第二十一話 親友から見る椿弓弦
赤菜友梨視点
私は泣きながら走っていた。
「お前はなかった事にしたいだけなんだよ。自分が苦しみたくないから」
椿君の言うとおりだった。
私はこの苦しみを無くしたかったのだ。
誰よりも優しくて強かった愛佳ちゃんを裏切った私の罪を無くしたかった、もしくは裁いて欲しかった。そうすれば、私は楽になれると思っていたから。
私の行動はどこまでも自分勝手だったのだ。そんな私に、愛佳ちゃんを救う権利はないのだ。
自分の愚かさと罪に苦しみながら、気が付けば愛佳ちゃんとよく話した。音楽室のグランドピアノの前にたどり着いていた。
「そこはもう少し強く、そして自信を持って弾きなさい」
「うん!分かった!こんな感じかな?」
「ええ、友梨ちゃんの明るくて可愛いところがより伝わるようになったわ」
「やった!私、もっと頑張るよ!」
愛佳ちゃんと一緒にピアノの練習をしていた時を思い出し、私の心はキュッと締められる。
私はその苦しみから逃げるように、教室の隅に蹲る。
あの時の楽しい時間はもう帰ってこない。私が、私が愛佳ちゃんを裏切って壊したから。
私がもっと強ければ、私があんなことを言わなければ、愛佳ちゃんが傷つけることはなかった。愛佳ちゃんが苦しむことはなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
私のせいで愛佳ちゃんが苦しんでいると思うと、意味がない事だと分かっているのに謝罪の言葉が口から出てくる。
これ以上愛佳ちゃんに苦しんでほしくない。今はただその気持ちでいっぱいだ。
(愛佳ちゃんを救いたい!だけど、それは私の自己満足)
椿君の言葉が深く私の心に突き刺さる。
(私に愛佳ちゃんを救う権利はない。無理に動いても椿君の邪魔をしてしまうだけ)
椿君に全てを任せて、私は大人しくして居るべきなのだ。もう、愛佳ちゃんに近寄ってはいけないのだ。椿君は、強い。他クラスの人なのに、そんなこと関係く動けるし、いじめのことを知っても逃げる様子は一切なかった。
椿君が何とかしてくれる。
そう思い始めるとなんだか心が軽くなってきたような気がした。
愛佳ちゃんが救われるのなら、私はどうなろうと構わない。
私はこの罪を抱えて永遠に苦しむべきなのだ。
そんなことを考えている時だった。音楽室のドアが開けられ、一人の生徒が入ってくる。
「何もかもお見通しか。探したぞ、赤菜」
「大山君……」
入ってきたのは椿君と一緒に愛佳ちゃんを救おうと頑張っている大山君だった。
「どうしてここに来たの?」
「女の子を泣かせたまま、放置するなんてしたら、漢として失格だろ」
どうやら、泣いて出てしまった私の事を心配してきてくれたようだ。その気持ちはうれしいが悪いのは私である。中途半端な気持ちで動いて迷惑をかけたのだ。
「心配してくれてありがとう。だけど、私は大丈夫だから。元々、私は中途半端だったのが悪かったの。椿君が言っていることが正しいと思ってる。だから、私には愛佳ちゃんを救う権利はないんだよ。そんな私よりも愛佳ちゃんを救うために動いて欲しいな」
私は、これ以上迷惑にならないためにも、必死に笑顔を作って平気な顔をする。もう、これ以上愛佳ちゃんを救う邪魔をしてはいけないのだ。
「やっぱり勘違いしてる。追い込むためとはいえ、もう少し言い方あるよな。俺がいなかったら終わってるぞ、本当に」
大山君はやっぱりなといった表情をした後、椿君の事で愚痴を言いながら、私を安心させる為か優しく表情をする。
「勘違いってなに?椿君の言っていたことは正しいよ。私は中途半端だったし、自分勝手だった。私に愛佳ちゃんを救う権利はないよ」
「あのな、いつ弓弦が赤菜のことを中途半端だとか、救う権利がないとか言ったんだ?」
「え……?」
大山君の言葉に私は混乱する。
「だって……私の考えは逃げだって……それじゃあ助けられないって……」
「確かに弓弦は、その考えでは春野さんを助けられないといったが、それだけだ。助ける権利がないなんていってないし、赤菜の気持ちが中途半端だとも言っていない。ただ、考え方がダメだといっただけだろ」
確かにそうだった。冷静に振り返ってみれば、椿君は私の考え方についてダメだといっただけで、償いをすることや、助けたいという気持ちについては何も言っていない。
「だけど、言っていないだけで、心の中でそう思っているはずです」
口から出す言葉が全てではない。言葉にして出していないだけで、思っているに違いない。
「普通のやつならそうだろうな。だがな、弓弦は普通じゃない!それぐらい薄々分かっているだろ。普通のやつが、美少女だからといって他のクラスのいじめに介入して解決しようと動けるわけないだろ」
「……」
確かに、普通の人ならあんなことができない。
