第四話 小康状態
――1632年12月6日午後1時 ルスティクム共和国 シェラニナ山峡――
その日は、この地域のこの季節には珍しく雲一つない快晴であった。
透き通るような青空に、痺れるような寒風が続いて身の引き締まる肌寒さを感じる、良く晴れた冬の日だった。
この地は、山脈の一部に切れ目の入ったようなところであり、その切れ目の幅はおよそ二十から三十キロメートルほど、これが二百五十キロほど続いていた。
ただ、その切れ目のところどころにも小規模な山岳、丘陵地帯が広がり、それらを縫うように複数の道路や鉄路が敷かれ、スモクイ地方を除けば、ルスティクム共和国とプロスペラ共和国とを結ぶ重要な交通の要衝となっていた。
今のところプロスペラ共和国、正確に言えば人民共和国による事実上の傀儡政権であるプロスペラ人民共和国が支配するこの地は、人民共和国――パトリア共産党――の軍隊である人民解放軍部隊が複数駐屯し、元からあった道路や鉄路沿いのトーチカをさらに増設・強化されて、南部のスモクイ地方要塞地帯にも劣らぬ防衛線が構築されていたのであった。
既に北の大陸の支配者を決める一大戦争――一般にセンペルヴィエント=パトリア戦争と呼ばれる――が始まってからおよそ一か月が経とうとしているが、この辺りはなお平穏な雰囲気を保っていた。
トーチカ群や臨時の駐屯地に詰める無数の解放軍兵士たちはもちろん、普段通りの生活を送り続けている住民たちもまた、まるで何事もないかのように日々を過ごしていた。
開戦当初こそ、連合王国軍の侵攻を阻止すべく、解放軍が鉄路や道路、橋々を爆破解体して回り、今すぐにでも戦闘が始まるような気配を漂わせていたが、結局のところ何事も起こらず、修復のされなかった道路や鉄路を残して戦前と変わらない長閑な雰囲気が漂っていた。
連合王国軍は、ここ一か月でルスティクム共和国のほぼ全域を掌握するという戦史史上類を見ない迅速な軍事行動を敢行したものの、その後は共和国内で未だ降伏せず抵抗を続ける少数の人民解放軍部隊との小規模な戦闘を行うほかは大規模な戦闘行動を行うことがなかった。
連合王国軍と人民解放軍は、ちょうどルスティクム、プロスペラ共和国国境にてにらみ合いを始め、小規模な小競り合いが行われるものの、両軍ともに大規模な作戦行動を実行する兆候はなかった。
山峡地帯においても、威力偵察とみられる連合王国軍戦車部隊が山峡地域への突入を図ったり、偵察機若しくは戦闘機とみられる航空機が上空を旋回し、人民解放軍の対空砲部隊が応戦したりするなど、小規模な衝突にとどまっていた。
銃声や砲声は未だにほとんどの兵士や住民において耳に入ることがなかったのであった。
突然の事態に備えてトーチカに籠る解放軍兵士らは、すっかり緊張感がなくなり、司令部の再三にわたる警告などお構いなしに博打やカードに興じ、酒を煽っていた。
「なんでも、連合王国の連中は北部方面への侵攻を決定したらしいな」
「それはどこの情報だ? 俺が聞くところによれば、奴らは無謀にも南部の要塞地帯攻撃を行っているとのことだったが」
「あの要塞地帯をか? それは流石に無理な話だろう。以前あの辺りを回ったことがあるが、あんなところを大部隊で突破するのは土台無理な話だ。大部分が沼地と山岳、そして森林だし、そこかしこにトーチカや要塞陣地が張り巡らされている。なんでも、魔王軍との戦闘を見越して造られていたらしい。もはやおとぎ話のようなものだが」
「俺もそう思う。これは酔った将校連中が言っていたらしいんだが、どうも人民共和国は連合王国との停戦を目指しているらしい。連合王国もやぶさかではないそうだ」
「まさか! あの敵意丸出しの資本主義者共が停戦なんてするもんか」
「だが、両軍ともに動きはないし、どうもこの辺りが落としどころなんじゃないかと思うんだがな」
「下手なことは言わん方が良いぞ。どこで政治将校サマが聞いているか分からんからな」
「それもそうだ」
そんな特に根拠もない与太話のような噂が、どの部隊でも巡り巡っていた。
一方、山峡地帯の最西部に位置する山の頂上に造営された方面軍司令部では、連合王国軍との小競り合い報告とともに兵士たちの間に広がる噂話についても話題に上っていた。
「兵士たちは弛んでおりますな」
「ああ。やむを得ないこととはいえ、良いことではない。だが、敵も現状打つ手がない以上、この状況はしばらく続くことだろう」
参謀将校の男たちは、煙草をふかしながら言った。
「ルスティクムを陥れたとはいえ、プロスペラにまで侵攻するのは奴らとて容易ではないでしょうからな」
「ああ。北部は人っ子一人いない荒野が延々と続き、南部は堅固な要塞地帯により守られ、唯一残るここ山峡地帯も無数のトーチカにより充実した防御態勢がとられている。防空体制だけは不安が残るが、高射砲の数はある程度あり、防衛人民委員部には最新鋭の高射砲を要求してこれに応諾があった。遠くないうちにこれが届けば、個々の守りは万全なものになるだろうさ。どうも党中央は軽い恐慌状態に陥って大規模な後退があり得るとまで言っているが、そんな事態は余程のことがない限り生じ得ないだろう」
「まったくです。上の連中はどうでも良い時に慎重になって肝心な時に冒険主義に走りおる。おっと言い過ぎたかな。まあただ、やはりこの弛み具合は座視できません。一つ喝を入れてきます」
「お手柔らかにしてくれよ」
談笑が終わり、再び報告の分析を始める参謀たちは、そう言いながらも自身たちもまた緊張感が薄れていることに気づいた。
複数の戦争に従軍した将校たちにとっても、このように戦闘がない戦争は経験がなかった。
願わくばこの状況がいつまでも続くことを祈りつつ、ただ長年の嗅覚からこの状況がいつまでも続くわけではないことを嗅ぎ取りつつ、自らの作業に戻るのであった。
めちゃ久しぶりに更新しました。
来週も投稿できそうです(その後は分からん)。
何となくやる気が出てきたので頑張ります。