第五話 現状
お粥を食べた後、僕は洗濯をする為に部屋を後にする。
洗濯といっても洗い物を入れて、洗剤を入れ適当にボタンを押せばできるので、そこまで苦労はない。
それに洗い物も一人分なので負担はない。
大体の家事を終えると、僕は春野がいる部屋に戻る。
「もう食べ終わったか」
僕が部屋から出て、大体15分ぐらいなのだがお粥がなくなっていた。
体調は酷い時よりマシになったとは言え、そんなに早く食べるようにはならないはずだが。
「昨日の朝から何も食べていなかったからね」
「なるほど」
頭を抱えるような問題がまた一つ増えた事に、内心で苦笑いする。
キッチンを使う時に何もなかったことからある程度察してはいたが、実際に本人の口から聞くと何とも言えない気持ちになる。
「薬は飲んだようだな。食器洗いとか家事はしておくから今日は安静にしておけ」
自殺をしたいと考えているはずの春野が素直に薬を飲んだ事に多少驚きながら、僕は皿を持つ。
「今日はありがとう」
落ち着いた様子で、弱々しくも優しい笑みを浮かべて春野は礼を言ってきた。強気な態度から一転したその微笑みの威力は、自殺を止めるのに必死に色々と考えていなければついつい見惚れてしまうほどの威力であった。
「急にどうした?」
先程の態度からそんなことを言うようなタイプに見えなかった為、ついつい聞いてしまった。
「この布団やパジャマ、お粥の材料もここにはなかったわよね。つまり、椿君が用意してくれたもの。相当大変だったのは天才ではなくとも察することはできるわ」
「・・・・・・」
僕は驚きを隠せない。
変化は誰でも気がつく、何もないところから生活できるように色んなものを用意したのだから、気付かない方がやばい。
驚いたのは、その事に感謝を述べたことだ。
これらは僕が全て勝手にやったことで春野が望んでいることではない。無視は当たり前だとして、責められることも覚悟していたのだ。
「酷いわね。自殺の件はさておき、厚意にしっかりと礼を言うのは当たり前の事じゃない」
「悪かった」
僕は素直に謝罪する。
「まあ、いいわ。もう一度言うけどありがとう」
僕の謝罪を軽く受け流し、仏のような優しい笑みを浮かべてお礼を言っている今の春野の表情には、自殺を人質に僕を脅していた先程までの春野と、とても同一人物などとは思えない程の眩しさがあった。
「このまま自殺をやめてくれると助かるんだけどな」
僕は言葉遊びに気分でいって、食器を取り洗いに行くためにドアに向かう。
「ここまでしてくれたのだから、少しぐらい考えてもいいわ」
「!!」
その言葉に大きく心を揺さぶられる。丁度部屋を出ようとしていたので、顔が見られないのがありがたかった。
今の顔を見られてはこちらが大きく動揺したことを春野に悟られていただろう。もし見られていたら、ただでさえ不利な状況にあるのにさらに弱みを教えることになる。
「そうか、それは良かった」
「ふーん」
僕は出来るだけ嬉しそうに言うことで揺さぶられていないと思わせようと試みる。だが、春野の勝ち誇ったような声にその抵抗が無駄であったと言うことを悟る。
このままだと春野に舐められてしまう。それはそれで自殺を止める観点からだとよろしくない流れなのでここで爆弾を投じることにする。
「後、ここ数日泊まるからよろしくな」
「はい?」
初めて春野から素っ頓狂な声が聞こえてくる。
「なぜそんなことを!」
(まあ、気持ちは分かるけど)
いきなり泊まると聞いたら驚くのは当然だ。僕だって他の人の家で泊まることを強引にしたくはない。だが、それは状況次第で変わる。
「自分の状況を振り返れば、分かることだろう?」
「・・・・・・」
僕の言葉に春野は黙る。
病人で、自殺しようとしていて、前科あり、家も何もなくて、2日も何も食べない状態にいて、助けを呼べる人も恐らくいない。
ここまで悪条件が揃っていて、自殺を止めないといけない僕が、離れるようなことができるわけない。
