第114章 :壊れる前に
第百十四章 :壊れる前に
今日は隆平さんにおすすめのお店を案内する日だった。
「東京いちごカフェ」──都内にいながらいちご狩りが楽しめて、新鮮ないちごを使ったスイーツが味わえる、私のお気に入りの場所。
その話をしたとき、隆平さんは「行きたい」と言ってくれて、私は嬉しくてすぐに約束を交わした。
だけど、どうしたんだろう。
今日は朝から身体が重くて、心が晴れなかった。
せっかく来たのだからと、大好きないちごパフェを頼んだ。
隆平さんは別のメニューを選んでいたけれど、私はこの店に来たら必ずこれと決めていた。
けれど、スプーンを口に運ぶたびに、胸の奥から波のような吐き気がこみ上げてきた。
どうしよう。
こんな場所で体調を崩すなんて、本当はあってはならないのに。
それでも身体は正直で、もう誤魔化せないくらい気分が悪くなっていた。
私の様子を静かに見ていた隆平さんが、急に立ち上がって静かに声を上げた。
「桜、ちょっと待ってて!」
椅子を引く音が小さく響いて、彼の姿が視界から消える。
私はうつむいたまま動けなかった。
胃のあたりがじんわりと重くて、冷たい汗が首筋を伝っていく。
まわりの人の視線が気になる。でも、それ以上に気になるのは自分の身体が自分のものじゃないみたいな感覚だった。
こんな時にまで、隆平さんに心配をかけてしまうなんて。
数分後、隆平さんが戻ってきた。
手にしていたのは、透明なビニール袋だった。お店の人から受け取ったのだろう。
「桜、ちょっと外に出る?」
優しく、でもはっきりとした声だった。
私は顔を上げて、隆平さんの目を見た。
そこには焦りも苛立ちもなく、ただ、私のことをちゃんと見てくれている人のまなざしがあった。
頷くのが精一杯だったけれど、それだけで充分だったらしい。
隆平さんは何も言わずに立ち上がり、私のバッグをそっと持ってくれた。
ガラスのドアが開くと、春の風がふっと顔を撫でた。
外の空気は思っていたよりも冷たくて、それでも心地よかった。
あの空間に閉じこめられていた圧迫感が、少しずつほどけていくのが分かる。
外に出ると、さっきまでの具合の悪さが、嘘のようにすっと引いていくのが分かった。
胸の奥に張りついていた重苦しさが、風に溶けるように薄れていく。
あぁ、私は――
この数日間の緊張で、少しずつ壊れていたんだな。
自分でも気づかないうちに、心も身体も限界に近づいていたのだと思った。
笑おうとして、平気なふりをして、ちゃんと向き合っているつもりでいた。
でも、それはほんの薄皮一枚の仮面だった。
「少し楽になった?」
隆平さんの声が、すぐそばから聞こえる。
私は返事の代わりに、静かに頷いた。言葉にすると、また崩れてしまいそうだったから。
崩れてしまってもいいのかもしれない。
それでも、もう少しだけ――この静けさの中に身を置いていたかった。




