第三十三話 道化
「それで、どうするつもりなの?」
敵を見るような鋭い視線が僕を襲う。
「なに、簡単な話だ。二つ条件を飲んでくれればいいだけさ」
僕も負けじと人を貶めるのを楽しんでいる悪役のような悪い笑みを浮かべる。晴人にもあの服屋の店員にも言われたことだが、僕は悪役が似合っているらしい。
だっていま、最高に悪役の気分だから。
「条件は?」
春野は警戒心を最大にして聞いてくる。
「一つ目は、助けた赤菜の姿を、その目で直接見るまで自殺をしないこと。破るなら助けないどころか、僕が赤菜を追い込む」
「友梨ちゃんを人質にするのね……」
春野の表情は酷くゆがむ。恐らく赤菜さんを人質に取った僕への憎しみと、その理由が自分の自殺を止めるためという、僕を悪だとは言い切れない気持ちとの板挟みにあっている感じだ。
「結構酷いことするのね」
「僕は悪い人だからね。目的の為なら手段は問わないよ。それに前にも言ったろ、簡単には死なせないと」
春野の冷めた声を浴びせられても、それが何だと言わんばかりに僕は言い返す。
「悪い話ではないはずだ。春野はただ、助けられた赤菜を見ればいいだけだ。心残りを無くしてからの方が死にやすいだろう?」
悪役みたいに言っているが、内容自体はとても親切なものだ。まあ、春野にとってはこの上なく苛立たしいことだとは思うが。
「期間は、まさか無期限ではないわよね?」
断る理由はないのでもちろん乗ってくる、と解っているため詰めは怠らない。
(時間の事を聞いてこないなら無期限にでもしよかと思っていたが、上手くいかないよな)
まあ、あまり重要な事ではないので問題ない。
「春野が決めていいよ。さっきの、権利云々を無視して春野自身で赤菜を救うと考えた場合どれぐらいの時間が必要なのか。つまり春野が決めた時間内に助けられなかったのならば、それは完全に僕の実力不足だ。僕が悪い。だから安心して。春野を必要以上に待たせるつもりは僕にはないよ」
春野においては、最悪の返し方だろう。
時間を一分や明日までといった確実に助けられない設定するなら、それは赤菜を思う気持ちがその程度だと言うことになる。もし、確実に助けたいと思うなら10年とでも50年とでも言えばいい。そうすれば、ほぼ確実に助けることができるし、それで助けられないなら僕には無理だったという話で終わる。
春野は決めないといけない。自分の罪と赤菜さんを助けたい気持ちの妥協点になる期日を。
「椿君、嫌い」
「はは……」
これ以上にないドストレートな言葉が春野から放たれる。
それによって残っていた僕の心の半分が粉々に打ち砕かれた。春野の立場で考えればとても嫌な質問をしていることは自覚しているが、言われるとくるものがある。
「一年……いや、半年……三か月。三か月待つわ」
断腸の思いと言わんばかりの苦しそうに絞り出された言葉に、僕は強烈な罪悪感に襲われる。必要だからやっているとは言え、人に考えたくないことを強制的に考えさせるのは相当に辛い。
だが、その気持ちは絶対に表に出さない。もっとうまい方法を思いつかなかった自分の実力の無さへの罰なのだから。
「三か月か、分かった。それ以内に赤菜さんを助けよう」
三か月、春野は自殺をしない。
まあ、妥当な日数だと思う。例えば1年以上とか期間が長過ぎると、『私は自殺よりも赤菜さんを優先します』と言っているようなもので、そうなると相手、つまり僕には自殺に対する恐れがなくなり始める。これは期待などではなく明確な弱みからくる確信だ。
ただ、一週間など時間が少なすぎると赤菜さんに止めを自分の手で刺すことになる。
そのことを考えた上で、赤菜さんを助けることが現実的にできそうかつ、自殺の気持ちが低く見られない所は、僕の予想では1か月から3か月ぐらいだと考えていた。
それならば、赤菜さんを助けたいという気持ちも嘘ではないし、自殺するという気持ちも嘘には思われない。
ただ、こちらが予想していた最大の日数を選択するあたり、助けたい気持ちが強いのか、自分が犯した罪の罪悪感なのか、ただ前向きな気持ちが要因ではないことは言える。
「それで、もう一つの条件はなに?」
先程の条件が悪辣すぎてしまったのか、春野はこれ以上になく警戒と敵意を含んだ声で聞いてくる。
「そんなに警戒しなくとも、僕は悪魔じゃないんだ。そんな酷な事を言うつもりはないよ」
「私から見ると十分すぎるほど悪魔よ。椿君。よくこんなつらい事させられるわね」
ハッキリと春野に言われて大泣きしたくなる。
やっぱり、僕には悪役は向いていない。やるたびに業火に焼かれるように苦しく辛い。こんなことを続けていてはすぐに僕の心が焼け死んでしまう。
だが、やらなければいけない。
一度僕は深呼吸をして心を落ち着かせる。
そうすると先程まで苦しんでいた僕はいなくなり、痛みを受け入れた、何処までも諦めることのない強い僕になる。
確かに、あのやり方は非常に苦しい気持ちになるが、それでも助けると決めたのだ。それならどれだけ苦しかろうが、辛かろうが、その気持ちが弱くなることはない。
その程度で屈するほど僕の決意は弱くない。例え、業火に焼かれ続けても僕の決意が屈することはない。
どんなに絶望しても、どんなに苦しくても、どんなにカッコ悪くても、最後には必ず粘り勝つ。それが才能のない僕にでもできる唯一の事なのだから。
