第10章 :魔女の嘘、アザラシの優しさ
第十章 :魔女の嘘、アザラシの優しさ
その夜震える指先でラッピングしたブラウニーを、最寄りのコンビニの窓口に差し出した。
店員が控えめに笑って、
「匿名でよろしいですか?」
と聞いてきたとき、桜はほんの一瞬だけ言葉に詰まった。
「……はい」
と答える声は小さく、かすれていた。
暖房をつけずに冷えた部屋で、かじかむ手を擦りながら書いた手紙も一緒に。
本当の言葉は書けなかった。ただ、彼に喜んでもらいたい一心で。
そして、Discordに短く打ち込んだ。
「親が激怒してて、もう帰らなきゃならないの。ごめんね…」
嘘だった。
傍にいるはずのない親に監視されていると伝え、彼の前から姿を消すように装った。
けれど…心は離れられなかった。
その夜中も、次の日も桜は彼にメッセージを送り続けた。
何か話したくて、繋がっていたくて、ただ少しでも彼の声が聞きたくて。
桜はもう、完全に彼に依存していた。
嘘で塗り固めたナッチのキャラをやめることも、本当の自分を見せることもできなかった。
…けれどそんな桜の嘘と依存にも、彼は何も言わなかった。
むしろ、桜からメッセージが届くとすぐに反応してくれた。
「ナッチからの通知は、いつでも嬉しいよ」
そう言って、桜の言葉一つひとつに丁寧に返してくれた。
まるで、全てを知っているかのような優しさだった。
バレてしまっても、受け入れてくれるような――
いや、それでもなお桜は本当のことを言えずにいた。
彼の優しさがあたたかすぎて、怖かった。
その優しさに甘えてしまえば、もう魔女の仮面は外せなくなる気がして。
やがて、毎日毎日やり取りを重ねるうちに、桜たちは少しずつ――けれど確実に、お互いに依存していった。
そのことが、どれだけ危ういことかも知らずに。




