【仕事が終わり、部屋に戻る】
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・【仕事が終わり、部屋に戻る】
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今日もめちゃくちゃだった。
午後はお客さんが来なさすぎて、窓の鉄格子を掴みながら、オヤッサンが「出してくれー! 出してくれー! 男の酢飯ー!」と叫んだら、隣のコロッケ屋に「うるさい」と普通に怒られてしまった。
まあその分、ディナー・タイムの客には静かに接客していたからいいけども。
でもまさか隣のコロッケ屋にオヤッサンがシンプルな土下座をするなんて。
ただ土下座のあとに手を洗わせたくて、オヤッサンに何度も言ったんだけど「この土下座を刻みたい」と言って全然手を洗わなかったのは良くなかったな。
客が来た時には普通に洗ったけども、あういう頑固なところ、本当に良くないと思う。
午後十時になんとか仕事が終わって、オヤッサンは調理場で最後の片付けをし、僕は合間に準備したお風呂に入って、やっと寝る時間だ。
早く自分の部屋で……と思った時、高梨さんがいることを思い出した。
そう言えば、あの人、一度も寿司屋のところに現れなかったな。
何しているんだろう。
明日からは、お風呂の準備とかしてもらおう、と思いながら二階に上がり、歯磨きの準備をして、歯ブラシを持ちながら自分の部屋・兼・今は高梨さんの部屋に入ると、
「博史、選別しておいた」
何か段ボールの前で座っている。
その段ボールのほうをちゃんと見ると『いるモノ』と『いらないモノ』と『男の酢飯』と書かれた段ボールに何かモノが入っていた。
そしてその段ボールの中に入っているモノが、僕が部屋に置いといた私物だということを確認した。
そう……『男の酢飯』と書かれた段ボールに入った、何度も使えるオナホで……いや!
「ちょっと! 勝手に触んないで下さい!」
自分のデカい声を出した時の振動で、右手に持った歯ブラシに乗った歯磨き粉をこぼしそうになって、一瞬慌てる。
いやいや今はもう歯磨き粉なんて問題じゃない、問題じゃないんだ。
「どういうことですか!」
「オヤッサンが選別して住みやすくしろ、って」
そう言いながら僕のオナホを手づかみして、コスコスといじり出した高梨さん。
いや!
「そういうのが一番触れちゃいけないヤツ!」
「こういうことに興味が無いと思ったらあるんだ、一緒に使う?」
「それは一人で使うモノです!」
「確かに」
そうフフッと怪しく微笑し、オナホをいらないモノのほうへ置いた。
いやいるモノだけども、ここでハッキリ「いるモノだろ!」とはツッコめないなぁ……。
高梨さんは、また『男の酢飯』と書かれた段ボールから、僕のお気に入りのDVDを手づかみした。
というか何で”男の酢飯”で通じるんだよ、オヤッサン、丁寧に説明したのかよ。
「このDVD、パッケージからえっちだね、えっち」
そう言いながら僕のほうをじろりと見た高梨さん。
少し侮蔑するようなその目に、何か、新しい扉を開きそうになった。
いやいや、急にドM開眼しちゃったら、この状況が至福になってしまう。それは避けたい。僕は普通の人間だから。
いやまあとにかく
「そういう道具があるんだから、こういうモノもあるでしょ!」
できるだけ動揺を見せずに堂々と言う。最後の尊厳だ。
それに対して高梨さんは溜息をついてから、
「私はこういうモノ、嫉妬する」
そう言いながら『いらないモノ』に入れ、こちらを明らかに睨みながら、
「これからは私が管理するから。必要なモノはこのピルだけ」
と、スカートを捲り上げて、ハッキリこっちにパンツが見える状態でパンツの中に手を入れ、そしてそこから錠剤が入っている銀色のヤツが出てきた。
いや!
