【オヤッサンに拾われて】
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・【オヤッサンに拾われて】
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「だって男の人と仲良くする方法なんてこれ以外知らないし」
急に何のことか全く分からないけども、心臓が脈打つ鼓動は止まらない。
間違いない、間違いない、この黒髪ロングの女性は間違いなく寝ている僕に覆い被さってきていた。
最初、何かが乗っているのかどうかも分からないくらい軽かったけども、徐々に重みを感じてきて、特に胸のあたりに重みを感じるようになってきて、そして柔らかい感触とバラのような良い香り、そして生温かい息で僕は起きたんだ。
そして目を開けると目の前にこの女性がいて、僕は驚きながら腕で押し返したんだ。
「……それとも私をこのまま押し倒してエッチする気? いいよ、それでも、貴方が興奮するくらいの抵抗はしてあげるよ、そういうのも得意だし」
どこか切なげに微笑んだ女性、いやいやいや、全然意味が分からない。
とにかく
「貴方は、誰ですか?」
「君と一緒だよ」
「えっ? 僕が分離したんですかっ? そういうSFなんですか?」
「フフッ、君も面白い人だね、オヤッサンと一緒だ」
オヤッサン……オヤッサンとは行き場も無く、泥水をすするように生活していた僕を拾ってくれた寿司職人だ。
今はオヤッサンの家で居候させてもらって、昼間はオヤッサンが大将の寿司屋を手伝っている。
そしてここはオヤッサンから与えてもらった僕の部屋、そこに急に女性が上がり込んで来て、しかも僕のことを襲ってきたわけだから訳が分からない。
というか僕と一緒?
……あっ、ということは……
「君も拾われた人、ってこと?」
「御名答、私もオヤッサンに拾われたんだ。でも人に貸せる部屋は一つしかないらしく。だから君と同部屋になったの。で、同部屋が男の人って聞いたからラッキーだと思って。ほら、男の人ってエッチすれば仲良くなれるでしょ?」
「そ! そんなことないよ! その世界観で生きてきてないから分からないよ!」
「じゃあ君もオヤッサンと一緒で例外の人なんだね」
あっ、オヤッサンもこの人の誘惑を受け流したのか。
まあオヤッサンは彼氏も彼女もいるからな、まあ、ガッツリ浮気しているけども、それ以外の人とは交わらないというわけか。
とにかく!
「仲良くしたいんだったら普通に会話で仲良くなろうよ!」
「……会話ってカラダの?」
「貴方そればっかりだね! そんな暗喩じゃないよ! 僕は博史! 貴方の名前は何っ?」
「私の名前は無いよ、好きに呼んでいいよ。ほら、男の人って浮気がバレないように女の人のあだ名を統一するでしょ? だから好きに呼んでいいよ」
何なんだこの人、もうそういうことの権化かよ。
どんな人生歩んできたんだよ。
いやまあ僕も人のこと言えないような人生だから、そこはまあ掘り下げないようにして
「えっと、でも、本来の名前があるでしょ? 元々の名前というか。それを教えてよ」
「……」
急に黙ってしまった女性。
憂いを帯びてその場に座り込んでいる。
いや何か言っちゃいけないことでも言ったかな。
でも今のところ僕は普通のはず。
「あの、名前、名前はあるでしょ、名前は」
もう戸惑いすぎて、一つの単語を連呼するマシーンに成り下がった僕だが、それはもう仕方ないことだ。
僕は黙って次の言葉を待っていると、ゆっくりと口を開いた女性。
「無いの、覚えてないの……」
まさかの記憶喪失。
思った以上にこの女性、爆弾がデカい……。
自分よりデカい爆弾を見たこと無いが、この時点で既に十分のデカさを誇っているなぁ。
いや人の人生をデカい爆弾で例えるのも失礼な話だけども、僕は自分の人生をデカい爆弾で例えているので、その癖のまま、この女性に対しても適用してしまっている。
いやまあそんなデカい爆弾の話はいいとして、じゃあ
「オヤッサンはどう呼んでいるんですか?」
「高梨と呼んだわ」
「じゃあ僕も高梨さんと呼ばせて頂きます……でも、何で高梨さんなんですか?」
全く記憶が無さそうな女性に高梨さんと名付けるセンス、それがまあオヤッサンなんだけども。
オヤッサンは正直頭がおかしい、僕とは別の爆弾を持っている人で、まあだからこそこんな怪しい僕や女性を簡単に拾ってしまうところがあって。
とにかく僕はオヤッサンが何故この女性を高梨さんと呼んだのか知りたかった。
するとこんな答えが返ってきた。
「記憶が無い、つまりナシ、不可思議が高まっている人、それらを合わせて高梨と」
「不思議が高まっているという表現がオヤッサンらしいですね」
「私は好きですね、そういう言語感覚」
そう言って妖艶に笑った女性。
いやハッキリ言って、語彙消失だが魅力的な女性だ。
華奢なのに出るところは出ていて、黒髪ロングでサラサラ、キューティクルばっちりだ。
目はパッチリ二重で、まつ毛は長い。
ややつり目でキツそうな雰囲気もあるが、今は切なげに瞳を潤ませている。
鼻も高く、ちょっと日本人離れしているというか、全体的にロシアあたりとのハーフ?
