第一話
と、いうわけで現世である。
神様の計らいで、私は無事に放課後エターナルの世界に転生した。
私の住むエルファレス王国では、平民から貴族まで十六歳以上のあらゆる子供たちが、親元を離れ、身分の隔てなく学ぶことが義務とされている。ゲームの舞台となるジブリールは、そんな子供たちが集う巨大な学園都市の一つである。
平民の子供として生まれた私もようやく入学できる歳になり、晴れてここに足を踏み入れることとなった。
このジブリール、学園都市というからには、街としての機能がすべて揃っているといっても過言ではない。学び舎だけではなく、子供たちの住まう寮や、商店街、コロシアム、憩いの場、果ては劇場のような娯楽施設まで、そりゃあもうなんでもある。そんな快適な街並みで、子供たちは四年間共に学び、生活を送ることになる。
「ミア、君また馬鹿やったみたいだね」
猛ダッシュしていたところを呼び止められて、私はおそるおそる声の方向を見た。
「シリル、いたの?」
「いたよ。また盛大にすっ転んだもんだね」
見られてた。
前世の勘をもってすれば、受け身くらいはなんてことないのだけれど、あそこは転んでおくべきだったのよ。
「どうせまた推し? だっけ? でも追いかけてたんでしょ」
どうして全部お見通しなの……。
彼は幼馴染のシリル・ボワイエ。銀髪の天使と名高いゲームの攻略対象の一人であり、私がこの世界に生まれてから初めてできた友達だ。
シリルは父の仕事の取引先の息子で、昔から家族ぐるみの付き合いをしてきた。とくに母親同士が学生時代からの大親友ということもあり、互いの家を頻繁に行き来していたので、幼い頃からシリルとは何をするにも一緒だった。
私の家の周りは緑がとても豊かだった。ゆえに子供たちの遊び場には事欠かない。転生前は生まれも育ちもコンクリートジャングルだったので、そういう意味でもこの環境は新鮮だった。
田舎生活を満喫すべく、木登りをしたり、虫取りをしたり、ちょっと足を延ばして川沿いの洞窟を探検したり、二人でよく一緒に遊んだものだ。
そんなわけだから、シリルが攻略対象だと言われてもなかなかピンとこない。お互いのおしめ姿まで見た間柄だもの、どう考えたって姉弟だ。
ちなみに「私のほうが半年前に生まれているので実質姉である」と主張したら、死ぬほど嫌そうな顔をされた。
「入学式でチラッと見かけただけの相手によくやるよ。名前だってろくに知らないくせに。わかってるのは王太子に仕えている騎士ってことくらいじゃないか」
「ぐむぅ」
この世界ではチラ見だったかもしれないけど、こっちは前世からずうっと追いかけてるんですよ――とはまさか言えない。
彼が登場するのはゲームの冒頭、ヒロインが学園に入学する当日のこと。新入生の歓迎式典がハプニングに見舞われる一幕だ。
何者かの策略で煙に覆われる会場。逃げ惑う学生たち。逃げ遅れたヒロインはスパダリ王太子に助けられるものの、そこに魔物が襲いかかる。その魔物を切り伏せて、二人を逃がす護衛騎士――というのが『放課後エターナル』の導入である。
線の細い美少年より凛々しい男前が好きな私。独り魔物に立ち向かう勇壮な彼の姿に一目惚れしてしまったのは言うまでもない。だがそれが、私が前世で推しの姿を見た最後になるなんて誰が思うか。
転生して、そんなことが本当に起こったらどうしようとドキドキワクワクしながらのぞんだ入学式だったが、悲し……いや、ありがたいことに歓迎式典は滞りなく閉会した。
当然、王太子とお近づきになることも、推しの活躍を間近で見ることも叶わなかったのだが、ゲーム通り式典の会場に佇む推しを拝むことはできた。
推しがいる。私今、推しと同じ空気吸ってる! 念願叶って泣きそうになったが、涙で推しの姿が歪むのが許せなくて必死に耐えた。
「相手は騎士様だよ。しかも王太子の護衛なら貴族である可能性のほうが高い。平民の僕たちとはあまりに身分が違い過ぎると思わないか?」
「僕たちなんていうけど、シリルだって立派な商会の跡取り息子じゃない」
「親がちょっと小金を持ってるってだけさ」
シリルは素っ気なく言い捨てる。
この世界のシリルときたら、氷細工の天使のような清らかな見た目でありながら、中身はこの通りの皮肉屋だ。……おかしい。ゲームだと癒し系という設定だったはずなのに。彼の放つチクチク言葉で、私の心は針山だ。
