第四話 交渉
春野の家にはキッチンと冷蔵庫はあったが、料理器具と食材は一切無かった。
その為、料理器具と食材は全てこちらで用意したものである。
(これで、どうやってご飯をしていたことやら)
ゴミなども無かったので外食で済ませているぐらいしか予測ができなかった。
そんなことを考えながら、僕はお粥を作り終える。
口に合えばいいんだがなと思いながら、僕は作ったお粥と薬を持っていく。
「持ってきたぞ」
ドアを開けた先には、ブカブカの黄色のパジャマをきて不満そうな表情を浮かべる春野がいた。
「サイズ、大きすぎるわ」
「お前のサイズなど知らんからな、小さいよりマシだろ」
具体的なサイズを知らない僕は安全を重視して、2回りぐらい大きいものを選んで買った。
そのため、随分と不恰好な姿になってしまっているが、ブカブカのところを結ぶとか幾分かやりようがあるのでマシだろう。
「お粥と水と薬な、味は最低限保証出来る。食べたら、薬飲んで安静にしてろ」
「あなたの手作り?料理出来るのね。私の舌はそこそこ肥えてるから合うといいのだけど」
「知らん、どうでもいいことだ」
「つれないわね」
春野は拗ねるようにしながら答える。元々病人に振舞う料理だ。美味しさなど二の次に決まっているだろう。
「及第点ね。調味料一式を持ってきてくれる?」
「は?何に使うつもりだ?」
「少しアレンジするだけよ」
ここで否定してごねられる方が面倒だったため、僕は素直に買ってきた調味料一式を持っていく。
春野は、持ってきた調味料一式を見ると一切の迷いなく塩などの調味料をかけていく、そして一口味見をして満足そうな表情をする。
どうやら上手くアレンジすることができたらしい。そんなことを考えているとスプーンをこちらに向けてくる。
「なんのつもりだ?」
「後学のために食べておきなさい。私は死ぬけど、あなたは先があるでしょう」
「分かった。食べる。ただし、お前は死なせない。ここまでして死なれたら大損だからな」
僕は死ぬところだけは、否定してスプーンを取りに行くために立ち上がる。
「何処に行くの?」
その行為に春野は不思議そうな顔をする。
「スプーンを取りに行くだけだ」
「スプーンならここにあるでしょう?」
先程まで春野が使っていたスプーンを指す。
春野はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
(確信犯かよ)
絶対に気が付いている。自殺を止めた嫌がらせかと思うが、そのような行為をされるぐらい無遠慮で色々と踏み込んでいることは自覚しているので、怒る権利はない。
「もっと自分を大切にしろ」
僕はそういって春野の行為を無視してスプーンを取りに行こうとするが、それを春野が止める。
「これから死ぬ私が自分を大切にするとでも?」
「死なせないといったはずだ。死なないのだから、自分を大切にする必要があるだろう?」
僕たちは睨み合う。
しばらく睨み合った後、春野はため息をついて提案する。
「このスプーンを使いなさい、使ったら明日まで自殺はしないであげる」
「自殺を脅しに使えば、僕が従うと考えてるのか?」
「ある程度なら従うでしょ」
春野は確信するようにいった。
「そんなことはない」
僕は動揺が出ないように言ったが「嘘」と春野は毒を垂らすようにいった。
「これまでの事から、椿君は自分の事をよく理解している。自分には、この件を単独で素早く解決する力がない。
だからこそ、この件が自分の手に余ると早々に判断して、こちらに余計な負担をかけないように立ち回った。
本当なら周りに頼りたいけど、私によって周りにも頼れない。次の自殺を止められる確証もない。
よって、出来るだけ私に自殺をさせないようにして、時間を稼ぎ解決の糸口を探す方針にした。
違うかしら?」
「……」
春野の言っていることは全て合っている。
僕は時間稼ぎをしなければならない。二度、自殺を防いだが次防げる確証はない。だからこそ、春野に対しては自殺をさせないように立ち振る舞うことを意識しているのだが。
こちらの考えが完全に読まれていた。やはり、万能の天才に真正面から勝つことは出来ない。
その事実が僕を締め付ける。
「時間を稼ぎたい椿君は、不安要素を無くしたい。
つまり、私の自殺という脅しには一定以上の効力がある。そして、私は椿君の考えが分かっている。
それが意味するところは分かっているわよね」
「下手に足掻いても無駄と言うことか」
少なくとも今の段階では春野は自分を完全にコントロールしている。故に、僕がどのように立ち振る舞っても自殺すると決めたら実行が出来ると言うことだ。
「理解が早くて助かるわ。ならこの提案に乗ってくれるわよね?」
狩人のように、逃げ道を着実に無くし提案に乗る道しかないように誘導する春野を手腕は確かなものだった。
断れば、春野は僕への嫌がらせとして自殺を図るだろう。
つまり、この提案を乗る方が合理的だ。ただし、そのまま乗ってはダメだ。
「分かった。お前の提案に乗る。ただし一週間だ。一週間自殺するな」
「それを言える立場ではないこと、分かってる?」
提案されたものの数倍の要求をした僕が気に食わないのか、重く冷たい声で圧をかけてくる春野。しかしながら、その程度で僕は怯まない。
「明日まででは流石に乗る価値がないだろう。
確かに僕は、自殺されることを恐れている。止めれる確証がないからな。
だが、止められないという確証もない。ただ、可能性が低いから選びたくないだけで、選べない訳でもない。
周りに頼ることも同じだ。万能の天才だろうと、何でもできる訳ではないだろ?
