第六十六話 アドバイス
「さて、そろそろ動くとしましょう」
「そうだねーー」
時間は午前8時半、開始は9時からだったので移動するために立ち上がる。
沙優さんはこれから大舞台のサポートになっており、菜奈さんは商店街のサポートをすることになっているので別れて行動することになっている。
「しっかりと友梨ちゃんと晴人君のサポートしなさいよ」
「勿論だよ!」
菜奈さんは任せなさいと頼れるお姉さんといった感じで言う。
「友梨ちゃん、晴人君、菜奈が暴走したり困った事が起きたらすぐに連絡してね。飛んでいくから」
沙優さんはそういって緊急時の連絡先を教えてくれる。
「分かりました。もしもの時は頼りにしています」
「お願いします」
菜奈さんの暴走は俺には止められないので、止められる人にすぐに連絡できることはとても助かる。
「もう少し私のこと信頼してもいいと思うなーー」
「それじゃ、お互いに頑張りましょう」
「はい」
「無視されたーー!」
菜奈さんは非難がましい目を沙優さんに向けるが沙優さんは華麗に受け流す。
そんなこんなありながら、俺たちはそれぞれの仕事場に向かった。
歩いてから15分程度でライブ会場と思われる楽器店にたどり着く。
「大きい……」
「ああ」
路上ライブといった形で本格的な楽器などや準備スペースを用意しても、半分ぐらいで空いてる方では楽器の売り込みなどをしている。
4店舗分ぐらいの大きさを持つ楽器店に俺たちは立ち尽くす。
「菜奈ちゃん待ってたよ」
店の奥から優しそうな表情をした50代ぐらいの男性が出てくる。
「西村さん、本日はよろしくお願いします。後ろにいる2人は、私のはサポートをしてくれる晴人君と友梨ちゃんです」
「「よろしくお願いします」」
俺たちは菜奈さんに被らないように横にずれてあいさつする。
「元気があっていいね」
西村さんは嬉しそうに言った。
「私は商店街の方のライブ責任者とここの楽器店の店長をしている西村です。本日は一緒に音楽フェスを盛り上げましょう」
こうして互いの挨拶を終える。
「いつも通りの所にピアノ用意してあるから、チャックよろしく頼むよ」
「分かりました」
西村さんはそう言うとバンドの準備をしている人のチェックや店の管理のもとここから離れていく。
菜奈さんはこちらを手招きしながらライブ会場裏にあるピアノの場所にたどり着く。
「このピアノ、何に使うんですか?」
菜奈さんの演奏は先程の舞台だし、これから使うと考えても、すでに一台用意されているのでその線は可能性が低い。
「バンドのサポートの時に弾くのと、待ち時間がある時にお客様が暇にならないように軽く弾くかな」
「サポート?」
俺はついつい聞き直してしまう。
待ち時間中に暇にならないように弾くのは分かる。しかしながら、バンドのサポートはイメージができなかった。
「深く考えなくても言葉通りの事をしているだけだよ。裏からこっそりと支えるんだ。こんな感じでね」
そういって菜奈さんは店内で流れているBGMに合わせてピアノを弾き始める。その音色は朝見せたような他を魅了するものではなく、メインを決して喰うことなく最大限引き立てるように陰に徹し、非常に繊細なものだった。
「すごい……、菜奈さんは色んなピアノを弾けるんですね」
その技量の高さに友梨は賞賛の声をあげる。
菜奈さんの演奏であれば、バンドをしている人たちにとって迷惑が掛からないようにサポートすることが可能だ。大勢を魅了する演奏だけではなく、引き立てる演奏も出来る菜奈さんはやはり普通ではない。
「褒めてくれてありがとう。練習した意味があったよ!」
ニコニコと太陽のように明るい笑みを浮かべる菜奈さん。
「これだけの実力があれば、動画とか取ったらすごい所までいけそうですね」
菜奈さんの技量は素人で分かるほどすごい。
