第三話 作戦計画
――1632年11月30日午後6時 人民共和国首都ゼカサーヴァ 共和国宮殿――
共和国宮殿内の中ではかなり質素な造りの、あくまで実務的な用途のために使うことを主張する部屋で、人民共和国の五人の指導者たちは、様々な表情を浮かべながらテーブルを囲んでいた。
赤い短髪の防衛人民委員、ゼーリン=デルヴァ=ヴィーティアは、不機嫌そうな表情のまま、手元の書類を渋々読み上げ始めた。
「連合王国は、11月23日の宣戦後、推計110個師団あまりをルスティクム共和国地域及び人民共和国フリグノイ地方に進攻させ、全土の制圧を伺っている。フリグノイ地方は我が軍のほとんどが壊滅し、かの地の収容所の多くが政治犯とともに奪取された。当該地方の防衛及び奪還は当面困難だろう。
また既に東部ヴィブゼー地方は、未だ解放軍による進駐がなされていなかったこともあって瞬く間に連中の支配下に置かれ、南部デュザロブニナ地方も東部は既に失陥し、中部および西部を伺う情勢。北部では、首都スフートミャスト東北東十キロ地点にて我が軍と連合王国軍との間で衝突が続くほか、北の沿岸部は既に失陥し、連合王国機甲部隊の一部部隊はプロスペラ人民共和国国境に到達した可能性が高い。また沿岸部から南下を始める敵部隊も確認されており、このままデュザロブニナ地方を西へ進撃する部隊と合流すれば、スフートミャスト他ルスティクム共和国駐留の解放軍部隊は完全な包囲下に置かれる可能性が生じる」
「プロスペラ駐留の解放軍部隊は何をしているの?」
青い長髪の外務人民委員、エルネ=ヴォールは、神経質そうに貧乏ゆすりをしながら口を挟んだ。
「準備の整った部隊から順次国境を越えて防衛線を構築する。駐留軍でルスティクム共和国全土の解放を目指すことも考えられないではないが、敵の攻勢はこちらの想定以上に激烈であり、まずは敵の勢いを破砕し、しかる後に反転攻勢に出るのが賢明であるというのが私の、そして解放軍総本営の参謀らの一致した意見だ」
「そう。……続けてちょうだい」
「……。部隊は防衛線構築とともに、敵の包囲を切断して包囲下の味方部隊を可能な限り救出することを試みる。救出は困難を極めるが、防衛線構築は何とか可能だろう」
「その後は?」
黒い長髪の人民共和国人民委員会委員長にして党書記局局長――すなわちこの国の最高指導者――、クラーナ=ロヴ=ナーヴァが無機質な声でそう促す。
「連合王国は愚かにも総力戦を選ぶに至った。我々もまた総力戦を以てこれに当たらなければならない。したがって、防衛人民委員部としては徴兵制度の抜本的見直しによる陸軍部隊の大規模な拡大を図るとともに、これまで以上の戦車、航空機の早急かつ大胆な増産が不可欠となる」
「ここまででも随分と用意を重ねていたはずだけど……?」
長い金髪の財務人民委員、ラン=ルタットがため息をつきながら呟くように言う。
「敵戦力は我々の想定以上のものと言わざるを得ない。このままでは確実にじり貧となり我が国にとってこの戦争は不本意な結果となる可能性が高い。そもそも、我々の戦力充足は来年の予定ではあったからな」
「まあ、こうなった以上は仕方がないよ。この結果は政治局常務委員全員の責任だし。ならこの戦争を我が国にとって最良の結果となるようにするしかないよね」
長い茶髪の内務人民委員、チェルノ=ゼムリアがまとめるように、しかし少し余裕そうな顔でそう言った。
「いや、これは防衛人民委員である私の責任だ。だが、チェルノの言うとおり断固としてこの戦争を勝ち抜かなければ我々に未来はない。何とか協力を貰いたい」
少しの間をおいて、残りの四人は軽く頷く。
「それで、戦力増強の件はランとゼーリンに適宜担当してもらうとして、今後の作戦計画はどうなるの? 話を聞くに、現状ルスティクム共和国の確保は困難なようで、であればプロスペラの確保は何としても行わなければならないように思うのだけど、その点について参謀本部や防衛人民委員部で検討は進んでいるのかしら?」
クラーナが無表情のまま淡々と促す。
「ああ、先ほどのとおり、ルスティクムに取り残された部隊の救出には十全を尽くすとして、プロスペラの防衛、敵部隊の現状の攻勢の無力化は至上命題だ。
まず、南部および中部戦線であるスモクイ地方については、元から強固な要塞線を幾重にも構築してあるし、もともと山岳、丘陵地帯であることから、当該地方の敵軍の突破は凄まじい出血を相手に強要することとなる。したがって当該地方の防衛はそれほどの困難はないものと思われる。