だから僕は、どんなことがあろうと春野愛佳を死なせない。必ず笑顔にする。どんな方法を使っても必ず。
「二つ目の条件なんだが、今日と明日、僕に付き合って欲しい。やってもらい事とやってみたいことがあるんだ」
春野さんを笑顔にしたいなら、僕は重い決意も辛い気持ちも表に出すわけにはいかない。そんなものは笑顔になるためには必要ない。
人を笑顔にさせるためには、まずは自分が笑顔でないと。
故に、僕はシリアス、重い空気、そんなもの知らん。ぶち壊すと言わんばかりに明るく元気に振舞うのだ。それこそ、道化のようにね。
「どうせ拒否権はないのだから、大人しく従うわ」
春野はどうでもいいかのように言う、完全なる塩対応である。
やはり何事も上手くはいかない。それはもう何度も経験している。
それでも諦めないのが道化である。
(なーに、今回の為に僕はいくつか策を用意してきたんだ)
僕は先程春野に聞かれた紙袋を取り、明るく春野に言う。
「では最初のやってみたいことなんだけど、ケーキを買ってきたんだ!一緒に食べ比べしない?」
そうして僕は、10種類ぐらいある一口サイズのケーキを取り出す。雄大先輩と共に考えて買ってきたものだ。雄大先輩は佐紀先輩に迷惑を掛けていたのでその詫びをしないといけないというか、させないといけないので共に考えた。
大きいのを1つだと、面白みに欠けると言うことで、小さくて可愛く、色んな種類を食べられ、数打てば当たるでしょということで、一口サイズのケーキを買ってきた。
買い方には非常に迷った。一店舗で複数種類を買うか、複数店舗で一種類ずつ買うか。
どちらも面白そうだが、最大限使い回せるのは、1店舗ずつやっていた方が会話のネタにもなるし、そっちのほうがいいよねという打算的な考えのもと、一店舗で複数種類を買うことにした。
ケーキを見た春野は、一瞬ポカーンとして表情をした後、呆れたような表情になる。
「椿君は、たまに馬鹿と言うか天然と言うか空気読めないことがあるわよね」
「あはは……それが魅力だと言われる時もあるから、僕は……気にしてないよ」
たまに母や妹に言われることもあり、内心ではどうにかしたいと思っていると言うことは隠しておこう。
「まさかだと思うけど、今から食べるつもりじゃないわよね?」
(ヤバ、完全に勢いで言ってしまった)
しっかりと考えるのが僕の取り柄だというのに、それをしないでらしくないことをしようとした結果、悲劇が始まる。
僕の沈黙を了承と捉えら春野は先程の憂さ晴らしをすると言わんばかりに喋り始める。
「晩御飯はどうするつもりなのかしら。」
「えっとそれは、その……」
勿論勢いで言ってしまったので何も言えない。
「知ってる?美味しく食べるには食べ合わせと言うのも大切なのよ」
「そ、そうですね」
「それに健康面もあるわよ?そこは考えているの?」
「あはは……春野様、どうかいい感じによろしくお願いします」
僕は、春野にも負けないぐらい美しく頭を下げてお願いする。
先程と完全に立場は逆転している。
食に関してもそうだが、僕は春野に対して勝っている所はほとんどない。そのため、こういうことに関してはこの先、一生春野に頭は上がらないだろう。
「私の自殺を止めるときもこれぐらいポンコツなら助かるのに」
春野は本気でガッカリしている。まるで、それ以外は取り柄がないと言わんばかり。
「いやー、ほら、必死さが違いますというか」
「へー、椿君は私の自殺以外は必死じゃないのね。私、色々してあげたんだと思うのだけど……」
(やばい、またミスった)
下手に弁明をしようとして、さらにミスる。
一度ミスればなんとやらだ。先程まで見せていた鋭い返しはできなくなっていた。
「そ、そういうわけじゃないんだ。ほら、あれだよあれ、あれなんだよ」
「あれって何かしら?」
「それは、その、すいませんでした」
適当なことを言ったばかりに、揚げ足を取られ、完全に手玉に取られ、いいように春野に弄ばれている。
もはや僕に、先ほどの勢いは完全になかった。
「はぁー。なんとかしてあげるから、他の家事、よろしくね」
「任せてください!それぐらいなら出来る自信あります!」
下げに下げた地位を取り戻すため、元気よく答える。
(よし、ここでいい感じにやって、面目躍如だ)
そう思っていたが、春野は甘くなかった。
「干し方、適当な時あるけどね、それに掃除も、隅とか小さな物置スペースとかの細かいところ、たまにやり忘れているわよね?」
「……以後気を付けます」
確実に僕の心を抉る言葉に僕は完全敗北を認める。
もし、これから春野と一緒にいるようになるのだとしたら、間違いなく僕は尻に敷かれると確信するようなやり取りをした後、互いにやるべき仕事をして、一緒に食べ比べをした。
晩御飯は、食物繊維が豊富な食材であるごぼう、キャベツ、こんにゃくなどが使われており、糖質の吸収を穏やかにする働きや血糖値の急上昇を抑え、脂肪の蓄積を防ぐので太りにくくなるように健康面で気遣ってくれており、さらにケーキのおいしさが最大限引き立つようにさっぱりとしたものに仕上げてくれていた。
そのおかげもあり、どのケーキもとても美味しかった。
数打てば当たるというのも、上手くいき、春野は抹茶系のケーキが好きなのか、まぁあまり表情の変化はなかったが、美味しそうには食べていた。
そうして僕たちは一日を過ごした。