第2章:彼からのメッセージ
第二章:彼からのメッセージ
彼からの返信は思ったよりも早く届いた。
「ありがとうございます〜
なかなか上手くいかないことが多くて、ぐぎぎってなってた次第です。
いつも声かけてくださって非常に嬉しいです。いつもありがとうございます」
読みながら桜はそっと胸に手を当てた。
「ぐぎぎ」なんて、彼らしい。
いつもふわっとした口調で、でもどこか根底に諦めや孤独を抱えている。
それでも「ありがとう」と返してくれる彼が、私はたまらなく愛おしかった。
桜はすぐに返信を打った。
「とんでもないです。こちらこそ、いつも力になって頂き、本当にゆたんぽさんには感謝してます。
辛い時はいつでも呼び出して下さいね」
ほんの一瞬でも、彼が一人じゃないって思えるように。
たとえ桜が演じている“魔女”であっても、その言葉だけは嘘じゃなかった。
彼からのメッセージは、またすぐに届いた。
「ナッチさんは、私がいつもモヤモヤしてる時に優しい言葉をかけてくださるので、非常に励まされてます。
私も、ナッチさんの力にならせてくださいませね」
iPhoneの画面を見つめながら、桜はそっと息をついた。
この人は、いつもこんなふうに言葉を選んでくれる。優しくて丁寧でどこまでもまっすぐ。
その優しさが、嬉しい反面胸の奥が少し痛んだ。
ゆたんぽさんから届いたメッセージを読みながら、桜は無意識に彼の姿を想像していた。
無造作に整えた前髪の奥に、知的な目が光っていた。
白衣やスーツ姿が似合いそうな、理系男子の雰囲気。
決して派手ではないけれど、言葉の端々に知性と優しさがにじんでいて、気づけば目が離せなくなる——そんな人だった。
まるで、東野圭吾の『人魚の住む家』の星野さんみたいに。
「……ありがとう、ゆたんぽさん」
ぽつりと呟いた声は誰にも届かない。
けれど彼からのメッセージが、夜の孤独をほんの少し溶かしていった。
それから、何度か短いやり取りが続いた。
お互いに深く踏み込むわけでもなく、でもどこか温度のある会話。
夜の静けさに溶け込むようなやりとりは、心地よい緩やかな波のようだった。
ある夜、桜は少しだけ勇気を出して、こんな風に送ってみた。
「私も一応は女なのでw 彼女さんの気持ちが分かることもあるかもしれないので、何でも聞いてくださいね」
送信ボタンを押したあと、少しだけ心臓がドキッとした。
“彼女さん”という単語が、思った以上に自分の中で重たく響いていたことに気づいたのは、そのあとだった。
画面の向こう、彼が今どんな顔でこのメッセージを見ているのか、想像しようとしてやめた。
わからないからこそ、知りたい。
そんな気持ちが、また少しだけ心に染み込んでいった。
桜がメッセージした後、数分の沈黙があった。
それから、彼――ゆたんぽさんからの返信が届いた。
「自分のこだわりでしかないって分かっているんですが、この人が自分にとって最後の人だろうから幸せになってもらおうって付き合ってる当時から思ってたのが未だに抜けないんですよね。
多分その気持ちも相まって嫌いになれないんだと思います。
職業柄出会いがないので余計にしがみついてしまうんだろうなあ。
恋愛関係諦めたいのか誰かそばにいて欲しいのか正直ぐちゃぐちゃしてますと言うのが本音ですね….」
その文章を読んで私は胸がきゅっと痛くなった。
“最後の人”って、どれだけ深く誰かを想ったんだろう。
まだ彼の過去をほとんど知らない桜が、軽々しく触れてはいけない場所のような気がした。
でも、傷ついたまま置き去りにされているその想いに、そっと寄り添いたいとも思った。
だから桜はiPhoneを握りしめて、また少しだけ心の距離を近づけるように返した。
それが私たちの物語の始まりだった。
――まだ誰も知らない、痛みと希望の狭間で揺れる、秘密の扉を開ける瞬間だった。
あの日からしばらく経ったある日、iPhoneの通知音が鳴った瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
ただのDMかもしれない。そう思いながら画面を開いた私の目に飛び込んできたのは──
ゆたんぽさん。
名前を見ただけで、指先が震える。
あの夜言えなかったことも嘘も、まだ心のどこかに残っていた。
まさか彼から……? 桜は一度、息を止めた。
嬉しさと少しの緊張と、どこかくすぐったいような感情が一度に押し寄せてきた。
開いたメッセージにはこう書かれていた。
「もしよろしかったら、どんな形式でも内容でもいいので小説の感想もらえると嬉しいです…..
鯖でもDMでもいいので……(気が向いたタイミングで大丈夫です)
感想……今回のに限らなくて大丈夫です…..
