第6章 :嘘と、本音と、恋と
第六章 :嘘と、本音と、恋と
ある夜、通話が続く中で桜はぽつりと問いかけた。
「……もしもナッチなんて、この世のどこにも居なくて、全部嘘だったらどうする?」
ずっと抱えていた思いだった。
桜が“ナッチ”であるために重ねてきた幾つもの嘘。
年齢も、名前も、身体のことも。
彼が思い描いている“理想のナッチ”から外れるたび、胸の奥に小さな罪悪感が雪のように積もっていった。
通話の向こう、ゆたんぽさんは少しだけ間を置いて、優しく笑うようにこう返してきた。
「そしたら――自己紹介からやろうか」
桜の喉が、急につまった。
返事をしようとしても声にならず、そのかわりに涙が滲み出た。
「……どうして、怒らないの?」
「当たり前だよ」
その声は、変わらず穏やかだった。
だから、桜はもう止められなかった。
「いないの。優しくて、面白くて、元気なナッチなんて、この世には居ません」
「うんうん」
「全部、作ったキャラなんです。ナッチは詐欺師なんです。」
「本当のナッチは僕のこと……愛してますか?」
沈黙が、少しだけ流れて。
「……愛してる」
その言葉の重みは思っていたよりずっと静かで、だけど深く心に沈んでいった。
彼の言葉は続いた。
「詐欺師だって、いい。詐欺師が恋愛しないとは限らないじゃない」
桜はもう一度聞いてしまった。
「……じゃあ、もし全部が嘘だったら? 本当のナッチは、全然違う人だったら?」
すると彼は、ほんの少しの沈黙のあとで静かに、でもはっきりと言った。
「今、画面の前にいるあなたが好きってことだよ」
桜の呼吸が止まった気がした。
嘘も仮面もすべて包み込むようなその言葉が、一瞬で、胸の奥を溶かしていった。
彼にとって大事なのは、過去の履歴でも現実の姿でもなくて。
いま、通話越しに話している「ナッチ」だった。
「……そんなの、ずるいよ」
涙声になりながらも、桜は笑っていた。
本当の自分でいられない不安も、全部その一言で許された気がして。
夜は深く、通話のランプだけがぼんやりと光っていた。
嘘から始まった魔法の中で、ただ一つだけ本当だったもの。
それは――桜の「好き」という気持ちだった。