次、北中部シェラニナ山峡だが、ここも山峡の幅は狭いところで二十キロ程度であり、かつ現状やむを得ず主要な幹線道路のほとんどは損壊させ、橋もほとんど破壊してあるから、大部隊の通行は不可能と言って良いだろう。こちらとしてもあまり大部隊を配置することはできないが、要所にトーチカや要塞、防衛陣地を造営してあり、スモクイ地方ほどではないにせよ突破は困難だろうな。
少々問題なのが北部ポルナッツ地方だが、ここは利用できる地形に乏しく、防衛にはあまり向いていない。この地方に戦力を割けば南部および中部にも影響が生じることから、なるべく遅滞戦闘を繰り返しつつ後退して、我が国の国境から百キロ程度押し出したところで防衛線を構築し、ここで食い止めるのが賢明ではないかと思われる。敵もグラニーツァ海沿岸ならある程度の補給はできるだろうが、内陸に入れば入るほど補給は困難となるだろうし、適宜敵の補給線を圧迫して敵の損耗を拡大させることが賢明ではないかというのが総本営の意見だ」
「なるほどね。南部については特に意見はないけど、中部と、そして北部の防衛は気になるわね」
「私も。とくに北部は、仮に防衛線が突破された場合には共和国領土にも危険が及ぶことになるわ。そんなことは許容できない」
「それに北中部も、仮に突破された場合は、その先の平原を突破されて海岸に到達された場合には、スモクイ地方の解放軍が完全に包囲されることになる。損害は計り知れないのでは?」
次々に意見が出るが、ゼーリンは額の冷や汗を拭い、少し震えながらも、自信に満ちた表情で言う。
「……北中部については、既に述べたとおり強固な要塞陣地を構築しているから敵陸上部隊の突破はまず不可能だろう。航空部隊に対しても、我が空軍が全力で迎撃に当たっているし、また最新鋭の対空砲部隊も現地に送り込む手筈が整っているから、連合王国軍お得意の空陸協同での攻撃も問題なく阻止できるはずだ。北部についても繰り返しになるが、言ってしまえばあの何もない荒野などくれてやっても問題ないだろうし、仮に彼らがあの荒野から我が領土への攻撃を行うとしても、そのときまでにはすでに構築された防衛線により敵の進攻は阻止できるだろうし、敵の補給線を破壊して敵を干上がらせることも可能なはずだ」
「より戦線を押し出して防衛することはできないの?」
「既に報告のとおり、現状敵の攻勢は我々の想定を超えるものだし、そもそもこの時期の開戦も当方において想定外だったんだ。この状況で無理に戦線を押し出したとしても、敵の勢いを殺すどころか、無意味に前線部隊を疲弊させることとなり、逆に彼らの勢いを強めてプロスペラの防衛すらも困難なものとなる。それでもなおそうするのならば、私以外の者に防衛人民委員の役職を譲ることにするよ」
「…………」
四人はそう言われては押し黙るほかなく、クラーナの「であれば、その点は貴女に一任するわ」との一言で、とりあえず決着がついたのであった。
「ああ、あと、ゼーリンとともに急遽進めていたシヴィラールの件だけど、先日進めていた敵の最後の要塞を攻略するとともに和平提案を行ったところ、とりあえず現状の国境線で停戦となったわ。当然軍を完全に撤退させることなどできるわけないけど、とりあえず西で戦力を削られる心配はいったんなくなった形ね。もちろんシヴィラールが連合王国と何らかの関係を持てばまた別だけど、それも帝国と秘密裏の交渉を行ってうまく掣肘を加えているわ」
エルネが思い出したようにそんなことを言った。
人民共和国は、現在東の連合王国と大規模な戦争に突入したのだが、それ以前にも海を隔てた西のシヴィラール国との小競り合いを続けていたのであった。
今般、ようやく停戦となり、後顧の憂いがなくなったというわけであった。
また、世界の過半を支配下におさめるプリンシピウム帝国は、今回の人民共和国と連合王国との戦争については中立の立場をとる旨表明しているものの、どちらかが完全な勝利を得ることで勢力が強大になることを防ぐために陰に陽に戦争に介入する構えを見せていた。
仮にシヴィラール国と連合王国が手を組んで人民共和国を挟撃すれば同国の崩壊につながるため、帝国を介してそうした同盟関係の構築を阻止するのが人民共和国の外交方針となっていたのであった。
「そう。なら我々の懸案は今回の戦争一本に絞られるわけね。であれば、我が国もその勝利のために全力を尽くさなければならない、したがって我が国の全ての資源をこの戦争に振り向けなければならない。我が国もまた総力戦を以てこの戦争を戦い抜き、必ずや勝利するわよ」
クラーナの淡々とした、しかし決意に満ちた言葉に、四人は強く頷いて返した。
今日も会議は平和に終わった。