第三話 看病
低体温症での自殺とは、随分と苦しむ方法を選んだものだと驚くが、これが首吊りなら間に合っていなかった為、今はその方法を取ったことに感謝するしかない。
低体温症での平均生存時間は気温が15℃だと2時間から20時間。
少なくとも電話時に起きていた事を考えると、朝の6時から8時付近までは意識があったはず。
気を失うのが2時間から7時間掛かるとされているが、昨日の疲労状態を考えると平均時間より早いと予測できる。
現在は9時30分。つまり、低体温症になってすぐに気を失った場合、最大3時間30分経過していることが分かる。
もし、僕が確認は学校が終わった後にしていたら、手遅れになっていた可能性が高かった。
学校を休む選択を早々にできたのは英断とも言える。
低体温症の対応は、衣服を脱がして、毛皮などの温まりやすいものを活用して体温を上げる。
それをできるだけ丁寧に優しく、そして素早くやらなければならない。変に動かしたりすると足や手の冷たい血液の回りを早くして、症状の悪化を招く事になるからだ。
その後は救急車を呼んで、専門家に任せるのが最適解、しかしながら救急車を呼んでしまえば、自殺の件は確実にバレる。
そうなれば、春野は回復した後、僕を最も苦しませる方法で自殺を図るだろう。
少なくともその可能性は高い。
春野の容態を見る。
僕の素早い判断と対応により、重度まで悪化はしておらず、症状としたら中度といったところだ。
重度なら迷わず救急車を呼ぶが、中度なら呼ばなくとも何とかなる可能性が高い。
救急車を呼ぶルートか呼ばないルートか、どちらが今後のことを考えた上で生存確率が高いだろうか。
重すぎる選択だ。しかしながら、時間はない。
僕には春野の考えを変えるほどの影響力はない。自殺の件がバレた場合、春野の状況や行動がさらに悪化し加速する可能性の方が高いかも知れない。
そうなると、春野は回復後、僕に邪魔されないように持っている才を全て使い、計画的に自殺するだらう。
今の僕ではそれを止めることはできない。
ならば、救急車を呼ばない方法を選んだ方が、現状を考えるに低体温症からの生存率は低くなるが、自殺を含めて考えるとなれば、救える確率は総合的に高くなると思われる。
よって僕は、救急車を呼ばない選択肢を取る。
(クソ!これで死んだら僕も地獄行きか。)
この選択は、僕の立場だけを考えると悪手だった。
もし、これでは春野が死ねば、僕は多くの人から責められるだろう。
どうしてこのような辛い判断をしなければならないのか、もっと知識があれば、頭が良ければ、より良い手段を選択できたのに、自分の未熟さに苛立ちを覚えながらも僕は対処を始める。
まずは、部屋全体の体温を上げる為、エアコンの暖房をつける。
次に濡れている制服などを脱がして、下着だけにする。
何もなければ、目の保養になるような状況だが、今はそんなことを考えている余裕はない。
下着状態にした春野を自分のタオルで拭く。
春野は雨に濡れたままの状態だったので、全身濡れている。
この状態はすぐに脱しないといけない。
僕はできるだけ丁寧かつ優しく拭きながらも、早く終わるようにする。
作業開始から5分、あらかたは拭けた。
次に、暖かそうな服を着させる必要がある。
ところがここで問題が発生した。
春野の部屋を探し回っても、そのような服がなかったからだ。
あったのは、夏用の制服が1着と質素な私服が1着だけだった。
どちらも暖めるには不十分だ。
しかしながら、更に頭を悩ませる問題が発覚する。
この家には生活するために必要なものが殆どないのだ。
食料や飲み物はなく、タオルや洗剤といったものもない。ベットはあったが、布団はなく、その他にも質素な机と椅子に、学校関係の持ち物しか無い。
この部屋には何も無いのだ。
その事実は春野がどれほど深刻な状況にあったかを示している。
僕が想定していた以上に春野を取り巻く環境が悪いという頭が痛くなる事実に文句を言いたくなるが、今は、とにかく時間がない。
無いなら、急いで買い足すしかない。
僕はお姫様抱っこをして、春野をベットの上に置いた後、僕の制服や残っていた2着の服を布団代わりにしてかぶせる。
僕は財布とスマホを持って、疲労困憊の体に鞭を打ち、地獄のシャトルランを始める事にする。
一度にまとめて買うのでは時間がかかるので、まずは暖かい服やカイロや湯たんぽといった体を温める物を買って急いで帰る。とにかく春野を温めてやる事が最優先だ。その後で、次のものを買いに行くといった感じで、春野の家と各売り場を何度も往復することを始める。
幸いな事に、春野の住んでいるマンションは近くに総合スーパーがあり、必要なものをすぐに買うことができた。
僕は、最初に服と布団を買い。すぐに戻り、春野に着させて、布団で暖まるようにする。
次にカイロや湯たんぽといった暖房機器を買って、次に食料といった感じで、十数回、僕は総合スーパーとここを行き来する羽目になった。
僕の体力と精神力が、一連のことで大分疲弊し、更には財力にまで大打撃を受ける羽目になった。
そんなこんなで、僕の必死の看病の甲斐もあり、午後5時過ぎ、春野は目を覚ます。
「ここが・・・・・・天国?」
「ここは現実だよ。天国じゃなくてごめんね」
起きた春野は、僕の存在に気が付き驚いた表情をしたが、すぐに冷静になり、こちらを睨め付けてくる。
「また、自殺を止められた。学校を終わった後なら間に合わないはずだったのに」
「決断力はあってね。休んだという連絡を聞いてすぐに飛んで来たから間に合ったよ」
春野はとても残念そうに言った。
相手に弱みを見せれば、そこを突かれて自殺をされるかもしれない。そのため、ギリギリだったことを悟らせないように、少し余裕があるようにいった。
「ふざけた人ね」
「お互い様だろ?」
僕はそういって立ち上がる。
「お粥と薬を持ってくるから、そこで大人しく過ごしてくれ」
意識が戻ったといえ、弱っているのは確かだ。僕は、お粥と薬を持ってこようとドアに手を掛けた時だった。
「椿君、下着変えなかったでしょ。中途半端にやるならしっかりやってもらえないのかしら。若干濡れていて気持ち悪いわ」
僕を弄るような演技くさい声で言ってきた。
「配慮をしたんだ。衣服とタオルをそこにある籠に入れてあるから、気持ち悪いなら僕がお粥を持ってくるまでに自分で着替えておいてくれ」
冷たい声で言い返す。
裸を男性に見られたなんてあれば、どうなるかわかったものではない。まあ、下着姿を見られたも問題は問題だが、裸よりは幾分かマシだろう。
僕は逃げるように部屋から出ていく。
どうにも、自身を蔑ろにするような話は苦手だ。
最後までやれといった時の目、あれは自暴自棄のやつがよくする目だし、態度や口調も自分のことを労っていない感じだった。
その行為に合理性もなければ面白さもない。だからだろうか、あのような話は嫌いだし、苦手だ。
何より、自分のことを大切に出来ない限り自殺は止められない。
まだまだ道が長いということだ。
そんなことを考えながら、僕は事前に準備しておいた食材を活用して、お粥を作るのであった。