけて優真を預け、私が許可した人間にヒナを渡す。そしてそれからは優菜、君が真の力を発揮する時がくる。ただ、それは君の選択次第だ。君が選ぶ未来に力が必要ならば私が手を貸そう。そう君の姉と約束をした」
「意味、分からないよ、先生、どういうこと?」
ヒナはただポツリと小さく呟いた。
「分からないのも無理はない。敵は厄介なのだ。厄介すぎてどうしようもない。ただ、君たちはそれに対抗しえる力を持つ可能性のある二人なのだ」
「私達が? でも私には力なんて」
「ヒナになくとも優菜にはある。隠しているものが」
ヒナはその言葉を聞いてもう一度優菜を見た。
優菜はただ扇を抱きしめて小さくなっていた。
「なあ、優菜、君は類稀なる力をいくつか持っている。そしてそれをずっと隠してきたんだね。私は君を強くするためにここにヒナをつれて来た」
「勝手なこというなよ」
「君は優しい人間だ。けれど優しすぎる。ただ普通に生きてゆくだけならば、それでいいだろう。けれど違う。君はもう十三の時からとてつもない者に睨まれている。分かってるんだろう?」
「ウルサイ!」
優菜は怒鳴るとただの中空を殴りつけた。
何もない空間が音を立てて、バラバラと崩れ落ちてゆく。
それは黒い犬が、この空き地に三人が踏み入れた時から張った結界。
そして優菜は一歩踏み出すと、姉がいるはずの家へと走り出した。
慌てて追いかけようとするヒナをワンコ先生は止める。
「ヒナ、これから暫く、辛い道になる。支えあうのは双子である君たちだけだ。二人でお互いを守り、そして優真を守ってあげなさい。頼れる人間はこの国にいない。我々は今からこの国を出て紗伊那へとゆく。紗伊那で君たちは生きるんだ」
ヒナはその言葉に何度も何度も首を振った。
「紗伊那? だって、あそこは怖い国で!」
「怖い国? 怖い国はどこの国だって同じさ、欲望が渦巻いているんだから」
こんにちは!
今日もお会いしましたね(❤;Å◉`)」
さて、今までのほのぼのモードから一転、
ワンコ先生が動き出しました。
この後、優菜、ヒナ、優真を待ち受ける運命は!