唇は綺麗な桃色で、口は少し大きめ、全体的に舞台映えするほうといった感じだ。
まあ見た目の話はどうでも良くて、オヤッサンと波長が合うというところは重要なことかもしれない。
とにかくオヤッサンはなんというか、異常者なので。
お笑い芸人のコントの世界の住人がそのまま現実に降り立ったような人なので。
僕は正直慣れたけども、初見の人はもう混乱しかしないだろう。
でも最初から嫌いじゃない感じなら、大丈夫かもしれない。
「じゃ、じゃあ高梨さん、僕はそろそろ仕込みに入るから高梨さんは、えっと、まあ、この部屋で休んでいるといいと思うよ、多分」
「はい、オヤッサンから”てやんでぃ、べらんめぃ、今日は休みなさぃ”と言われているので、この部屋を自分の部屋だと思って休んでいます」
オヤッサンの台詞を言う時は心なしか少し語気を強めて真似て言っていたところが、何だかおかしかった。
良かった。
最初はすごい変な人だと思ったら、ちゃんとした感覚もあるみたいだ。
僕は手を振ってから仕込みに行った。
一旦洗面所へ行き、顔を洗ってから階段を降りて、一階の居間で割烹着に着替えてから、調理場に行った。
というか、というか!
「オヤッサン! 急に女性を僕の部屋に放り込まないでよ!」
「えっ? 男の酢飯が暴発したって?」
キョトンとした表情を僕に向けたオヤッサン。
「してないし! 男の酢飯って何だよ!」
「栗の花酢飯でぃ」
「めちゃくちゃ下ネタじゃん! いや分かっていたけども!」
この初っ端からヤバイ・フルスロットルを出してきているのが、このオヤッサンだ。
ツルッパゲにデカい目とデカい鼻の穴、口もデカい、身長もデカくて180センチくらいある。
何も鍛えていないのに、細マッチョで、足も長い。ただし粗チン。
額には常に捻り鉢巻きをして、どんな時でも割烹着を着ているが、パンツは穿いていない。しかし彼氏と会う時だけはブラを付けていて、彼女と会う時はパンツを付けている。理由はそれぞれの恋人に脱がさせたいからという話だ。
発言も倫理観もぶっ壊れている、それがオヤッサンなのだ。
当然来る客もおかしな客ばかりだ。
類は友を呼ぶというわけで、その類は友を呼ぶに自分も入っていると思うと、急激に死にたくなる。
いや拾ってくれた恩があるから全力で生きるけどさ。
「あっ! あっ! あっ! 博史!」
「どうしたんですか、オヤッサン」
「あっ! あっ! ぁっ……ビィ、ビクゥン!」
そう言いながら恍惚な表情を浮かべたオヤッサン。
「何イッてんだよ! 普通に言ってくれ! 喋ってくれ!」
恩はあるけど、台詞はタメ口になることが多い。
一応通常は敬語を維持しようと思うけども、こんなヤツに敬語を使いたくないって思った時は使わない。
「あっ! 博史! 高梨にもう仕込んじゃった……?」
「何がだよ! いやうるせぇよ! 何も仕込んでねぇよ!」
オヤッサンは下ネタを喋っている時は必ずイカを捌いている。
何なんだよ、その連動。
そのせいで「大将のオススメで」と言われると、必ず多く捌きすぎたイカを繰り出す。
「高梨とは同意の上でやるんでぃ! 女性には優しくするでぃ!」
「いや普通に浮気しているオヤッサンに言われたくないわ!」
「でも男性と女性、それぞれの一位だからでぇぃ」
「総合の一位を決めないとダメなんだよ!」
そうツッコミながら、俺はバランスをとって、イカ以外の魚を捌く。
というかまだまだオヤッサンはイカを捌いている。
ガンガン、下ネタを言っていく予定らしい。
いいんだよ、そんな予告ホームラン。
いやホームランじゃない。
予告湿り気だ、湿り気を予告するな。
こんな感じで俺とオヤッサンの日常は始まる。
そんな日常に急に現れた高梨さん。
一体これからどうなっていくんだろう、と考えるヒマは無く、開店し、そのまま魚が並んだケースの前に立つ。
この寿司屋は変人御用達になっているので、朝っぱらから人がやって来る。