「銀のヤツそんなとこに直接入れていたら痛いですよね!」
「パンツ見てそんなツッコミするんだ、いいね」
そう言って笑った高梨さん。
何のツボか分からないけども”いいね”と言われたこと自体に何か喜んじゃった。いやそんな一喜一憂はどうでもいいんだ。
「そういうのは付き合っている男女がすることです!」
「じゃあ付き合おう。それでいいでしょ?」
当たり前のように言い切った高梨さん。
顔は意外と真剣そうだ。
もっとこっちを小馬鹿にしながら、みたいな感じではなく、その瞳は真っすぐだった。
「いやいや、なおさらダメですよ、そんなの。出会ったばかりじゃないですか。お互いのこと何も知らないですよね」
「私は記憶喪失だから博史には何も教えられない」
「えっと、そういうことじゃなくて、人となりは後々分かるじゃないですか」
僕がそう言うと、座った姿勢でゆっくりこっちに近付いてきて、そして膝を立てたので徐々に僕の顔をめがけて立ち上がるのかな、と思って見ていると、
「あっ、ぁっ」
艶めかしい声を出しながら、僕が右手に持っていた歯ブラシを舐め始めた。
瞳を潤ませ、上目遣いで僕のほうを見ながら、口の周りを歯磨き粉で白くしていく。
『あっ、ぁっ』なんてオヤッサンで慣れに慣れていると思っているが、本物の、異性のその声は想像を絶した。
僕は咄嗟に『ダメだ!』と思い、歯ブラシを下げようとしたら、下方向に動かしたつもりが、少し高梨さんの口の奥に歯ブラシが動いてしまい、
「ぅっ、ぁあっ!」
と、高梨さんをえずかせてしまった。
少し口からヨダレが出て、唇のあたりにまとわりついている。
僕はすぐさま
「すみません! 上げれば良かった! 本当にすみません!」
と言いながら頭を下げると、スッと高梨さんは体全体を上げて、そして頭を下げた僕の唇にキスをした。
あっ、ファーストキス……めちゃくちゃ歯磨き粉の味がする……スースーするけども全然冷たくない、体が熱い……。
僕はとっさに少し顔を離し、狼狽えた目で高梨さんのほうを見ると、多分高梨さんのヨダレが糸を引いて、僕と高梨さんの唇を繋いでいた。
「一緒になったね」
そう言って妖艶に笑った高梨さん。
いや、あの……次の言葉が出てこない。
黙って硬直している僕から歯ブラシを優しく奪った。
高梨さんの手が僕の右手を包んで、ゆっくりゆっくり指で指をほどきながら。
高梨さんは立ち上がり、歯ブラシは丁寧にテーブルの上に置いてから、ゆっくり僕を抱き締めてきた。
僕はなされるがまま、高梨さんに引っ張られて歩き、ベッドの前に来ると、そこで急に力強く押し倒された。
「いいってことでいいんだよね?」
僕に覆い被さってきて、柔和な表情。
いや良いことなんてどこにも無いんだけども、声が出ない。
「やっとこれで仲良くなれるね」
そう言って僕の顔に顔を近づけた高梨さん。
いや仲良くなる方法なんて、こうじゃないだろう……こうじゃないだろう!
「こうじゃないだろう!」
やっと声が出たが、思っていた言葉がそのまま出ただけで、全然深みは無い。
でも深みは無くても勢いがあったので、高梨さんはビックリしながら上体を起こした。
その声のデカさのみで驚いた表情を見たら、ただの人間だということが分かって、次の言葉が出た。
「その声のデカさのみで驚いた表情を見たら、ただの人間だということが分かって、次の言葉が出た!」
いや思ったことを一言一句逃さずに出た。
恥ずかしい。もう普通に恥ずかしい。
顔が真っ赤になったついでにそのままエッチしちゃおうかなと思っていると、
「おかしいね、博史。そっか、私ってただの人間なんだ」
と、言って目を細めながらクスクス笑い、立ち上がり、僕がベッドで倒れているところの近くに座った。
「私、ただの人間じゃないと思ってた。記憶は無いのに男の人と仲良くする方法は覚えていて。こんなことばっかりしていたんだな、と分かって」
僕のほうでは無くて、窓の外を見ながらそう言った高梨さん。
あっ、まだカーテンも締めていなかったのか、なんて、どうでもいいことが頭をよぎる。
「でも分からないね、男の人、いや、博史って」
