第五話 小康状態Ⅱ
――1632年12月10日午前3時 プロスペラ共和国 スモクイ地方――
凄まじい爆発音とともに、兵士たちの朝は始まる。
深夜の静寂を切り裂くような轟音の共に、要塞の外壁に連続して直撃する砲弾は要塞全体を震えさせ、仮眠をとる兵士たちの脳を震わせ叩き起こした。
要塞上空には無数の爆撃機がまるで蝶のように上空を舞い、夕立のように五百キロ爆弾をばら撒いた。
爆発に巻き込まれ、あるいはがれきの下敷きになってそのまま永遠に眠り続けることになった一部の兵士たちを除き、兵士たちは慌てて着替え始め、武器を取り持ち場に戻っていった。
北の大陸の支配者を決める一大戦争が始まってからおよそ一か月、当初こそ戦線のはるか後方にあり、平時と変わらない状況であったスモクイ地方要塞地帯――通称スモクイ線――は、連合王国軍がルスティクム共和国の枢要部全域をほぼ掌握し、当地方東部に部隊を集結させると、その様相を一変させた。
陸軍砲兵部隊は昼夜問わず要塞地帯への砲撃を繰り返し、空軍爆撃機隊は砲撃に合わせて爆撃を続けた。
世界有数、否世界最大といっても過言ではないスモクイ線は、そうした激しい砲爆撃にもかかわらず一部が損傷するのみで相変わらずその巨体を保っていたが、これを守る人民解放軍兵士たちの損耗は日に日に増え続けていた。
要塞線を直接突破してくるようなことはないだろうとの結論に達した人民解放軍及び防衛人民委員部、プロスペラ人民軍は、要塞に兵士こそ配置すれど、必要な野砲や対空砲、戦車や小銃等とその弾薬を十分に揃えることがなかったため、連合王国軍に対し有効な反撃を加えることができていなかった。
爆撃の第一波が去ったのも束の間、砲撃の第二波が始まった。
ようやく一部で反撃が始まるが、敵の砲撃量との差は歴然としており、ようやく用意した野砲が兵士とともに吹き飛ばされる有様であった。
対空砲だけは運よく砲爆撃を逃れ、戦域を離脱しようとする爆撃機を捉え射撃を始めた。撃墜には至らなかったものの、爆撃機のうち一機は黒煙を上げて高度を下げていった。
「敵は何としてもこの要塞地帯を突破したいらしいな。奴らにも休みはないらしい」
「ああ、まったくだ。休日くらいは休養してほしいものだ。いやだが、そう言えば通信の連中が言っていたんだが、噂によればこれは連中の陽動で、奴らの本命は北の山峡地帯らしいぞ」
味方兵士の死体を片付けつつ敵爆撃機の襲来に備える対空砲兵たちがひそひそとそんなことを呟いている。
「馬鹿な。この砲撃だぞ? 敵砲兵はこの地点に集中しているんだ。それに爆撃機も。陽動でこんな量の弾薬と爆弾を使うはずがないだろう。それに、おれはあの辺りに一時居たが、あの山峡地帯には連中ご自慢の戦車部隊が通れる道などほとんどないし、主要な幹線にはびっしりトーチカが設けられているんだぜ。あんなところを大部隊が突破するのは無理だと思うがな」
「ああ、らしいな。だが、こんな砲爆撃を繰り返してはいても、敵は要塞地帯に足を踏み入れようとはしない。こんな風に毎日朝昼晩に挨拶代わりに砲弾をぶち込んでくるだけだ。本当にここを突破するんだとしたら、俺たちがここにいられるわけがないさ」
「まあ、それは確かに。連中の歩兵部隊が一度も来ないのはおかしいな。俺たちもだんだん手馴れてきて爆撃機に砲弾をぶち当てる頻度も若干ずつ上がっているし、もっと遮二無二攻撃してこないとなれば陽動の線もあるのか」