これまでの話の流れとかに言いたいこととかあれば是非聞かせてください。」
行間に浮かぶ「……」に、彼のためらいや、遠慮がちな優しさが滲んでいた。
声に出したわけじゃないのに、ゆたんぽさんの「間」がそこに感じられる気がした。
桜はそっとiPhoneの画面を撫でるようにして入力欄を開いた。
言葉を選ぶ指先が、少しだけ震えていた。
【まずは、ゆたんぽさんの書く文章はとても好きです。
情景が、まるで映画を見ているように頭の中に浮かんできます。
そして、描かれる世界観がとても綺麗だなぁっていつも思っています。】
すぐに返事が届いた。
「嬉しいです。」
その一言に、胸がきゅっとなる。
桜は、iPhoneの画面を見つめながらさらに言葉を打ち込んだ。
【それは、ゆたんぽさんの内面が美しくて、優しいからだと思うのです。
登場人物の一人ひとりに対して、とても大切に思っているのが伝わってきます。
書くキャラを愛しているのが伝わってきて、読んでいるこちらも登場人物を好きになってきます。
そして、これから先どんな展開になるんだろうって、とても胸が高鳴ります!
本当は、もっとたくさん言いたいです。
……なんだか、文才なくて申し訳ないです。
ナッチが出てきたシーンも、なんだか恥ずかしいような、もっと続きを読みたいような、そんな気持ちです。】
言葉にしてみると思っていたよりも、たくさん伝えたいことがあったんだと気づいた。
彼の書いた物語の中に、自分が存在しているという不思議。
そしてそれが、ちゃんと「愛されて」書かれているとわかる、確かなあたたかさ。
その後も、桜と彼は何度かやり取りを続けた。
ほんの短い会話の中にも、お互いの世界の見方や、大切にしているものが少しずつ顔を覗かせる。
そして、あるとき彼がぽつりとこう言った。
「……なんだか、ナッチさんと僕、考え方が似てる気がします。」
その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなった。
似ていると思ってくれたことが、なにより嬉しかった。
静かな部屋の中で、桜のiPhoneには彼の返信を待つ画面だけが灯っていた。
不思議と焦る気持ちはなかった。
この言葉たちが、ゆっくりと彼に届いてくれる気がしていたから。
――言葉がふたりの間をやさしくつないでいく。
魔法のような静かな夜だった。
ある昼下がり、桜のスマホが小さく震えた。
Discordに、ゆたんぽさんからの個別メッセージが届いていた。
「ナッチさん。ちょっとだけいい?」
「今、ちょっとスランプでさ……あの魔女の話、うまく続きが書けないんだ」
Discordに届いたそのメッセージは、ほんの一文だけだった。
けれど、すぐに彼の沈んだ声が聞こえるような気がした。
ファン鯖で進めている、推し配信者を主人公にした同人小説。
彼はその中心人物として、いつも誰よりも早く誰よりも美しく物語を紡いでいた。
その“魔女の話”が、書けなくなった――それはきっと彼にとって大きなことだ。
「昼間のファミレスで、iPhone片手に書いてたんだけどさ」
続けて送られてきたメッセージに、思わず小さく笑った。
あの人が、ファミレス?昼間に?周囲の雑音の中で?
想像がつかなくて、でもちょっとだけ親しみが増した。
桜は慌ててスマホを手に取った。
何か言葉を。何か、彼の手を少しでも軽くできるような――。
「ゆたんぽさんの魔女の世界、大好きだよ」
「言葉に詰まるときって、心が深く潜ろうとしてるときだって聞いたことある」
「だから大丈夫。戻ってくるって信じてる」
「そのファミレス、デザートのプリンが美味しいんだよ、知ってた?」
取り留めのない会話を繰り返すうちに、気づけば6時間もやり取りをしていた。
帰路の途中の彼から突然写真が届いた。
「ファミレスの帰りに買いましたよ〜」
そのメッセージに添えられていたのは、本を手に持った彼の手の写真だった。
桜が大好きで以前おすすめした本。
東野圭吾の『人魚の住む家』彼が買った本は、まだ新品の香りを漂わせている。
写真の中で彼の手が本をしっかりと包み込んでいて、その指先が少しだけ緊張しているように見えた。
まるで「これで良かったのかな?」って迷っているような、そんな気配があった。
でもその手からは、確かに彼の優しさが伝わってきた。
「ありがとう、買ってくれたんだね!」
桜は思わず微笑みながら返信を送った。
「これ、ゆたんぽさんにぴったりだと思うよ。読んだら感想教えてね。」
そして、ちょっとだけ遠くを見つめながら次のメッセージを打つ。
「もし、読みながら何か思ったことがあったら、また教えてね。お互いに、この本を通して何かを感じ合えたら嬉しいな。」
送信した後ふと気づいた。
彼からのメッセージの中に込められた小さな優しさと、あの手のひらに乗った本が、まるで二人の間にひとつの橋を架けてくれたみたいだ。