「そう言うわけだ。今日はゆっくり休みな」
「変な人」
春野は拗ねたような感じでいった。
僕は何とか巻き返した流れを逆転されないためにも、すぐに部屋を出る。
そうして食器を洗い、僕は春野の部屋から出来るだけ離れたところの壁に寄り掛かる。
「キツイな」
心の声が漏れる。
体も心もとっくに限界を迎えている上に、僕に追い打ちをかけるのは春野のあの言葉だ。
「知っていても、人は期待することをやめられない。誰だってそうだった。そのことをあなたにも教えてあげるわ」
この言葉は僕に大きな負荷を与えた。
先程、僕への態度が軟化したのも泊まる事に対してあまり抵抗しなかったのも、僕に自殺を止めるのではないかと期待させるためにわざとした可能性が高い。
つまるところ、春野は僕に勘違いされるようなことをやり始めている。しかも、その狙いを教えた上でだ。
これによって僕は春野がいい方向に進んでいるのか、疑わないといけなくなった。
自殺を止めたい人がいい傾向を見せてもそれを演技の可能性を疑うなんて、疑って演技ではなかったら、自殺の後押しにしかならない。
勿論騙されたら、そのまま自殺されてアウトだ。
故に、僕は的確に演技とそうではないところを見抜かないといけない。
キツイ、その一言に尽きる。
ただでさえキツイのに相手は万能の天才。演技力も素晴らしく高い。
だからこそ、先程の礼や態度が演技がどうか分からなかった。
客観的に考えれば、こんなにすぐ心変わりするわけないので演技であると言えるのだが、その事実がなければ僕は本音かどうか見分けることができない。
この事実が使えるのは今だけだ、一週間、1ヶ月交流が続けば、その可能性が視野に入ってくる。
このままだと、確実に春野は自殺をしたくないと考え始めてくれていると勘違いするだろう。
どうやら春野は本気で自殺を止めたことを後悔させる気らしい。
しかも、最もダメージが入るように、こちらの期待値が最大限になるように演技をした上で、何ともまあ、よくこんな事を思い付くと思う。
とにかく、この問題の対策を早急に考えないといけない。
しかしながら、僕の抱える問題はそれだけではない。
どうやって春野の自殺を止めるのか、その具体的なプランを考えないといけない。
それを考える上で、僕は多くのものが足りない。
まず、僕はなぜ春野が自殺しようとしているのか、何も知らないこと。その要因ぽいものは幾つか判明しているが、絶対にそれだけではないだろう。
次に人手が足りない。
僕は今、2つのことをしないといけない。
一つは、春野が自殺しないように監視すること。もう一つは自殺の原因を探り、解決すること。
1人で到底出来るようなものではない。
協力者が必要だ。しかし、ここで春野の脅しが効いてくる。
下手な人を頼れば、確実に春野にバレる。だからこそ、協力者に求めるレベルは高くなるし、リスクも高いので、協力者を作るのは困難を極める。
この問題もどうにかしないといけない。
そして、単純に僕が耐えきれない可能性。
体調面は、ここ2日の疲労で抜けきれておらず不調だ。精神面も、多くの問題が僕を蝕む。他にも、お金や周りの信頼といったものも、今回の早退に急なお泊まり、薬などの出費、親との信頼関係にもそこそこの影響を及ぼしている。
つまるところ、僕は内と外、両方で問題を抱えてしまっている。
絶望だ。
少なくとも、自殺を止めようとしたことの辛さを味わえと言うのなら、すでに十分過ぎるほど味わっている。
考えれば考えるほど、自分1人では手に負えないのが分かる。
やはり、大人の人に任せるべきかと考える、今のまま頼ったとしても上手くはいかない。
明日、どうするかも考えないといけないし。
(あああ!やること多すぎだろ!クソ)
それでもやらなければいけない。
やらなければ、春野が死ぬのだから。
僕は一回深呼吸をした後で、現在分かっている情報を整理して対策を考え始めるのだった。