昔は私のほうが背が高かったので姉貴風を吹かせることもできたのだが、今ではすっかり立場が逆転している。身長は私の目線を少し超えてしまったし、なんなら私の母など私が学園で何かやらかさないようにくれぐれもよろしくと彼にお目付け役を頼んだくらいだ。
母もシリルも私をどう見ているかは知らないが、私はただ推しとの学園生活を満喫したいだけなので、余計心配は無用である。
「夢みたいなことばかり言ってないで、もう少し堅実な相手を選ぶべきだ」
「うるさいなぁ、シリルったら心配しすぎよ」
「ミアは心配しなさすぎだよ」
私は両手を上げて、ぐんと大きく背伸びをした。
「あーあ、なんで話しかけられないかなぁ」
自慢じゃないが、私は物怖じしない性格だ。誰にでも臆することなく話しかけ、すぐに打ち解けることができると自負している。前世では男友達も大勢いた。そう、男友達は。
好きだと意識した人はいた。でも、それを伝えることはできなった。
好きな人を見下ろしてしまうほど高い自分の身長に引け目を感じてしまったり、友達としてずっと傍にいれればいいや――なんて変な逃げ道を作ったり。
そんなことをしているうちに、好きな人の隣には知らない誰かが立っていた。私とは全然違う、小さくて可愛い女の子――。
少なくとも、彼と私は友達だった。あの時私が、ほんの少しでも勇気を出したら、何かが変わっていたのだろうか。
何も伝えられないまま終わってしまう恋なんて、もう二度としたくない。せっかく転生したのだから、今度こそちゃんと恋したい。そう思うのに、やることなすことから回りで、ちっとも上手くいきやしない。
シリルと一緒に歩きながら、私は盛大に溜息を吐く。
「ミアはさ、ちょっとリキみすぎなんだよ」
「リキみすぎ……やっぱりそう思う?」
「黙っていれば可愛いのに」
「ぐぅ」
悔しいが、シリルの言う通り。
ピンク色の綿あめのような髪。ぬけるような白い肌。小さな赤い唇に、宝石を模したようなターコイズブルーの瞳。
バレー部でエースを張っていた前世の私はかなりデカめの女子だった。
でもこの世界では小柄で華奢な女の子。ビスクドール顔負けの、これぞヒロイン! といった風貌なのに、中身がコレ。まったく、残念にもほどがある。
せっかく神様がゲームヒロインであるミア・ピエトリに転生させてくれたのに、これでは宝の持ち腐れだ。我ながら情けなくて涙が出そう。見た目だけなら完璧なのに。
「ミアにはもっといい人がいるはずだよ」
まだ言うか。
「もっといい人? 誰よそれ。いるわけないでしょそんな人」
――私は推しが好きだ。
失恋で傷だらけになった私の心をたった一枚の立ち絵で癒してくれた、寡黙な推しが大好きだ。
名前もわからないけれど、その一枚の立ち絵を頼りに、前世の三年間ずっと彼だけを推してきた。
神様がくれたせっかくの機会を私は無駄にしたくない。推しに私の存在を知ってもらうには、一体どうしたらいいのだろう。
――中身を磨かなけれならない。
外見だけじゃ足りない。
大好きな推しに振り向いてもらえるようなイイ女に、私はなりたい。
私に足りないものを教えてくれるいい人が、どこかにいないものだろうか。たとえばそう、ファビュラスで、ゴージャスな、セレブ姉妹の長女のような……。
――ざわり。
周囲の空気がさざめいた気がして、私はふと視線を流した。
その時私は……廊下をすれ違う、真っ赤な何かに目を奪われた。
腰まで伸びた長い髪。それはまるで、ゆらりと燃える炎のような――。
居合わせた生徒は、一様に口を噤むと静かにその人物に道を開ける。放課後の人垣が静かに割れて、廊下にはその人だけの道ができる。
真紅の髪から覗く緑色の瞳はただ真っすぐに前を見据え、彼女はそれが当たり前であるかのように通り過ぎていく。
そうして小さくなっていく後姿の前には、再び人垣ができあがり――しばらくの間、幻想的なその様子をただぼんやりと見つめ――私はふと、あることを思い出した。
「……そうよ!」
「なんだよ急に」
「いた、いたわ、いい人が!」
再び目標を定め、私は走り出す。こうと決めたら一直線が、私の長所と皆が言う。
気が付くと、後ろからシリルが何かを叫びながらついてくる。別についてこなくてもいいのに。
「ちょっと待ってよ、誰だよそれ! いい人なんていないって、たった今言ったばかりじゃないか!」