止められる可能性はある。僕は常に成功率が高い方を取る。もし、一人より周りに頼るべきだと言う判断結果になったのならば、僕は迷わずその選択肢を選ぶ」
確かに現状では春野の言葉は正しい。しかしながら、それは自分一人で対応する方が危険性が低いと判断しているからに過ぎない。
現状、大人に投げても事情が分からないことによる準備不足で満足に行く対応は出来ない可能性が高く春野は間違いなくその隙を突いてくる。しかし、情報を集めしっかりと対策できたのであれば、話は変わってくる。
隙は無くなり、春野であろうとも簡単には出し抜けない。
つまるところ、まだ春野は完全有利というわけではない。僕が一人では無理だと判断し、第三者を頼る選択をした場合、僕の立ち回り次第では五分五分以上の勝負ができる可能性は充分にありえるのだ。
「痛い所を突いてくるのね椿君、嫌いだわ」
「それはお互い様だろう。まあ、僕としてはこれ以上頭を使いたくないんだけどね」
ドストレートの言葉に泣きそうになるが何とか顔には出さなかった。
僕の頭もそんなにいい訳ではなく、自殺の原因を調べる前に自殺を実行させないように止めるだけで精一杯だ。
春野はしばらく考えた後、仕方がないなといった感じで言った。
「5日でどうかしら?」
「それでいいよ」
これ以上の交渉をしても実力的に不利になるだけだし、不用意な対決もこれ以上避けたかったこともあり、5日で手を打つ。
それに来週の火曜日まで時間の猶予が出来れば、色々とやれることが増える。
「それじゃあ、約束通り一口いただくね」
そうして、スプーンを取ろうと手を伸ばすと、そのスプーンを春野が取る。
「どういうつもりだ」
「食べさせてあげる」
なんとも悪い笑みを浮かべる春野に対して、こっちは手で顔を隠し何故かうなだれてしまう。
どうして僕がこんな目にあわないといけないのか。これが好意からの行為であると言うのならば幾分かマシな気分なったかも知れないが、春野の表情は絶対に悪い事考えているものだ。
「それをするお前のメリットはなんだ?」
「簡単なことよ。あなたが自殺を止めたいと考えたことを後悔させて、やめさせること」
春野はニコニコと明るく感じで恐ろしいことを言う。
「つまり、期待させて落とすということか?知られたら意味なくない?」
このようなことをするのは仲良くなったと勘違いさせて、実は違いましたというパターンぐらいしか考えられなかった。しかし、そうされると分かっているなら、あまり意味がないはず。
だが、春野はそんなこと知っているといわんばかりの表情をする。
「知っていても、人は期待することをやめられない。誰だってそうだった。そのことをあなたにも教えてあげるわ」
春野の言葉には妙な説得力と力強さがあった。
僕はその言葉にあっけにとられていると、春野はお粥を手に取る。
「はい、どうぞ」
春野は満面の笑みでこちらにスプーンを向ける。
その様子だけみれば、恋人のように見えるだろう。容姿も良く無駄に動作もそれらしくしているのでとても心臓には悪いのだが。
だが、ここで無理に抵抗してもメリットがあるとは思えなかった。現状ではこちらが圧倒的に不利なのだ。
これ以上抵抗しても無意味だと悟った僕は、大人しく食べることにした。
「うまい」
お粥は先程の数倍うまくなっていた。しつこくないが、それでいて味を感じるもので、病人でも大丈夫のように作られていた。
「そうでしょ。今後、倒れそうな子を見かけたらこれを振舞ってあげなさい。きっと感謝されるから」
僕の言葉に天使のような笑みを浮かべる春野。先程まで自殺しようとしていたのが嘘みたいだ。
今の様子だけ見れば春野の心が少しだけでも癒されたのか?と思うかもしれない。しかし、先程の『期待することをやめられない』という言葉が脳裏をよぎる。
これはあくまで演技なのだ。春野が自殺することをやめるのでは?とぼくが期待するように仕向けながらも、本当に自殺することをやめたのか?と常に警戒し続けなければならないよう仕向けられた『罠』なのである。
(なるほど、これが知っていても期待してしまうか)
あの言葉があるからこそ騙されないが、これが毎日続けばいつか自殺しないのではないかと期待してしまうかもしれない。
この時、僕は春野愛佳の自殺を止めることの難しさを痛感するのであった。