「かもな。まあいずれにせよ俺達には関係ないさ。俺たちは連中の手荒い挨拶で吹っ飛ばされないようにしつつ、ハエ叩きに徹するだけだ。今日は隣のトーチカが弾薬庫に引火したらしくて大惨事だったようだぞ。俺が前に一緒だった同志のほとんどは挽肉にされちまった! クソッタレが!」
「まったくだ。……おい、来たぞ!」
「分かってる!」
爆撃機の第二波が再び無数の五百キロ爆弾を投げ落としてくる。あちらこちらで爆発音が響き渡り、地鳴りとともに要塞城壁が崩れ落ちる。
ようやく準備の整った対空砲が火を噴き砲弾を打ち上げ光の線のように上空を照らし出した。
爆撃機は鈍重ながらも的確に光線を避けつつ要塞に的確に爆弾を落としてくる。
「おい! 二時の方向! 射角七十九から八十六! 早くしろ! 何やってる!」
「今やってる! クソがぁ!」
一筋の砲弾が空高く打ち上げられる。
爆撃機は悠々とそれらを回避し、再び雨のように爆撃を行う。
その後も砲爆撃と要塞からの反撃が幾度となく行われ、朝を迎える頃にようやくそれは終わったのであった。
――1632年12月11日午前4時 ルスティクム共和国 スモクイ地方――
『第六中隊砲撃構え! 撃て!』
指揮官の叫び声のような無線とともに、今夜何度目かも分からない砲撃動作が行われる。数十門の野砲が一斉に火を噴き、十数秒後にははるか遠方で爆炎が上がり、かすかな地響きがした。
「第三分隊右三度修正、第五分隊左一度修正、他そのまま」
観測小隊の報告を受けて砲手は微細な調整を行う。装填手は重い砲弾を大急ぎで運んできて、砲に装填していく。
『第一中隊砲撃構え! 撃て!』
更なる無線による命令を受け、野砲が一斉に砲弾を吐き出した。
それに合わせるかのように、中隊のはるか後方の空から唸りを上げる爆撃機が現れ、そして敵要塞線に向けて飛び去って行った。
「こう言ってはなんだが……、淡々としているな」
某砲兵中隊に所属する兵士が次の命令に備えながらそんなことを呟いた。
「どういう意味だ?」
「そのままさ。まるで教練のように、命令に従っていつもの教練どおりの動作で砲撃を繰り返している。違うのは砲撃の先が教練場ではなくて敵の要塞というだけだ」
「まあ、それはそうだな。いつもどおりにやればいいんだからこれ以上に楽なことはないだろう?」
「それはそうだが。……いやそうか。敵の反撃が全くないんだ。いや、たまにはあるが、事前の想定とは程遠い、蚊に刺されたようなしょっぱい反撃しかないのはどういうわけなんだ?」
無線の叫び声に反応して、今夜何度繰り返したのか分からない砲撃動作を始める。
慣れたもので、この戦争が始まった頃よりもかなり短い時間でもって砲弾を発射させることができていた。
「そんなの知るか。いやだが、敵の反撃があるようなら無線で移動を命じられるはずだろうが、今夜は一度もないな。そんなものなんじゃないか?」
「敵の砲兵を的確に潰せているのなら良いのだが、それにしても少ない気がするんだ」
「まあいいじゃないか。反撃が少ないならそれに越したことはない。こんなに戦友が死なない戦争は初めてだ。まあ、今後どうなるか分かったもんじゃないがな」
遠くの方で大きな爆発音が響いた。その後、何かが崩れる音が断続的に響き渡った。
「弾薬庫にでもぶち当てたかな。結構なことだ」
「そうだな。にしても、敵さんには流石に同情を禁じ得ないね」
「全くだ。一方的な砲爆撃に晒されて何もできずに死んでいくんだ。まったく哀れなことだよ」
「同じ立場にならないことを祈りたいもんだ」
二人の乾いた笑い声とともに、無線機が鳴り響いた。
兵士たちは同じように体に染みついた動作を繰り返し続けた。