第七十二話 伝播する熱
(何を言っているんだ……)
友梨の行動に俺は頭を殴られてような感覚になる。
菜奈さん達も友梨の行動にとても驚いた表情をする。
「友梨ちゃん、本気?」
いち早く冷静になった菜奈さんが友梨を見据えて真剣な表情で問う。
「はい!紫亜さんが来る30分、私がピアノで稼ぎます」
友梨は力いっぱい不安を感じさせないように答える。
「……本気そうだね、沙優と如月はどう思う」
少しの間があった後、菜奈さんは川島さんと如月さんの方を見て意見を聞く。
「根本的に……実力……あるの?」
如月さんの質問に友梨の一瞬震える。
「朝聞いた感じだと大丈夫だと思うけど、そこら辺どうなの?」
「一人で演奏するとなるとギリギリかもだけど、大丈夫だと思うよ」
如月さんの質問に菜奈さんと川島さんは大丈夫だと判断した。それを聞いた友梨は少しだけホッとする。
「そう。ならどっちでもいい……私が決める事じゃないから」
如月さんは意見が変わることがないと言った感じで机に倒れ込む。
「私も如月に同意かな。私たちのリーダー菜奈だから、菜奈に任せる」
川島さんも如月さんと同じようにリーダーである菜奈の選択に従うと意思表示する。
それに二人の意見を聞いた菜奈さんは苦笑いをした後、今回のフェスの最高責任者である広さんの方を見る。
「客観的な意見を述べるならライブの成功確率だけで見るなら菜奈がやるべきだろう。ただ、あくまで客観的な意見だ。音楽は客観性が全てではない。人の心を動かすのは技量だけじゃない。だからこそ、私も二人と同じで菜奈と赤菜さんの選択に委ねる」
広さんはライブを成功させる責任者として現実的な意見を述べるが、それだけでないと別の道もあると意見を伝えた上で、どちらの選択をしても責任を取ってやると遠回しに伝える。
その意味を菜奈さんは読み取り、先程と同じように苦笑いする。
「ふむふむ、つまり私が決めると言うことだね。ねえ、友梨ちゃんはどうして代わりに弾こうとするの?」
菜奈さんは友梨の真意を見定めるように言った。
「笑顔ではないからです」
それに一切怯むことなく、友梨は自分の意見を述べ始める。
「菜奈さんは私に言いました。音楽は人を笑顔にするものだって」
友梨の言葉に菜奈さんは無言で頷く。
「私もそう思います。ただ、それは聞く側だけじゃありません。弾く側も笑顔にならないとダメだと思うんです」
笑顔について悩み、考え続けていた友梨のその言葉には力があった。
「今の菜奈は我慢してる。自分がなんとかしないといけない、ここで我儘も泣き言も言ってはいけないって我慢してる」
友梨の言葉に菜奈さんは否定も肯定もせず、正面からその言葉を受け止め聞いた。
「どうして、そう思うの?」
「私にピアノを教えてくれた親友と似てるから」
ピアノを教えてくれた親友で赤菜友梨にとっての原点とも言える人物。
そして、今、向き合わなければいない救い出そうとしている人物。
「私の親友は何処までも優しくて厳しかった。どんなことがあっても、常に前へ前へと立ち向かって戦っていた。辛いはずなのに、逃げたいはずなのに、決してそんなことはしなかった。全てを我慢して私たちの前では笑顔で明るく振る舞ってくれた」
友梨の言う通り、春野さんは事件が起きるその日まで決して自分が虐められていることを悟らせなかった。
俺の聞き取り調査では休むまで春野さんの異変に気付かなかった生徒が大半だった。
「そんな親友が弾いたピアノは何処までの凄くて圧倒してた。だけど、泣いてた。誰一人として心の底から笑顔になれなかった。私はそんなピアノを親友に弾かせてしまった」
友梨の手に力が入る。
確かに春野さんの暴力的で皆を圧倒した演奏だった。その演奏に楽しもうという気持ちは入ってこなかった。
「私はそんな悲しい演奏を二度と弾かせたくない。もう逃げたくない。わたしは、わたしは親友が与えてくれた音楽の力でみんなを笑顔にしたい」
(ああ、やっぱりすごいよ。友梨)
友梨は自分の罪を乗り越えようとしている。前に進もうとしている。
そんな姿がどこまでも眩しかった。
「人を笑顔にするには、自分が笑顔でないといけないか……。しっかりと見抜かれるもんなんだね」
菜奈さんは何処か感慨深そうにそう言う。
その後、友梨を一瞥した後、こちらをチラリと見て、そして再び友梨を優しく見つめる。
「私は友梨ちゃんに任せることにする」
菜奈さんは友梨に時間稼ぎを、ライブの成否を委ねることにした。
「分かった」
「そうなると、早く準備しないとね」
リーダーである菜奈さんの決断に誰一人として色んなく、テキパキと少しでも成功するために動き出す。
「だけど、ピアノ一人、それも片手だとどうしても盛り上がりに不安があるわね」
川島さんの不安に誰も否定はできなかった。
両手ならまだしも、片手ではやれることが少ない。技量だけでは賄えない物理的な壁が存在する。
「そこら辺は大丈夫だ。私がギター、元がドラムとして一緒に出る」
年相応の落ち着いた服装から、ライブ用のかなりイケイケの恰好をし、派手な仮面を持って、広さんとライブの片付けをしていたはずの西村さんがこちらに来る。
「べ、別人だ」
「同意……」
菜奈さんと如月さんは広さんと西村さんのあまりの変わりように動きが止まる。
「出来たんですね……」
「勿論だよ。安富も私も元々バンドをしていたんだ。安富は今こそ最高責任者として温和な雰囲気だが昔は一番過激なやつだった」
「何を言っているんだ。元の方が過激だったじゃないか。人を叩き殺したいのか思わんばかりの勢いでドラムを叩いていたじゃないか」
西村さんの体格はふとやかだが、よくよく見るといい感じに筋肉がついている。ギターを両手にドラムを叩くぐらいのことは出来そうだ。
広さんの方も今の恰好を見るに過激だったの事が想像できる。
「急の参加、ありがとうございます。」
友梨は話を聞いて広さん達にお礼を言う。
「そこまでかしこまらなくても構わないよ。赤菜さんには店を手伝ってもらったからね。それにここで恩を売っておいた方がいいからね」
西村さんは俺たちを見て言った。
「私も同感だ。それに赤菜さんの言葉に若い頃にあった熱を思い出してね。ここでやらないと消化不良になってしまいそうなんだ」
朝の姿から想像できないほどの熱量が広さんから感じられる。
友梨が勇気を出して一歩前に踏み出した灯は広さん達に伝播した。あの時、動かなければこうもにぎやかな雰囲気でいることはなかっただろう。
「さて、準備も整ったことだし楽しんできてね友梨ちゃん!」
「はい!」
菜奈さんに背を押してもらい、友梨たちは舞台へと向かう。
そうして、勇気の熱をさらに多くの人に伝播させるための戦いが始まるのであった。