なんか、物凄くカッコ悪いような気がしなくもないけど、大山君の言葉に納得してしまう私がいる。
「五年の付き合いがある俺が保証する。弓弦は普通じゃない、異常者だ!」
「それは、流石に言い過ぎなんじゃ」
「いいや、間違いないね。一つだけ、弓弦に関する面白いエピソード教えてやる」
大山君は私の向かいに座り、話始める。
「小学校の時なんだがな、ある生徒がハサミで悪ふざけをしていたんだ。この悪ふざけに弓弦のやつも巻き込まれてな、危険だったこともあって弓弦も止めようとしたんだが、不慮の事故で弓弦の指をハサミで切ってしまう事件があったんだ。流石にハサミだから、切断まではいかなかったが、血がボロボロとあふれ出すぐらいには、深く切った」
想像するだけで、吐き気がしそうな状態だ。
「勿論、周りはパニックさ。手から血が止まらないのだからな。床に落ちた血を見た時は俺もかなり動揺した」
小学生なのだから、パニックになるのは当然だ。私でも、泣き叫んでパニックになっている自信がある。
「切ったやつも酷く青ざめていた。ふざけていたとはいえ、こんなことになるとは思ってもいなかっただろうからな。先生が近くにいなかったこともあり、誰もが混乱していた。そんな中、切られた張本人である弓弦だけが、何ともない顔で止血をはじめ、先生を呼ぶように冷静に指示を出し始めた。あの時の光景は今でもはっきりと覚えている」
小学生の子供が自分の指を切られたにも関わらず、一切焦ることなく止血をして、冷静に行動することがあれば、その不気味さは確かに一生忘れる事は出来ないだろう。
「これだけでも十分ヤバイ奴だということは分かるが、本当にヤバイのはこの後だ。本来なら大騒ぎになるこの事件は、被害者である弓弦が終始冷静だったため、問題が大きくなることはなかった。止血も無事に終わり何とかなった。そうなると次に来るのは加害者をどうするかだ。意図していないことだとは言え、悪ふざけをして人の指を切った。話の持って行き方次第では、出席停止措置ぐらいされそうな重いことだ」
出席停止措置まではないとしても、親を呼び出されるくらいの罰は与えられると思う。それぐらいの事をやってしまっている。
わたしなら、恐怖のあまり不登校になっていたかもしれない。少なくともそんなことをした人の顔を二度と見たくないと思う。
「どんな罰が下るのか、やったやつはこの世の終わりといった感じで待っていた。だが、俺たちの思ったような展開にはならなかった。やったやつは少し怒られた程度で済まされて終わりだった。」
「それってつまり」
「ああ、弓弦はこのことについて切ったやつのことを恨む事もなく、許したんだ」
子供の対応としては異常だ。本来なら酷く責めるはずだ。
「勿論だが、ただ許すだけならこうはならなかった。弓弦が言ったんだよ。あれは互いに悪かったと、ハサミで遊ぶ方もだけど、少し強引に止めようとしたこっちも悪かった。お互いにああなることを望んでいなかったし、いわば事故みたいなものだと。彼にはハサミで遊んだ件については怒ってほしいが、切られた件については互いに謝るだけでいいと」
「そんな風に考えられるなんて」
あまりにも大人の考えだった。いや、大人でも同じようなことができる人がどれだけいることか、一体どのようなことを経験すればあのような判断が出来るのだろうか。
「俺もそう思う。切られて数時間も経てば、弓弦は何事もなかったようにそいつと話しているんだから、俺はついつい聞いてしまったよ。なんで怒らないだって、本当は怒っているんじゃないのかって、そしたら、弓弦はこんなことを言いやがった」
「誰だって、ミスもすれば間違う事もあるでしょ。それは仕方がないことで、そんなことで怒りたくもないし、僕は思っていることはそのまま口に出すことにしているんだ。口にしないと分からないこともあるし、内心怒っているなんて思いながら相手に過ごしてほしくないよ、意味がないじゃん」
確かに普通ではない。椿君は底抜けの聖人と言った方が正しいかもしれない。
「弓弦は普通じゃない。あいつは真っ直ぐで強い奴で優しいが甘くはない。しっかりと人の闇を受け入れ、向かい合っている。今回みたいにきつく言う必要があると判断したら、きつく言う。完全に信用してくれとは言わないが、弓弦は赤菜の気持ちが嘘ではないと思っているし、ダメなやつだとは思っていない。ただ、その考え方ではダメだと言っているだけなんだ」
先程のエピソードで少しだけだが、椿くんは愛佳ちゃんの為に全力で動いていると言うこと。そして、大山君の真剣な表情と椿くんへの厚い信頼。
これが嘘だとは思えない。本当に考え方が違うということだけを言っていると私も思う。
「わかった。信じるよ。だけど、それなら私はどうすればいいの?この苦しみとどう向き合えばいいの?どうすれば、愛佳ちゃんを助けられるの?」
私はまだ、この罪との向き合い方が分からなかった。