しっかりと活動していたらかなりいい所にいけると確信できるほどに。
「確かにそうかもしれないけど、私は有名になる為とかそこら辺に興味はないんだよね」
菜奈さんは苦笑いしながら言う。
「私にとって、音楽は笑顔になってほしいと思う人を笑顔にさせるための手段なんだ」
菜奈さんはピアノを優しく触りながら少しだけ語る。
「私は多くの人に聞いてもらいたい、ピアノの楽しさを知ってもらいたいとは思ってないの。何がその人にとっていいことなんか、分からないからね。ただ、私に分かるのは音楽には人を笑顔にさせる力があって、私は周囲が笑顔であって欲しいから弾いているの」
栄光でも実力でもない。周りが笑顔になってほしい。それだけに弾くといった菜奈さんの姿は非常に大人びていた。
「意外だった?」
「少し意外でした……」
俺は歯切れが悪い言葉しか言えなかった。
なぜ、そうなったのか。それは同じような考えを持った親友がいて、そう言った考えがあると知っていたからだ。
「確かにみんなに褒めれることはいいことかもしれない。だけど、私はそれよりもみんなが笑顔になってくれたほうが、心の底から楽しいと感じているからしているの。分かりやすく言うなら、私のために弾いているの」
菜奈さんは清々しいほどはっきりと自分の為に弾いているといった。
「友梨ちゃんは何のためにピアノを弾いているの?」
「私は……」
友梨は答えが中々出すことができず、考え込んでしまう。そして、しばらくして苦しそうな表情で言った。
「……分かりません」
「まあ、すぐには言えないよね」
菜奈さんは仕方ない仕方ないといった感じで振舞う。
「すぐに言えなかったからって、落ち込む必要はないよ。みんなそうだから。ただ、私から一つアドバイスをしてあげる」
「アドバイスですか?」
「うん!」
菜奈さんは友梨を優しく包み込むように見て言った。
「どうして音楽を始めようと思ったのか、その時の気持ちを思い返してみること。つまり、原点を大切して」
「原点を大切にする……」
「そう、友梨ちゃんが何に悩んでいるか私には分からない。分かるのは友梨ちゃんの音色はもっと明るくて元気なことと、友梨ちゃんにピアノを教えていた人はその音色が好きだったことぐらい」
菜奈さんの言葉に友梨は目を開き驚く。
「友梨ちゃんの弾き方、自分らしさが出ててとてもいい。だけど、そうやって弾くの数か月じゃできない。最初は正しく弾けることを教えようとするから、どうしても自分らしさを削ってしまう」
そこまで詳しくない俺には分からないが、友梨の表情を見る限り当たっていそうだ。
「だけど、友梨ちゃんにピアノを教えた人は友梨ちゃんらしさを一切削ることなく、弾けるように指導している。そんなこと、私にもできない。教えてくれた人は友梨ちゃんの事を本当に大切に思っているんだと思う」
菜奈さんの言葉に友梨の瞳からは涙がこぼれる。
「そんな、我が子のように大切にされたものが傷ついて泣いている。私はそれが我慢にならない。音楽は笑顔にするものだから。だから、今回の音楽フェスで原点に戻って、心の底から笑顔な友梨ちゃんみたいな」
菜奈さんは優しく友梨の頭を撫でる。
友梨がある程度落ち着いてのを確認すると手を離す。
「そろそろ音楽フェスが始まるから楽しもう。友梨ちゃんの事は任せたよ晴人君!」
「え、え、え」
愛娘を任せるかのように言い放つ菜奈さんに友梨は恥ずかしそうにして、俺は苦笑いする。
「任せてください」
「は、晴人君!」
友梨は顔を真っ赤にしながらこちらの肩をポンポンと戦く。
そんな可愛い友梨をみながら、俺の脳裏には一つの不安があった。
(心の底から笑顔な友梨を見たいと言うことは、俺は何かを見落としている?)
菜奈さんの先程の言葉が離れない。
俺にはいつも通りの友梨だと思っていたから。
そのような不安を抱えながらも音楽フェスは始まるのであった。