第二十四話 椿弓弦の戦い
家に戻ると内装が少し変わっていた。
具体的にどのように変わっているかと言うと、僕の服を掛けるようだと思われるハンガーや、荷物置きに使うようにと言わんばかりの箱に、簡易的なベッドに枕と布団が用意されており、今までこの家になかった、僕の生活スペースが作られていた。
「春野……これは?」
僕は予想していない展開に、驚きを隠せず春野に聞いてしまう。
「見ての通りでしょ。椿君、しばらく泊まるのでしょう?ならこれぐらいは用意してあげるわ」
何でもないように言った春野は、買ってきたものを片付け始める。
(ここまでしてくれるなんて……)
僕は、この家では部外者であり、今は無理矢理入っているようなものだ。少なくとも僕はそう思っている。
だからこそ、家具を選ぶ際やここにいる時は出来るだけ自分の存在を感じさせないように注意を払っていたし、自分の荷物や過ごす場所、行動範囲などは必要最低限にしていた。
常に春野愛佳の意志を出来るだけ尊重し大切にしていること、本当に自殺を止めたいだけだとおもってもらうために。
だからこそ、春野が、ここにいていいよと言わんばかりに僕の為の生活スペースを用意してくれたことにとてもうれしいと思っている自分がいた。
(えーと、こういう時ってどうすれば)
自分の事に無頓着な所がある僕は、自分の為に何かされることにあまり慣れていないため、驚きでどうすればいいのか、よく分からない。
普段は逆の立場になることが非常に多いため、される立場になるとは思ってもなかったことも、僕の中の混乱を大きくする。
「こんな素敵な所、用意してくれてありがとう。とてもうれしいよ」
取り敢えず、お礼を言わないといけないことだけは考えつくことができたので、何とか言葉を絞り出して春野にお礼を言った。
「お互い様でしょ」
春野は淡々といって、自分の作業に戻る。
(お互い様って、春野からしてみれば僕は邪魔者のはずなんだけどな)
少なくとも、僕の行為は春野に笑ってほしい、後悔しないでほしい、といった自分の我儘を押し付けている状態だと思っている。
しかし、先程の言葉によって、自分がしてきて来たことが少なからず春野にとっても良かった事だったと思えるような事ができていたのではないかと思ってしまう。
この調子で、と思った時だった。春野のあの言葉が脳裏をよぎると共に一つの可能性が頭の中に生まれる。
「知っていても、人は期待することをやめられない。誰だってそうだった。そのことをあなたにも教えてあげるわ」
これは僕を期待させるための罠かもしれない。
そう、客観的にそして冷徹に現実を見ている僕がそう告げている。
僕はその考えを違うと突き放すことは出来なかった。
しっかりと現実も見据え、その残酷なまでの差を受け入れ、戦う。それが理想を叶えるための心構えだと考えた上で、僕は赤菜を地獄に落としたのだ。
その僕が、感情論でこの残酷だが客観的な可能性を否定してはいけない。その可能性を受け入れた上で戦わないといけないのだ。
(赤菜にあんなことを言ったが、僕も人の事を言えないな)
うれしいとかやったとか思う気持ちが強いほど春野が仕掛けた毒は威力を増す。なんて強力な毒なのだろうか、努力をして前に進めば進むほど、僕の心は痛みと絶望に苦しめられるのだから。
(だが、この毒を克服しない限り僕は春野を救えない)
この猛毒から、無視することも逃げることもしてはいけない。
人を変えたいと思うなら、動かしたいと思うなら、まずは自分がしなければならない。
春野に自殺をやめたいと思わせたいなら、赤菜を地獄から這い上がらせたいなら、晴人に僕にベットしてよかったと思わせたいなら、この猛毒と戦い、超克し、一つの道を示さなければならない。
これが椿弓弦の戦いである。
だからこそ、僕はこの毒を苦しみを否定せず受け止める。そして誓う。必ず超克すると。
これは罠ではないかと疑う気持ち、苦しくて逃げ出したいという気持ち、これが本当だと思い期待したい気持ち、疑う自分に本当に救えるのかと不安な気持ち、助けると言っているのに疑ってしまっている自分を嫌になる気持ち、様々な思いが僕の中にある。
その全ての気持ちに向き合っていく必要がある。
そして、今向き合うべき気持ちは、僕の為に動いてくれた春野への感謝と喜びの気持ちだ。
僕は改めて、春野に向かって礼をいう。
「お互い様でも、こんなことをしてくれるのはとてもうれしいよ。ありがとう、春野」
疑いの気持ちや、打算など一切ない、春野への感謝と喜びだけの言葉を春野に送る。
「そう、なら一応受け取っておくわ。その言葉」
春野は軽く受け流すように、だがしっかりと僕の言葉を受け取ってくれた。
まだまだ、道は長く険しいものだがそれでも着実に前進している。コツコツと地道に進めていくそれが大切なのだ。
「それじゃあ、僕は風呂の用意とか洗濯してくるわ」
「分かったわ。今夜はブリ大根とあら汁、刺身にする予定なんだけど大丈夫かしら?」
「大丈夫だよ。美味しい料理食べれるの楽しみにしてる」
「期待に答えられるように頑張るわ」
他人から見たら仲の良い夫婦のようにしかみえない会話をする二人は、それぞれの仕事に取り組むのであった。