分からないことないだろう、典型的な意気地なしのテンパり屋だろ。
「不思議だね、分からないほうが好きなんて」
好き……額面のまま受け取っていいのかな……。
「ねぇ、博史のこと知ったら、付き合ってくれるの?」
そう言って僕のほうを見た高梨さん。
あの時の真剣そうな顔と違って、何だかどこか幼げだった。
「私は博史のことが知りたい。自分のことよりも、ずっと、ずっと、博史のことが知りたいんだ」
「いや……まあ……僕も高梨さんのことを好きになれば、ま、まあ、付き合うけども……」
「じゃあ好きにならせればいいんだ、そのためにはやっぱり博史のことを知ることが必要不可欠みたいだね」
「う~ん、かもねぇ……」
こんなこと言われたこと無いから、歯切れは悪いわ、何か偉そうわ、で、何か自己嫌悪。
そんな僕とは反比例して、どんどん嬉しそうになっていく高梨さん。
その表情を見ていったら、段々僕も元気が戻ってきて、
「じゃ、じゃあ、これからよろしくお願いします」
そう言って上体を起こして、隣に座った状態になって、ペコリと一礼した僕。
「うん、よろしく」
高梨さんは満面の笑みでこちらを見た。
そんな時だった。
「男の酢飯」
そう言いながら布団を持ったオヤッサンが入ってきた。
あっ……この人……このタイミング……えっと、あの……。
「オヤッサン、どこから見てましたか」
「前世からでぇい」
「そんなスピリチュアルな返しはどうでもいいんですよ、マジの話をしているんですよ」
オヤッサンは無言で、空いているスペースに布団を敷き出した。
表情から察するに、明らかに不機嫌になっていた。
いやでも勝手に部屋のモノを選別させたオヤッサンもこの流れの引き金になっているんじゃないか、とモヤモヤしながら見ていると、
「博史は、本当の意味でのオヤッサンの息子でぇい、勝手に取るんじゃないんでぇい」
と、こちらを見ずにそう言った。
そう言った時、何だかすごく心が躍った。
そっか、僕のこと、息子だと思ってくれているんだ。
そう思って紆余曲折はクソあるけども、育ててくれていたんだ、有難い、と思っていると、オヤッサンは布団を敷き終え、掛布団もセットし終えると、ぐるりとこっちを向きながら叫んだ。
「博史はオヤッサンのオティンティンでぇい!」
いや!
「息子ってそういう意味っ! というかどういう意味だよ!」
「博史! 今日は一緒に寝るんでぇい! 高梨に見せつけるでぇい!」
「いやそのための布団っ? オヤッサンとは何もしたくないわ!」
なんて馬鹿馬鹿しいやり取りをしてしまったんだ。
恥ずかしい、何か高梨さんにこのノリ見せるの恥ずかしい。
もう幻滅されたのでは、と思いながら高梨さんのほうを見ると、高梨さんは微笑ましいといった感じにニコニコしていた。
足は浮かせて、ブラブラさせながら、まるで子供だ。
あんなにオトナな雰囲気を纏っていたのに、今はただの無邪気な女子だ。
まあオヤッサンがあんな感じということは分かっていることのようなので、大丈夫なわけか。変にヒイたりしないわけか。
じゃあ今一番大丈夫じゃないのは、
「オヤッサン! 帰ってくれよ! 布団は本当に感謝しているけども、帰ってくれよ!」
「寿司酢」
そう呟き、肩を落としてオヤッサンはスゴスゴと去っていった。
階段を降りる音もしっかり聞こえたので、本当に自分の部屋に戻ったのだろう。
じゃ、じゃあ
「高梨さんはその、どっちで寝たい?」
「博史の香りがついたベッドはまだ我慢するから、布団で寝るね」
そう言ってベッドから降りて布団のほうへ行き、そこで座った、と思ったらすぐ立ち上がり、歯ブラシを持って、こっちへ来て、
「んっ」
と可愛く言いながら僕に手渡し、高梨さんは、
「じゃっ、お風呂入ってくるね」
こちらに一回微笑みかけて、階段を降りていった。
僕は何も考えずに、歯ブラシを口の中に入れた時に、高梨さんが舐めていたことを思い出して、バッと口から出した。
いやいやいや! 自分のことを好きな人とこれから一緒に寝泊まりするのっ?
そんな、そんな、眠れるはずないじゃないか……!