第4章:涙の通話
第四章:涙の通話
ナッチが配信を始めて、もうすぐ1ヶ月が経とうとしていた。
最初は「元気だけどちょっとドジな魔女です!」なんて言いながら、手探りで始めた毎日。
だけど、少しずつ常連のリスナーが増えて「ナッチ~!」って名前を呼んでもらえる瞬間が、何よりも嬉しかった。
「こんばんは、魔女のナッチです!」
明るい声も、笑いも全部少しずつ慣れてきた頃。
そんなタイミングで、バナイベの告知が届いた。
「デビュー1ヶ月を迎えたライバーさんたちを対象に、成績上位の方は、イリアムのアプリ内バナーに掲載されます!」
桜は、画面を見つめたまましばらく動けなかった。
それは、夢だった。
誰かに見つけてもらえる場所に、自分の姿が映るということ。
“魔法”が、少しだけ本物になるということ。
でも同時に心のどこかが冷たくなった。
――私は、戦えるんだろうか。
――この身体で。
――この嘘を抱えたままで。
けれど、配信の終わりに届いた一言があった。
「ナッチちゃん、今日も元気もらえた。ありがとう」
それだけで、魔法がまた灯る気がした。
桜はバナイベへの参加を決めた。
魔女の名を持った“私”として、誰かの目に届くところまで、声を飛ばしてみたかった。
参加表明のボタンを押す手は少し震えていたけど、桜は自分に言い聞かせた。
「怖いけど、魔女だから飛ばなきゃ」
そして、そのイベントの空に一歩を踏み出した。
バナイベへの参加を決めた頃、桜のiPhoneには、何度かの通話履歴が残っていた。
相手は――ゆたんぽさん。
IRIAMで出会った、優しい声をした人。
最初の通話はほんの数分だった。
Discordのチャットの流れから、軽いノリで「ちょっと話す?」と誘われた。
緊張で手が震えて、喋りながら何度も画面を見てしまったけど、彼の声は思っていた以上に落ち着いていて、どこか安心できた。
二度目は夜更けだった。
桜がバナイベの告知を見た日。
「出るべきかなって、悩んでて……」と漏らした桜に、ゆたんぽさんはゆっくりと、言葉を選びながら答えてくれた。
「ナッチさんなら、大丈夫だと思う。
ちゃんと、誰かの心に届いてるって思うよ」
それだけで、胸がいっぱいになった。
誰にも言えなかった不安を画面越しの彼が、まっすぐに受け止めてくれるなんて。
三度目の通話はほんの少しだけ長かった。
魔女キャラのこと、演じる自分のこと。
――全部は言えなかったけれど、桜は心のどこかで、もう引き返せない場所に足を踏み入れていた。
それが恋かどうかなんて、まだわからなかった。
でもあの声が好きだった。
聞いているだけで、呼吸が穏やかになるような――そんな声だった。
そしてバナイベ3日目、配信1時間前。
彼から突然の通話。
「死にたい」
掠れた声で、そう始まった。
「……自分は発達障害もあるし、鬱だし、誰も信じられない」
そう繰り返す彼に、桜は静かに言った。
「泣いてもいいんだよ、心配なんてしなくていいよ」
すると、受話器の向こうで彼は静かに泣き出した。
嗚咽ではなく、言葉もなく、ただ涙の気配だけが伝わってくる。
バナイベの成績は、正直気になっていた。
でも――この通話を切ることなんて、私にはできなかった。
桜は決意した。
これから先、この人を支えよう――と。
ただの配信仲間なんかじゃなくて、弱さも痛みも、そのまま受け止める“誰か”になろうって。
バナイベより大事なものが、今この瞬間、目の前にあると思った。
……でも、ほんの少しだけ気づいていた。
助けたいと思っていたはずなのに、
気づけば彼がナッチを必要としてくれることで、桜の方が救われていたのかもしれない――。
彼が泣き終わるまで、桜はそばにいると決めた。